3-1. ギフター:奥井 旅人

―――俺、確かバイクの整備が終わって、それから?

ガレージから…バイク跨ってエンジンを掛けたんよな。


うん、そうや。覚えてる。

それで、そう、いつものルート走って…。


んで、なんやっけ。あー、頭いってぇ…。


えっと、結構走ったよな。猪名川町あたりまで行ってて…

ああ、ああ。いつもと違うルート行ったろって。

一本逸れたらやたら車幅狭いトンネルあって…


そこで…あれ?そこで…対向車?俺事故ったんか?ハイビームやったんか、あれ。

わからんけど、とにかくめっちゃ強い光やった、とんでもないスピード出てたで。


やっぱ事故ったんかな。なんかぐわんぐわんするわ。死ぬんか?


ほんでこいつ誰や、生きてんなら、はよ救急車呼んでくれ。


意識がぼんやりと戻り始め、視界も徐々に明けてくる。しかし、先ほどまでツーリングをしていた舗装された道路はどこにもなく、見知らぬ光景が目に入った。

木の焼けた匂いが鼻を突き、煙が立ち上っている。

辺り一帯が破壊され尽くしていた。


「ここ、どこ…」と、奥井は呟く。耳に届く声は、まるで遠くから聞こえるような感じで、何を言っているのかはっきりとは分からない。目の前には見知らぬ男たちが膝をつき、心配そうにこちらを見つめている。


「あんたら、誰…救急車…」声を絞り出すように呟いた。


銀髪の男が冷静な声で話しかけてくるが、耳鳴りがひどく、内容が理解できない。

奥井は混乱しながらも、彼らの服装や装備に目をやる。

その風貌は現代のものとはとても言えず、まるで映画やゲームで見るような中世風の衣装と和装に身を包んでいる男の二人であった。


―――なんやその服装…忍者?


もう一人の男も前に出てきて、何かを説明しようとしているが、頭の中は混乱するばかりだった。自分が夢の中にいるのか本当は意識が戻っていないのではないか、自分を疑った。


「ここ…日本ちゃうんか…」


レオはその言葉に首をかしげ、アーヴィンも戸惑いの表情を浮かべた。

双方理解しあえないまま、状況はさらに緊迫していく。


アーヴィンとレオが顔を合わせ思案していると、向こうから足音が聞こえる。

視線を向けると、我々同様、災厄の衝撃によって吹き飛ばされたヴァルガスとサージが現れ、アーヴィン達に気付く。

「お前ら、まだ生きてやがったか。」


「もういい、すでに戦う事はできんだろう。ここのギフトは全て俺たちがいただく!」

ヴァルガスの声は鋭く、憤怒に満ちていた。


「丸坊主のゴリラと悪そーなもやし…っぱ夢かコレ」

緊迫した空気の中、奥井だけは未だ混乱に包まれている。



「レオ、ギフトを。」

アーヴィンは真剣な眼差しで彼をじっと見た。


レオは少し考えたが懐にしまっていた布袋を渡した。

自分達がここから生き残るにはギフトを交渉に使って見逃してもらう以外、他に方法はないのだと二人は理解していたのだ。


アーヴィンは負傷した左腕を押さえながら少しだけレオと奥井の前に出た。

「ヴァルガスと言ったか、ここにお前達の追っていたギフトがある。そこらのギフトも勝手にしろ。俺達はもう戦えない、降参だ。出口までは俺が案内する。代わりに、こいつらの事は放っておけ。」


「アーヴィン!お前…!」

レオの眉が八の字になる。


「これでいい。どちらにせよ、この怪我じゃ俺はそこの倒れた男を運ぶ事はできない。お前ならまだそいつを背負う事くらいできるだろ?ここで二人共殺されるよりはいい。」


サージが一歩前進する。

その顔は先ほどの戦闘での借りを返すと言わんばかりの怒りを表していた。

「いいや、ダメだね!こいつらも殺す。お前も殺す。そのギフトも俺らのもんだ。」


「待て、サージ!あの手に持った袋…俺達が向かえばアレを投げて逃げるつもりだ。後々面倒だぞ!」ヴァルガスが制止する。


「うるせぇ!!!ヴァルガス…今ならおめーだって殺せんだぜ!!黙ってな。皆殺しにして、後からゆっくり探しゃあいいんだよ!もう十分だ…この森にも!クソガキ共にも!!おめぇにもなぁ!!もう限界だ…!とっととギフト拾って俺はこの森を出るぜ…」

