1.アーヴィンの生活
深い森の中にひっそりと佇む村、ヤマタ。
この閉ざされた森の奥に位置する小さな村で、アーヴィンは生まれ育った。
周囲を取り囲む木々が太陽の光を遮り、常に薄暗く、しかし一本一本のその幹は何千年の樹齢であろうか、
とてつもなく大きな幹となり、その幹と地表には苔が綺麗に繁殖している。
この森は「不出の森」とも呼ばれ、一度足を踏み入れた者は、二度と出られない等と噂も流れ恐れられている。
しかし、この森こそがアーヴィンの生活の舞台であり、彼の日常なのだ。
ヤマタの森は非常に危険な場所であり、その危険性は常に彼の周囲に漂っていた。
森には猛獣や毒を持つ植物、さらには魔物と化し、余りにも巨体となった虫達が悠々と生息しているのだった。
足音を吸い込むような湿った土の感触が続き、遠くから聞こえる不気味な鳴き声が絶えず響いている。
故に森そのものが魔物化しているといっても過言では無く、
一歩間違えば命を落としかねない。
それでも、アーヴィンはこの森を自分のホームとし、その危険と向き合いながら生活していた。
彼の家は、木々の合間に建てられた小さな木造の小屋だった。
十数人の小さなコミュニティーではあるが彼にとっては家族同然である皆を守る為、
彼の家は比較的高い場所に建てられ、いつ外敵が来てもすぐに反応できるようにしている。
屋根は厚い苔で覆われ、雨風を凌ぐ。家の周囲には狩猟で得た獣の皮や、森で採取した果実や薬草が乾燥させられている。
アーヴィンの家は、彼が自ら手入れし、修繕してきた成果だった。
日課は早朝から始まる。
太陽がまだ地平線の向こうに隠れている頃、
彼は静かに目を覚まし、村の外れにある井戸で冷たい水を浴びる。
背中には痣のようなものが見て取れるが、しなやかに筋肉が付いている。
白銀の髪の毛はこの森で目立つためフードつきのマントを被る。
弓と矢、そして、腰には刃はついていない長さにして約45㎝程度の製鉄された細棒を腰に刺し、森の中へと足を踏み入れる。
交代制の見張りに挨拶を済ませ、村の周囲に配置された魔物避けの香炉を一つづつ交換していくのだ。
村人が起きる頃には村を離れ森の巡回と狩猟に出る。
狩猟は彼の主な生計手段であり、森の中で獣を狩ることは彼の生き方だった。
ヤマタの森には多種多様な獣が生息している。
彼はその動きと習性を熟知しており、幼少期から学んだ狩猟術を駆使して獲物を追い詰める。
弓の腕前は村でも右に出るものはおらず、どんな獣も大抵は逃すことがなかった。
狩場についたアーヴィンは森の北側で静かに待つ。獲物はレジャーカ。
木々の葉が、風に揺れる音や、時折落ちる枝の音が、彼の集中を高める。
空気は湿り気を帯び、腐葉土の匂いが鼻をついた。
アーヴィンは、周囲の動きを見逃さないように、鋭く耳を澄ました。
レジャーカ、それは鹿のような見た目をしており、雄は角が一本、雌は二本で体が大きく3m近くはある。
レジャーカの個体数は多くはないものの、一頭狩る事ができればヤマタの村の人数分の当面の食材を補うには十分だ。
ここまで来る途中、木々に付いている苔と樹皮が剝がれている箇所があった、レジャーカの角研ぎの跡だ。
近くにいるであろう獲物に気配を悟られてはすぐに逃げられてしまう。
アーヴィンは、さらに慎重にレジャーカを探す。
ーーーいた。
獲物はゆっくりと歩きながら、時折首を下げ地表の苔と草を食べているようだ。
こちらには気付いていない。
意を決し、アーヴィンが動こうとしたその瞬間、別の気配を感じ取る。
自分の体を支える右手方向に視線を向けると、自分の肩幅にもなる虫が幹にしがみつきながらこちらを見ていた。
突然の来客にアーヴィンは声が出そうになったが、こういう時ほど頭の回転は早くなる。
寸前の所で冷静に戻る事ができた。
『なんだよ、ミキモグラかよ…脅かすなよ!』
心底驚いた彼だがミキモグラが大人しい性格で人間に危害は加えない事を彼は知っている。
こちらの気配に気付いて巣を守る為に様子を見に来たといったところか。
『脅かしちゃったみたいだな、悪い。』
自分の心中を察したようにミキモグラはチチチッと小さな鳴き声を出し後ずさった。
アーヴィンは少し深めに一呼吸おいた後、改めてレジャーカの近くまで慎重に足を進めた。
ーーー
『ここからなら…。』
ある程度距離の離れた木の上から、準備していた音玉を地上に向けて投げる。
思い切って投げたこの音玉とは、中が空洞になっており、空気が通ると笛のような高い音が鳴るのが特徴の狩猟具だ。
驚いたレジャーカは音が聞こえたその瞬間、その巨体からは想像できない反射速度で音の逆方向へ走っていった。
『よし。』
レジャーカが走り出したと同時に彼もまた自分の張った罠場までの最短コースを枝から枝へ、飛び移りながら俊敏な動きで移動していく。
その身のこなしは一朝一夕では獲得できるものではなく、長年この土地で暮らすことで身に付いたスキルだとよくわかる。
罠場に到着すると、レジャーカはその巨体を地に着け、後ろ足にかかったワイヤーをなんとか外そうとしていた。
しかし力を込めれば込めるほどワイヤーの締め込みはきつくなり、レジャーカを苦しめる。
