殺人鬼から逃げ切ったら超能力が目覚めた件

城間盛平

ただ一人の生存者

 レイチェルはただただ自身の膝の上におかれた自分の両手を見つめていた。自分の手の爪が白くなっている。いつもは桜貝のようなピンク色をしているはずなのに。何故だろうと考えて、レイチェルは自分が強い力で膝を握りしめているからだという事に思いいたった。


「レイチェル、君がとても動揺している事はよく分かる。ゆっくりでいいんだ。君は、何を見たんだ?」


 レイチェルが座っているイスの正面に、無機質なグレーの机をはさんで、五十代くらいの刑事が座っている。恐ろしい顔を何とか柔和にしようとして、かえって怖い笑みを浮かべながら、レイチェルに猫なで声で質問する。


 さっきから何度も言っているのに。刑事はレイチェルの話しをちっとも信じてくれない。それは君が混乱しているからだよ、落ち着いてもう一度考えてごらん。


 何度聞かれたって同じだ。レイチェルは突然ロッジにやって来た、羊のマスクをつけた男に襲われたのだ。友達はあっという間に羊男のナイフに刺されて死んだ。


 レイチェルは親友のエイミーと狭いロッジの中を逃げ回っていたのだ。そして。


 そこまで思い出して、レイチェルの思考は停止した。レイチェルはじっと自分の白い爪先を見つめていた。


 トントンと、取り調べ室のドアが控えめにノックされた。刑事の入室の許可の後、四十代くらいのふくよかな婦人警官が入って来た。手には湯気の立つコーヒーのマグカップを乗せたトレーを持って。


「ジム、それくらいにしてあげて?レイチェルを休ませてあげないと」


 婦人警官はレイチェルに優しくウィンクをすると、目の前にコーヒーのマグカップを置いてくれた。マグカップの横にスティックシュガーとクリープが置かれた。


 レイチェルはこの優しい婦人警官は、亡くなった母に似ているのではないかとぼんやり考えた。レイチェルの両親は、レイチェルが三歳の時に交通事故で死んだ。どんな人たちだったかも覚えていない。きっとレイチェルの事を愛してくれていたはずだ。


 いや、愛してくれていたと思い込みたかったのかもしれない。孤児になったレイチェルは施設で育った。スクールに通うようになってからは、学生寮で生活していた。レイチェルは肉親との縁が薄い孤独な少女だった。


 レイチェルがコーヒーを見つめたまま動かないので、婦人警官はねぎらうように声をかけた。


「レイチェル。熱いから気をつけてね」


 婦人警官の言葉に、レイチェルは操られたように従い、手のひらでマグカップをおおった。


 突如レイチェルは激しい痛みを感じた。遅れて手のひらに感じたマグカップの熱量だという事に気づいた。手のひらに熱さを感じた途端、レイチェルはここが現実だという事にやっと気づいた。


 手がブルブルと震え出し、持っているマグカップのコーヒーが波打つ。震えはレイチェルの体全体まで伝染し、激しい震えに襲われた。婦人警官が優しくレイチェルの肩に手を置いてくれた。その温かさを感じながら、レイチェルは婦人警官に向きなおってヒステリックに叫んだ。


「エイミーは?!エイミーは?!あの子、ひどいケガしているの。大丈夫かしら!」


 婦人警官はレイチェルを憐れむような悲しい顔をしてから答えた。


「ええ、エイミーは病院にいるわ。心配しないで?」


 嘘だ。エイミーは死んだ。レイチェルのせいで死んだのだ。レイチェルは親友のエイミーの死を受け入れる事ができなかった。エイミーの死を受け入れるという事は、自分自身の罪を認めるという事と同義だからだ。


 レイチェルの身体はブルブル震え出し、寒いわけではないのに、歯がガチガチと鳴り出した。婦人警官はレイチェルの身体を温めようとでもするように、背中をさすりながら、鹿つめ顔でレイチェルの向いに座っている刑事に言った。


「ねぇ、ジム。今日はもうレイチェルを帰してあげて?」


 刑事は無言でうなずいた。婦人警官はレイチェルに微笑んで言った。


「さぁ、レイチェル。もう帰りなさい。たくさんご飯を食べて、たくさん眠るのよ?貴女のお姉さんが迎えに来ているわ」

  

 そこでレイチェルはギクリと身体を震わせた。天涯孤独のレイチェルに、姉がいるとるいうのだ。

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