自分の唯一の味方にさえ殺気を放つサージ。もはや誰もこの男を止める手段を持ち合わせていなかった。


アーヴィンは心底後悔した。狩猟と人殺しは違う。

それでも自分の甘さでこの状況に陥っている事、あの時にとどめを刺しておくべきだったと。


サージがさらに踏み出す。

アーヴィンは手に持ったギフトを投げる為に腰を落とす。踏ん張る足にも痛みが走る。

「くっ…。」


「弓のガキ。さっきの借りは返すぜ…。切り刻んでやる…!!!」

サージの殺気はさらに増していた。ここに来てからのフラストレーションが全て乗っているのか、余りにも憎しみに満ちている。



その時だった。

その場にいる全員が感じただろう、森から吹き抜ける生ぬるい風が止まった。

そして次に赤黒い風が周囲に巻き起こり、一点に集中し始めた。レオは驚きの声を上げた。

「なんだ…この黒い風は…」


風は激しく渦を巻き、次第に一つの形を成していく。

その風は渦の中心へと巻き込まれていき、”ヒョウヒョウ”という音は不気味な泣き声のようにも聞こえた。


「あそこ、見ろ…風が集まって…。」

ヤマタの森で長らく暮らすアーヴィンにとって、こんな事は初めてだった。


風が消えた。そこには人型の魔物と言っていいのだろうか、その姿は異様で不気味な雰囲気を漂わせている。それは形容し難く、実態があるようにも見えるし、無いようにも見えた。

体を縁取る輪郭がしっかりと見えたりぼやけたりしている。

そして黒に近い灰色が妥当か、体の胸部に位置する辺りが赤く光っていた。

背丈は高いが体型としては細い。右腕にあたる部分は肘から先が片刃の剣のようになっていた。


魔物は呻き声を上げながら、サージに向かって踏み出した。


近づいてくる魔物から発せられるその呻き声は、口にあたる部分が喋っているように見えるが、言葉として一切聞き取れない音だった。

「縺翫∪縺医b縺ォ縺上>繧?k縺帙k繧?k縺帙↑縺!!!」


「何言ってんだぁ!?クソが!てめぇもぶった切ってやる!!」

殺意のサージは短剣を手に戦闘態勢を取る。


一定距離まで近づいたその魔物は、一度ピタリと足を止めた。


そして一拍置いた後、この森全体に轟く程の咆哮を上げ、その場から黒い風の残像だけを残して忽然と姿を消した。


いや、消えたのではない。移動したのだ。


全員が次に魔物に気付いたのは、そいつがサージの後ろに立っているその時だった。

「お、おい!なんだこいっ…!」振り向き様、サージは叫ぶが、魔物は無慈悲にその命を奪った。サージの悲鳴が響き渡り、魔物はいとも容易く、その片刃の腕で彼の体を横一閃にした。彼の命は呆気なく、その場で終わる。

血が飛び散り、サージの上半身は力なく崩れ落ちた。


「サ、サージ…!く、くそっ!…」

ヴァルガスは恐怖に駆られて声が漏れだす。

これまで幾多の戦いを凌いできた。当然人だけではない、魔物も相手にしてきたのだ。

こいつは今まで見たどの魔物より危険だと、たった数秒でありながらヴァルガスは確信していた。


魔物の背後に位置するヴァルガスは、ゆっくりと後退し、その先が森に続くとわかる苔にブーツの踵が触れた瞬間、森へ全力で走り出した。


サージが真っ二つになるのを見て、アーヴィンとレオは唖然としていた。

この二人もヴァルガス同様に余りにも危険な状況である事を認識していた。


「うわぁああああ!!!なんやあいつ!!ば、化け物!!!」

奥井は先ほどまでの混乱に重ねて、人が殺されるのを目の当たりにしてしまい完全に取り乱していた。


奥井の叫びが聞こえた事が原因か、魔物は次にアーヴィン達に迫り、歩き始めた。

アーヴィンとレオは応戦しようとしたが、すでに力なき戦士となった二人は魔物から発せられる風に当たり容易く弾き飛ばされる。魔物は奥井の目の前に立ち塞がり、以前として呻き声を呟いていた。


