5.勇気の引き金
初めて引き金を引いたその指は、まだ小刻みに震えていた。
手に収まっている銃のグリップ部分は汗でじっとりとしている。
視線の先には黒風の穢れと呼称された化け物。
照準から目を一度外し、目視で異形を見る。
一度は当てることができた銃弾だったが、タビーの心中は不安と恐怖に締め付けられていた。
異形の化け物は、村を目指し、無差別に攻撃しているのだと思っていた。
しかし、先ほどの動きを見て感じた。
明らかに自分に対し振り向き、歩き始めていると。
―――おいおいおい…!あれ俺に向かってきてる絶対…!なんでなんでなんでなんで!
「アーヴィン!!こっち、こっち向かってきてるよコレ!!」
石垣に隠れ、焦り叫ぶタビー。
トリガーにかかっていた指の震えはいつの間にか全身を襲っていた。
「今そっちに行く!とにかく一旦そこを離れろ!!」
アーヴィンも明らかに標的を絞ったように動き始めた異形に気付いていた。
彼の声が返ってくる。
ここまで来るのに多少時間はかかりそうだ。
初弾を撃った後、すぐに排夾と装填、所謂ボルトアクションはできている。
すぐに次の弾は撃てる。
「こいつを止めないと…!少しでも、時間、稼がないと…。」
躊躇は依然あるが、タビーは再び銃を構え直し、呼吸を整える。
心臓の鼓動が早まり、耳元で鳴り響く。
風の障壁がその周りを取り囲み、近づく度に不気味な声が聞こえる。
―――こいつ、マジでなんなんだよ…。
周囲の木々が揺れ、風が強まる音が耳に入る。
黒風の穢れの姿がますます異様に見える中、タビーは再度引き金を引いた。
銃声が森の中に響き渡り、弾丸は黒風の穢れに向かって飛んでいく。
しかし、先ほどとは違い、風の障壁に身を固めた化け物は、その風で弾丸の軌道を逸らし身を守る。甲高い金属音が一度、銃声の後に鳴った。
「くっそ!…効いてない…」
風の障壁に阻まれた弾丸を確認したタビーは、次の行動へ。
自身もアーヴィンの元へ移動する。
石垣を離れ、走り出すタビーはユカレイを発見する。
―――あれは…ユカレイさん…!!
「ユカレイさん!!」タビーは駆け寄り、彼の傍に膝をついた。
彼の顔は蒼白で、脇腹に矢を受けていた。
「奥井殿…無事じゃったか…」ユカレイはかすれた声で答えた。
戦いに参加したタビーに対して感謝と敬意の言葉をかけようとするが、その容体は明らかに悪化している。
「無理しないでください…俺、どうすればいい?」タビーは焦りを隠せずに言葉を続ける。
ユカレイは弱々しく微笑みながら言った。
「来てくれたんじゃな。やはり強き子じゃ…ここまでよく…やってくれた…君たちなら、きっと倒しきれる…わしには…わかる…」
ユカレイは最後まで言葉を出し切れぬまま、瞼を閉じてしまう。
意識はすでに無くなっているようだった。
タビーは彼の言葉に頷き、周囲の村人たちに声をかけた。
「誰か…、誰かぁ!!!ユカレイさんを…!早く!…こっちです!!!」
元々ユカレイの為に向かってくれていた村人達が到着、駆け寄り、ユカレイを慎重に運び出す。
タビーは彼を見送った後、改めてアーヴィンの元へ向かって再び走り出す。
タビーの動きに合わせて、背後から黒風の穢れが迫ってくるのを感じ、心臓がさらに速く鼓動する。
ーーーやっぱり俺に…なんで俺ばっか狙ってくんねん…!
