人魚

口一 二三四

人魚

 子供の頃人魚を助けたことがある。


 日本海側に住むばあちゃんの家に行った夏も過ぎた頃。

 同窓会に出かけた母親を見送りヒマになった僕はじいちゃんやばあちゃんの眼を盗んで外へ出かけた。

 残暑にしては暑すぎる日差しにお気に入りのTシャツがびしゃびしゃになったのを覚えている。

 こんな汗をかくならタオルでも持ってくればよかった。

 準備不足を後悔して海の方へと足を向けた。

 ほんとは何年も前に廃校になった母親の母校を探検するつもりだったけど、暑さと汗の不快感がそこまでの足取りを重くした。

 どこかで涼みたいって気持ちが頭の中をいっぱいにして、だったら水の近く。

 海に行けば少しはマシなんじゃないかって単純な考えしかできなかった。

 古いのか新しいのかわからないまばらな街並み。脇道に逸れて雑木林の傍にある道を抜ける。

 先に広がるのは地元民ぐらいしか知らない浜辺。

 海風がTシャツ越しに肌を撫で、火照った体を静かに静かに冷ましてくれた。

 普段であれば散歩している人がまばらにいるのに、何故かこの日は自分以外の人を見かけなかった。

 シーズンを過ぎたとはいえこの暑さなら泳いでる人がいたって不思議じゃないのに。

 些細な疑問は貸し切り状態の高揚感で消え去り今年買ってもらったサンダルを海水に浸した。

 寄せては返す波が足裏を、指を通過する。

 生ぬるい海水の感触が、なすがままの砂の感触がどうにも気持ち良くてバシャバシャと駆けた。


 波打ち際の端まで辿り着く。

 浜辺の一部になってる岩肌を登ったり降りたりして遊ぶ。

 丁度窪みになっている所で、横たわる人魚を見つけた。


 仰向けで微動だにしない青白い肌。

 飛沫を上げる波を気にする様子の無い虚ろな目。

 本来あるはずの足は白い布のような物でよく見えなかった。

 代わりにそれが水中でゆらゆらゆらと揺れていた。


 これは、ヒレだ。


 漁師のじいちゃんが見せてくれた大きな魚を思い浮べる。

 見れば見るほどそれにしか見えず、不規則に動き続ける仕草が自分に何かを訴えかけてくるようだった。

 助けてほしいんだろう。直感的に思った。

 魚は海の中を泳ぐもの。人魚だってそうに違いない。

 こんな窪みにいるのも波が強くて戻れなくなったからに違いない。

 自分も浮き輪で浮いてて砂浜まで戻れなくなりかけたことがある。

 同じだ。助けないと。

 岩肌に引っかかる上半身に手を添える。

 声をかけても反応のない様子を寝ているんだろうと勝手に納得してめいっぱい押す。

 子供の力と不安定な足場じゃそんな強くは押せない。

 それでも完全に浮かせてしまえばあとは波がなんとかしてくれて、人魚は流れに任せてどんどん沖へと進んでいった。

 いや、気づかなかっただけでもしかしたら。

 自分が押した拍子に目を覚ましてヒレを使って泳いで行ったのかも知れない。

 どっちにしてもいいことをしたなと満足感を抱えたまま家に帰った。

 玄関を開けると普段は優しいばあちゃんにこっぴどく叱られ帰ってきた母親にも叱られたけど、『人魚を助けた』って経験が落ち込む気持ちを少し和らげてくれた。


 自分にとっては大切な思い出。

 誰にも話してない秘密の一つ。



 子供の頃人魚を助けたことがある。

 その事実は絶対で、今さら違うなんて言えない。


 だから翌日打ち上げられた水死体は。

 きっと自分とは無関係なのだろう。

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