アーヴィンとレオ、この二人にはただただ恐ろしい呻き声。絶望の音だった。

しかし、この場にいる奥井だけは違った。


『憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ。許セナイ…誰モ…許サナイ…』


「なんや…なんやこの声…!」

奥井には目の前の化け物の呻き声が憎しみの言葉が聞こえていた。


『ハルレ…イ…憎イ…テオ…モット憎イ…全テガ憎イ…。』


「はぁ…はぁ…!なんやねん…何言う…てんね…」

奥井は恐怖に震え、余りの絶望感に再び気を失った。

魔物が意識のない奥井の足元に着く。

片刃の腕を持ち上げた。サージを殺したその片刃は依然、血で染まっている。

もうアーヴィンとレオは諦めるしかなかった。


しかし、魔物の片刃が止まった。

奥井が気を失い、倒れた拍子に落ちた学生証が開き落ち、一枚の写真が魔物の動きを止めた。


今度は本当の呻き声であった。

それは突如として苦悩している人間のように膝を着き、頭を抱えはじめた。

そして声は一層大きくなり、泣いているようにも見えた。


アーヴィンとレオは寸分の差無く顔を見合わせた。

何が起こっているのか理解が追いつかない、追いつきはしないが、今がチャンスだという事だけはわかる。

逃げるなら、今しかない。


「レオッ!!」アーヴィンが精一杯の声を張り上げる。


「アーヴィン!走れぇぇえ!!!」

レオは渾身の力で起き上がり、奥井の傍に駆けつけ担ぎあげた。

アーヴィンはレオと奥井の背中を見る形で後を追う。

魔物の様子が明らかにおかしくなったのは、奥井の懐から落ちたメモ帳のような物だと、

彼は気付いていた。

そして走りながら、そのメモ帳を拾い上げる。

魔物の呻き声が背後から聞こえる中、二人は必死に、全力で駆け抜けた。


後ろには苦悩する異形の魔物。

それは大きな大きな鳴き声なのか泣き声なのか、以前としてしゃがみ込み、頭を抱えているのだった。

徐々に距離が離れていき、遠目から見たその異形は、まさに人が何かに葛藤している姿のように見えた。


普段のレオなら男一人を担いでいても、そして普段のアーヴィンであれば多少の怪我を負っていても快活に駆け抜けていただろう。

ヴァルガス達との戦闘と災厄の衝撃によって彼らはもう限界に達している。

残っていたのはもはや生存本能だった。

突如現れたあの魔物への恐怖心が、目の前に差し迫ったあの絶望が、彼らの足を止める事なく動かし続け、この森の中をたどたどしくも全力で走り続ける。

自身の背後から聞こえる異形の魔物の呻き声は、なおも耳に残っているが、今はただ一刻も早く安全な場所へ逃げ込むこと、それしか考えることができなかった。


「このまま行くぞ、レオ!」アーヴィンが叫んだ。


「わかってるっ!この男、どうする…!!」レオが背負いながら気にかける。


「今はとにかく逃げろ!少しでも遠くへ距離を離すぞ!」

アーヴィンは前を見据えながら応じる。


ヤマタの森は夜は長い。昼間と違って一層暗く、薄暗い木々が視界を遮る。

足元の苔や枝が音を立てないように、より慎重に踏みしめなければならない。

だがそんな事は今の二人にとって論外であった。ひたすらに走った。

途中、奥井が意識を取り戻す兆しを見せてはいたが、すぐにまた気を失ってしまった。


アーヴィンとレオはお互いを鼓舞し、突き進んだ。

十分に距離は離れたであろうか、やっと村へ来る外敵から守る為の香炉が見えた。

帰ってきたのだ、ようやく安全な場所に。

村の近くまで辿り着いた二人はほっと一息ついた。先に見えるうっすらとした明かりが二人の安堵を深めた。アーヴィンにとって今までに無い過酷な一日。

明かりが見えた瞬間、込み上げるものを感じ、それをグッと堪えたのだった。


村の入口に到着する前にアーヴィンは立ち止まる。

「少し待っててくれ。俺が様子を見てくる。」


「ここは?」

レオは背負っていた奥井を一度下ろし、肩で組む形で体を支えた。


「すぐにわかる。大丈夫だから、ちょっと時間をくれ。」

アーヴィンはそう言うと、村の中に消えて行った。


しばらくして戻るアーヴィン。

「よし、行こう。」彼はそう告げた。


三人は村の入口に向かい、見張りをしていた村人が数人を連れてアーヴィンの姿を見つけて駆け寄ってきた。


「アーヴィン、無事だったのか!?ひどい怪我じゃないか…!」

血相を変えた見張りが叫ぶ。


「かろうじてまだ生きてるよ。」

皮肉とも取れるような冗談を言える仲である事がレオから見てもわかる。

アーヴィンなりに心配させないようにしたのだろう。


「それで…その二人は…?」


「後で説明する。まずは村長に知らせてくれ。」

見張りの村人はすぐに走り出し、村長の家に向かう。ほどなくして許可が出たのだろう見張りに連れられる形で村へ入る三人。


アーヴィンとレオは奥井を抱えながら、村の中心へと進み、村長の家に到着するとユカレイ夫妻がすでに待ち構えていた。


「じっちゃん…ただいま…。」

心配を掛けてしまったとユカレイに対して負い目を感じたアーヴィンは下を向き俯く。

彼がこれ程の怪我を負って帰ってきたことは一度もなかった。


「アーヴィン、お帰り。本当によく無事じゃった…。」ユカレイ村長が優しい表情でアーヴィンの頬に触れる。

アーヴィンはもう一度込み上げるものを堪えた。


「ささ、詳しい事は後にして、とにかく手当じゃ。中へ入りなさい。」

ユカレイは老体にも関わらず、アーヴィンに肩を貸そうと手を差し伸べる。


「うん…。この二人をすぐに休ませないと。」

アーヴィンはそう言うと、抱えた奥井を毛布を敷いた床に優しく寝かせるのであった。

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