本来ここまで大きな獲物の場合、戦士クラスが獲物の頭に一撃を入れ、脳震盪を起こしている間に止めを刺す事が一般的だがアーヴィンは独りだ。
腰に携えた小瓶の中に矢じりを入れる。黄色い粘性の薬品のようなものを矢じりに塗布する、速攻性の麻痺薬だ。
「2本いるかな…。」
体が大きいという事はそれだけ麻痺を起こすまでに時間がかかる。
手慣れた手つきで準備を済ませると、すぐ様その麻痺矢を弓に掛けレジャーカを狙う。
その所作は流石は一流の狩猟者、弦を引き、放つ一連の動きは流麗に他ならなかった。
鋭くレジャーカを目掛けて飛んでいく矢は2発とも命中。レジャーカの腹側にしっかりと刺さっていた。
時間にして8分程度だろうか、逃げようとしていたレジャーカはすでに暴れる力は無く、
麻痺矢が効いているのだろう、目をパチパチと瞬きさせるだけであった。
レジャーカが完全に麻痺している事を確認した彼は、他の外敵がいないか注意しながらゆっくりと地上に降りる。
そして拾ってきた硬い枝に食材用の短剣を括り付け、しっかりと固定する。
簡易的ではあるが槍状にしてレジャーカの胸部を目掛け心臓を狙い、止めを刺すのだ。
「通すのが大変そうだな。」
アーヴィンは一呼吸おいて、ほんの一瞬レジャーカを慈しむ目で見た後、
槍を深く突き刺した。刺さった槍は厚い皮膚に阻まれ中々心臓には届かない。
大きく深呼吸をしたアーヴィンは力を込め直し、槍をさらに先まで突き立てる。
レジャーカの前後足が大きく一度痙攣を起こし、その命が途絶えた事を知らせたのであった。
アーヴィンはすぐさま慣れた手つきで血抜きの準備をする。
このサイズの巨体は当然だが一人で運ぶ事はできない。
血抜きまで行った後、村人達に運んでもらうのがいつもの流れだ。
「今日は音玉も鳴らしたし、すぐ来てくれるか。」
こうして自分とは別の命を頂戴する狩猟行為は、
自然界で生きる厳しさを、アーヴィンにその都度実感させるのであった。
ーーー
レジャーカの血抜きを終えた後、森は静けさを取り戻した。
再びその独特な雰囲気の中、アーヴィンはレジャーカの亡き骸を別の生物達に渡さない為に周囲を警戒していた。
ついでではあるが、ポーチ程度の大きさの布袋に食用にできる木の実を集めていく。
袋が丁度一杯になるのと同時に、少し離れたところから村人達の声が聞こえてきた。
音玉の音を聞いた村人たちが、レジャーカを引き取りにやって来たのだ。
「おーい!アーヴィーン!こりゃあ大物を仕留めたなーっ!」と、一人の村人が笑顔で声をかける。
「ああ、久しぶりのレジャーカだ、今晩の宴の主役になりそうだな。」アーヴィンも微笑みながら応じた。
村人たちは手際よくレジャーカの解体と運搬を始め、アーヴィンも手伝いながら一緒に村へ戻ることにした。
途中村人から、村長がアーヴィンの事を呼んでたと聞き、レジャーカの事は村人達に任せ彼は、一足先に村長の家へ向かうことにした。
家に着くと、村長夫妻は穏やかな笑みを浮かべながら、アーヴィンを迎え入れた。
ユカレイ夫妻、元々二人は冒険者で、この森に入った後そのまま出られなくなってしまい、
同じくして森から出られなくなった冒険者達を匿い、仲間を増やしつつここで生活するようになったのが始まりでヤマタの村ができたのだ。
今では歳を重ねただけの皺があり、
村人達に支えられながら、しかし一つ一つの事柄に決断を下していく立場にある。
この年になっても慕われているのは、やはり村人達を思いやる、その優しさなのだろう。
アーヴィンはユカレイ夫妻に育てられ、冒険者の知識と狩猟術を教え込まれた。
ここで生きていく為の親心である。本人もまた育て親だと、そう思っている。
「じっちゃん、ただいま。」
「おお、アーヴィン、今日はよく働いてくれたな。ありがとうよ…それでな…」
村長は感謝の言葉を述べた後、表情を引き締めた。
「呼んだのには理由あってな。実は先日、略奪者たちが森の中をうろついているとの情報が入ってきたんじゃ。
この村に差し出す物なぞ無いのじゃが、皆の事も心配じゃ、今夜の巡回は少し範囲を広げたほうがいいかもしれん。
他の皆にも伝えてはある、お前も気を付るんじゃぞ。」
アーヴィンは頷き、真剣な表情で村長の話を聞いていた。
「わかった。巡回は少しルートを広く取るよ。前回の災厄があった場所、
あの近くはまだ魔物も寄り付かないし拠点にしているかもな。合わせて偵察してみるか。」
村長は頷き、続けて言った。「んむ、村の安全はお前にかかっている。頼んだぞ。」
昼は狩り、夜はパトロール
その日の夕食は、村人達と共にレジャーカの肉を楽しんだ。
レジャーカの肉は非常に美味で、村人たちは久しぶりのご馳走に皆々喜びの声を上げた。
食事を終えた後、アーヴィンは再び装備を整え、夜のパトロール、巡回に出た。
夜の森は昼間とは違った危険が潜んでいる。
この森に慣れているものさえ迷わしてしまい、夜行性の魔物もいる。
気持ちを入れ直し、アーヴィンはまた、木から木へと駆け抜けるのだったーーー
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