【完結済】雪上モンスター
有馬千博
第1話
見ている者たち全員をねじ伏せたい。
自分の内側にある檻の中で、そう叫ぶ化け物が暴れるのをどうにか抑えさせるにはどうしたら良いのやら。
そんなことを考えながら、栗原由紀菜は自分のスキー板のワックスがけをしていた。
冷え切ったロッカールームで、とろっと溶けたワックスを板にかけていく。この時間は由紀菜にとって貴重な時間だ。
今日の午後の2本目、エッジコントロールが上手くいかなかったな。そのせいか、シュプールが左右対称にならなかったし、形も汚くなった。途中のコブにタイミングをずらされたから? もう少しコースの見極めを厳しめにしないといけない?
頭の中は今日の滑りでいっぱいだ。手元に注意しつつ、滑り終わってから見せてもらった動画で自分の滑りを振り返る。
一人反省会の時間は、滑っているときにはできないし、リフトやゴンドラで移動している時は、同期たちの話で思考する時間が遮られてしまうことがほとんどだ。
今の時間でしっかり反省して、改善点を考え込むことで、明日への滑りに活かせるはず。生かせなければ意味がない。
大学生活で基礎スキーにかけられる時間は、2年生の今シーズンを終えると、本格的にのめりこめるのは、4年生の冬で最後だ。
3年は就活でスキーどころではないかもしれない。雪山から離れる時間が長くなってしまうことに、今から心のどこかで焦っている気も否めない。
溶けたワックスをアイロンでゆっくり伸ばしていく。独特の香りがロッカールームに広がる。
バイトをして、貯めて買ったスキー板はシーズン中ずっと乗っているせいか、それとも由紀菜の技術のせいか、想像よりも今シーズンは築けてしまっている。だが、由紀菜にとってはこれまで雪上で共に練習を重ねてきた相棒だ。簡単に乗り換える気も起きないが、それ以前に学生の身分で板を乗り換えることも、もう1セット買うことも難しい。そっと手で触れて見ると、触っただけでもわかるほどの板の傷つき具合に、軽く顔をしかめた。
基礎スキーとは、雪上の芸術家ではないか、と由紀菜は常々考えている。
完璧なシュプールを描くためには、雪上トレーニングだけが重要ではない。
筋トレや体力トレーニングだって重要だ。
雪上トレーニングよりも、実際陸上トレーニングが1年のほとんどの割合を占めている。関東の大学では、スキー場に行くのも時間的にも、お金的にも容易ではない。そのため、体育会所属の陸上部やサッカー部のような陸上トレーニングばかりしているせいか、シーズンオフの期間は何の部活かわからなくなることも多々ある。
もっとも、陸上トレーニングを疎かにすればシーズン中の大会の結果に直結してしまう。
つまり、基礎スキーとは、決して才能やセンスで滑るものではない。
1年を通してトレーニングで磨き上げてきた体力・筋力・スキルを存分に生かして、雪上での己との戦うことが重要である。
由紀菜はそう考えている。
しかし、中には。
「そうは言っても、結局はセンスじゃない」
と宣う同期もいるわけで。
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