タビーは自分の身を守るために数度、銃を構えはするが、風の障壁がある事で弾が無駄になると理解する。今はただアーヴィンのいる方へと進むしかなかった。
「アーヴィン!」タビーが叫びながら走る。アーヴィンも彼に気づいて駆け寄ってきた。
「タビー、じっちゃんは!?大丈夫なのか!!?」アーヴィンが焦り、問いかける。
「ユカレイさんは…なんとか…でも脇腹に矢を受けてるから…。今、村の人達が運んでくれてる。」タビーは息を切らしながら答えた。
アーヴィンの顔が青ざめ、目が揺れる。
「そんな…じっちゃんが…。くそっ…!」彼は拳を握りしめ、石垣に叩きつけた。
タビーは心中を察するしかなかった。
彼もまた、自分に良くしてくれた人の痛々しい姿に不甲斐なさを感じるばかりであった。
タビーはアーヴィンの肩に手を置いた。
「アーヴィン…。今は考えんのはやめよ。このままじゃもっと傷つく人が増える。今は俺たちでなんとかするしかない。ユカレイさんは言ってたよ『アーヴィン達なら倒しきれる』って。な?」
アーヴィンは深く息を吸い込み、涙をこらえながら顔を上げた。
「そうだな…タビー、ありがとう。俺たちでなんとかしよう。」
アーヴィンは深く息を吸い込み、顔を上げた。
二人は決意を新たに、黒風の穢れに立ち向かう準備を整える。
黒風の穢れはタビーを追従しているかのように迫ってくる。
その異形の姿は最初に見た時よりも、さらに赤く染まっており、それが不気味さをさらに引き立てていた。依然、風の障壁がその周りを取り囲んでいる。
「アーヴィン、あいつ…俺を狙ってるみたいなんよ。なんでやろう…」タビーは不安を隠せずに言った。
「確かに、見ている限り村じゃなく、タビーの方に向かってるな。レオと師匠が足止めをしている間に、何か手を考えよう。」
アーヴィンは周囲の状況を見渡しながら言った。
アーヴィンは一度、冷静に昨夜の事を思い返した。
あの時の鮮烈な記憶が蘇る。
「タビー、昨夜のことを思い出したんだ。気を失っているタビーがあいつに攻撃されそうになった時、小さい本が落ちて、あいつ、それを見て一瞬動きを止めたんだ。」
「小さい本って…ん…学生手帳か?」
アーヴィンは深く頷いた。「うん、ガクセイテチョウ?それかな。昨日逃げる時に回収だけはしていて、今もここにある。」アーヴィンは学生手帳を取り出した。
「俺も驚いたぞ、こんな綺麗な絵を描ける人は見た事ない。この絵に描かれてるのタビーなんだろ?」
「絵…?いやちゃうねん。これは何て言うたら…そう!これもギフトの力って言えばわかるかな…その場の物とか人とかを鮮明に残す技術みたいな?」
「ギフトの技術なのかそれ…。凄いな…。とにかく、その絵があいつの足を止めたのは間違いないと思うぜ。」
「絵やないんやけど…。まぁええか。これ俺と俺の友達が写ってるだけなんやけどな…」
「じゃあ、どうすればいい?」タビーは不安そうに尋ねた。
「まずは、レオと師匠が時間を稼いでくれている間に、このシャシン?で黒風の穢れが何か反応する方法を考える。何か工夫が必要かもしれない。」
アーヴィンは冷静に考えながら言った。
「そうやな。それが何かの鍵になるなら、うまく使ってくれ。」
タビーはアーヴィンに学生手帳を託し、強く頷いた。
レオとリセルが必死に黒風の穢れを引きつける中、アーヴィンとタビーは作戦を二人にも伝える。黒風の穢れが再び動き始め、タビーの方に向かって歩み始める。
「師匠!レオ!!もう少しだけ時間を稼いでくれ!」
アーヴィンが叫び、彼らに合図を送った。
「わかった、でも出来るだけ早く頼むぞ!こいつ徐々に一撃の威力が上がってる!」
レオが力強く答え、リセルも頷いて再び攻撃を繰り出した。
アーヴィンは学生手帳の写真が何かの手がかりになると信じ、懐に手帳を収めた。
二人は黒風の穢れに立ち向かう準備を整える。
レオとリセルは全力で黒風の穢れに攻撃を仕掛ける。
レオのハンマーが重く振り下ろされ、岩を砕き石つぶてのように飛ばす。
リセルも渾身の矢を放ち、二人の連撃で、黒風の穢れは一瞬後退する。
「リセルさん!」レオが叫び、リセルは素早く次の矢を番える。
「任せて!」リセルは狙いを定め、矢を放った。
矢は空気を切り裂き、一直線に黒風の穢れに向かって飛んでいった。
レオのハンマーが叩きつけた衝撃で生まれた石つぶてが、矢と共に黒風の穢れに襲いかかる。
だがその刹那、黒風の穢れが身を翻し、赤黒い風の衝撃波をカウンターのように放つ。
その動きはタイミングを合わせたかのように一瞬で、レオとリセルの攻撃を迎撃するために予測され、完璧に計算されていた。
「レオ、師匠!!!」アーヴィンは叫びながら二人の元へ向かう。
衝撃波に倒れた二人は、リセルは全身に裂傷を負い、直撃を受けたレオは吹き飛ばされた拍子に岩に激突、腕があらぬ方向に曲がっている。
タビーは一部始終を見ていた。レオとリセルが再起不能である事を悟る。
アーヴィンと話していた時の昂った気持ちが一気に冷め、足元から恐怖の蔦が絡まってくる。
ーーーやばい、やば過ぎる…。
汗が吹き出し、額をつたう。
タビーは銃を構え直し、その異形に向かって再び引き金を引こうとする。
だが、その瞬間、黒風の穢れから再び悍ましい声が聞こえてくる。
「憎イ…オクイクン…憎イ憎イ…タ…ケウチク…ン…ゲン…キ…?憎イ…憎イ…」
タビーの全身に戦慄が走った。何故知っている。自分の名前が呼ばれ、その声には明らかな敵意、憎しみが込められていた。彼は動揺し、銃を構えたまま立ち尽くす。
「ど、どういうことや…なんで名前…」
その時、アーヴィンが叫ぶ。
「タビー、しっかりしろ!今しかないんだ!」
レオとリセルの二人がまだ生きている事を確認できたアーヴィンは、黒風の穢れに向かって駆け出した。
「いいかげんに…止まれよぉぉ!!!」
彼は全力で黒風の穢れの背後に飛びつき、手に持った矢で首に何度も刺す。
黒風の穢れは呻き声を上げながら体を捻りアーヴィンを振り落とそうとする。
必死にしがみつくアーヴィン。懐から取り出した学生手帳を手にする。
「これで…止まってくれぇえ!!」
矢を刺して開けた小さな傷口に、アーヴィンは学生手帳を黒風の穢れに捻じ込んだ。
アーヴィンは背後を離れなんとか態勢を整え着地する。
途端、黒風の穢れは突如として動きを止め、膝をつく。
異形の顔が苦しそうに歪み、赤い涙が流れ出す。
風の障壁が消え去り、力なく片刃の腕も地面に落ちる。
その異様な力が失われたようだった。
「アーヴィン、やったのか…?」
アーヴィンを気遣う為にタビーが駆け寄る。
しかし、次の瞬間、黒風の穢れは、狂ったように
「憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ、憎イ、憎イ憎イ!」と怒号のように叫び始める。
障壁は無くなったものの、その姿勢は一層恐ろしさを増していた。
黒風の穢れは再びタビーに向かって突進してくる。
「おい…こいつまだ!!!」
何とか冷静になろうとする。だが黒風の穢れは止まらない。
勢いに飲まれ、タビーは尻もちを着いてしまう。
片刃が赤く染まる、ゆっくりと腕が持ち上がる。
「オクイ…憎イ…タスケ…憎イ…ボク…ボク…オモ…イダ…」
タビーは自分がもう死ぬのだと理解した。
自分は化け物に殺されるのだと。
目をつぶり、全てを諦めた。
―――もう一回、連れとバイクで海行きたかったな…。
その時、タビーの脳裏によぎる。二人の友人が。
―――俺と、竹内の名前を呼ぶって事は。
「…お前……一颯、紐手一颯なんか…?」
その一言に黒風の穢れは一瞬動きを止めた。
だが赤く染まった片刃は無情にも振り降ろされる。
しかし、ほんの少し、生まれた隙を見逃さなかったアーヴィンが、全力で突進し、十手で黒風の穢れの片刃の腕を、いなすように振り払う。
黒風の穢れは呻き声を上げ、アーヴィンの防御を受けて体勢を崩すが、片刃の赤い風によりアーヴィン自身もその衝撃で吹き飛ばされる。
致命傷には至らなかったものの、彼は地面に倒れ込み、痛みで顔を歪めた。
「アーヴィンっ!!」
黒風の穢れは、追撃の構えを取る。次は外すまいと。
再度振り上げた片刃の赤色が濃くなっていく。
アーヴィンは決死であった。
最後の力を振り絞って地を足で蹴った。
―――まだ終わるな…!!……間に合え!!
手に持った十手をもう一度握りしめる。
猛り狂った異形の前にアーヴィンは、もう一度立ちはだかる。
最後の一撃が打ち下ろされた。
アーヴィンは十手を両手で持ち直し片刃を受け止め、全ての力をふり絞り弾く。
「タビィィィイイ!!!今だぁあああああっ!!!」
黒風の穢れの片腕が大きく弾かれた事で胸部が露出したのを奥井旅人は見逃さなかった。
そこには赤紫色のコアが脈打っている。これが最後のチャンス。
「憎まれる筋合いなんかねぇぞ…んな言うなら…!なんで、なんで逝っちまったんだよぉぉぉおお!」
タビーは起き上がり、全力で黒風の穢れに向かって突進し、銃身の先に付いている刺突剣で
脈打つコアを突き刺した。
黒風の穢れの動きが緩慢になっていく。
コアの脈動が銃剣を通じてタビーの手にも伝わった。
そしてタビーの心に亡くなった親友との思い出が走馬灯のように過ぎていった。
「一颯…」
タビーは気付いていなかった、その目から涙が流れている事に。
―――どうなっても、親友やぞ。
そのまま四四式騎銃の引き金を引く。
弾丸の炸裂する音とその反動でタビーは後ろに転がりこむ。
最後の弾丸はコアに命中し、赤紫色の光がコアを中心に眩く光り、一瞬にして蒼緑色に変わる。
黒風の穢れのコアは激しく発光し、次第に崩壊していく。
「ア、アア…タビヒト…ハルレイン…ハルレイン…イキテ…ル」
異形の体は灰となりながら、最後の言葉を残し、そして風に吹かれて消え去った。
「…やった、やった…のか?」
―――
黒風の穢れが消え去る直前の蒼緑の光に照らされたから、付近一帯の森に変化が訪れた。
重苦しい暗闇が消え去り、薄暗い森の中に光が差し込み始めた。
緑豊かな鮮やかな風景が少しずつ戻り、鳥の囀りが響き渡る。
生まれて初めての森の光景に、アーヴィンは口を開けて周囲を見渡した。
「これは…」
タビーもその変化に気付いていた。
まだ緊張している様子だったが、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「どうなってんだこりゃ?…すげぇ。」
アーヴィンは動ける状態のタビーに声をかけた。
「タビー、大丈夫か?」
「なんとか…アーヴィンこそ無事か?」
「俺も平気だ。師匠とレオのところへ行こう。」
二人は動けないリセルとレオの元へ駆け寄った。
リセルは全身に傷を負い、苦痛に顔を歪めていたが、まだ意識はあった。
「師匠っ…!」
「リセルさん、大丈夫ですか?」タビーが尋ねる。
「ええ…でも、動くのはちょっと無理みたい…」
レオは腕があらぬ方向に曲がっており、意識も朦朧としていたが、アーヴィンの呼びかけに応じて目を開けた。
「レオ、しっかりしろ。今助ける」
レオは辛うじて頷き、「やったのか…はは。」と力なくつぶやいた。
リセルは痛みに耐えながらも、微笑んだ。
「アーヴィン、皆も本当によくやったわ…」
レオも、痛みの中で微かな笑みを浮かべた。
「いってて…。なんだったんだアイツ…。あんな魔物、初めて見たぜ…。」
四人は言葉に詰まっていた。誰も見た事がない魔物。
答えを出せる者はいるはずもなかった。
昨夜起こった大きな災厄、それと同時に生まれた魔物と偶然とは思えないタイミングで転移してきたギフター奥井旅人。
4人は満身創痍、思考を巡らすも答えに辿り着ける物はいなかった。
一拍の沈黙。
その時、四人の前に突然風が巻き起こり始めた。
風は徐々に集まり、渦を巻くようにして一つの形を形成していく。
その渦の中心に、淡い光が輝き出し、やがて人の姿をとり始めた。
それは、優しく吹き抜ける風に合わせて、まるで舞うように現れた精霊だった。
彼女が姿を現すと、その周囲の空気は一段と清浄になり、まるで森全体が浄化されるかのように澄んでいった。
風が木々を揺らし、葉がささやき、穢れの気配が薄れていくのが感じられた。
彼女の姿は、透き通るような淡い緑色の光に包まれており、優美で神秘的な雰囲気を漂わせていた。
風に揺れる彼女の長い髪と、穏やかな微笑みが、四人に安らぎを与えるようだった。
四人は咄嗟の事に、皆これ以上戦える状態などでは決してなかったが身構えた。
―――皆さん、本当にありがとうございました。…私の名はニュン。この森を守護をしていた風の精霊です。
その言葉を聞き、皆、ただ茫然と立ち尽くしていた。
自分たちが黒風の穢れを討った事によって精霊が顕現したという実感はまだなかったが、目の前の精霊の存在が、それを徐々に確かなものにしていく。
風の精霊から送り出される風は四人を吹き抜け、彼らの心に静かな安らぎをもたらしていた。
それは、苛烈な戦いの終わりを告げる合図となったのだった―――
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