第2話男子高生バディと橋の下の怪談

 その日の昼下がり、雫と白眉の二人はいつものように教室の机を向かい合わせに置いて昼食の弁当を食べていた。

「しっかし購買の弁当ってメニューのバリエーション少ないよねぇ」

 白眉が焼き鮭を箸でつまみながらぼやく調子で言うと、同じような口調で雫が返した。

「大体週でローテーションしてるからな。まぁ安いししょうがないだろ」

 雫が頬張った柔らかいとは言い難い唐揚げをもごもごと咀嚼していると、教室の入り口の方から妙なざわめきが伝わって来て、二人はそちらを振り向いた。

 そこにいたのは生徒指導の教師、加藤だった。五十がらみの男で体育の授業を兼任しており、背が高くガタイが良い。そのいかつい顔には滅多に笑顔が浮かばず、正直生徒からの評判はよろしくない。しかし今日はその顔を妙に元気なくしょぼしょぼとさせて、雨宮雫と天元白眉はいるか、と張りの無い声で言った。天元白眉はあまもとはくびと読む。改めて変わった名前だと雫は思う。

「はい」

 雫は良く通る声で返事をするとまっすぐ加藤を見た。こういうときに物怖じしないのが雫の凄いところだと白眉などは思っている。

「雨宮です」

 そう言って立ち上がりかけた雫を加藤は手で制した。

「食い終わったら職員室に来い。天元もだ」

 加藤はそれだけ言うと背を丸めたまま戸を締めて帰って行った。

 二人は顔を見合わせた。相手は生徒指導の教師だ。何かやっただろうか。そう思ってふたりして同じ事に思い当たった。

「……多分あれだよね?」

 すっかり萎縮した白眉がしおしおと雫に聞く。

「まぁあれだろうな」

 雫は平然としている。

「……屋上に忍び込んだやつ?」

「多分そう」

 そういうことが先日あったのだ。屋上の幽霊の姿を見る為に二人して屋上に上ったのだ。確かに校則で禁止されている行為だ。だが。

「……それだけで職員室に呼ばれるかなぁ」

 白眉はすっかり元気をなくして弁当をつついている。

「それなんだよな。僕たちのほかにも屋上に上がったやつらはいるはずだし」

 反対に雫は食べる速度を上げてもりもりと弁当を平らげている。それを見て白眉も慌てて弁当を食べにかかった。とにかく昼休みが終わるまでに職員室に行かないといけない。時計を見るとあと十五分ほどしか無かった。


 *


 もじもじしている白眉を尻目に雫はがらりと遠慮無く職員室の戸を開けた。白眉がほのかに尊敬のまなざしで見守る中、雫はゆっくりと職員室の中を見渡すと生活指導の加藤の姿を見つけ、失礼します、と澄んだ声で言うとためらいなく加藤に歩み寄った。白眉が小声で失礼します、と後に続く。

 加藤は雫たちに気付かずなにやら一心に何も置かれていない自分のデスクに目を落としていたが、雫が横から先生、と声をかけるとはっとしたように顔を上げた。

 どことなく加藤はおかしかった。表情に余裕がなく、目の下には隈があり、落ち窪んだ目がきょろきょろと動いている。加藤は二人を見て、唐突に言った。

「お前ら、オカルトとかに詳しいらしいな」

 言ってから自分の言葉の唐突さに驚いたような顔をして、いや、生徒たちの噂で知ったんだが、とぶつぶつと付け加えた。

 どうも、おかしい。いつもの加藤と違う、いつもはもっと尊大で、嫌なやつだったはずだ。雫と白眉はちらちらと視線を交わし合った。

「それで、頼みがあるんだが」

 雫は内心で軽く驚いた。あの加藤から頼み、とは。

「お前らの知り合いに、その、除霊とかできるやつはいるのか……?」

 二人は今度こそ本気で驚いて顔を見合わせた。除霊?

「……いませんけど」

 少しのためらいの後に、雫が言った。確かに二人ともオカルト好きだがそういう知り合いはいない。

 加藤はみるみるがっかりとして肩を落とした。そのままデスクの上でうなだれる。

「……なにかあったんですか」

 少し踏み込んで質問をした雫を心配そうな顔で白眉が見ている。気付けば職員室中がしんとして事の成り行きを伺っていた。教師達が白い目でちらちらと加藤を見ている。

 加藤はしばらく黙ってから言った。

「……最近気が付くと橋にいるんだ。深沢橋の橋の上で」

 とつとつと話出した話はやや支離滅裂だったが、内容を纏めるとこうだ。


 曰く。

 夜眠ると毎日悪夢にうなされる。

 うなされて目が覚めると布団の上で寝ていたはずなのに何故か深沢橋の橋の上にいる。

 目覚めた自分は橋の上から下の川を見ていて、もう少しで飛び降りようとしている。

 いつも裸足にパジャマの格好。

 夢遊病を疑い医者にも見て貰ったが良くならない。


「……その、悪夢の内容っていうのは?」

 話を聞き終わると雫が質問した。すると加藤はいきなり顔を思い切り顰めて逸らした。

「夢は関係ない。……たいしたことじゃない。良く覚えてない」

 雫と白眉は横目で視線を交わし合った。何かある。

「でも、なにか少しくらい」

 雫が言いかけるといきなり加藤は机を激しく叩いて激昂した。

「関係ないって言ってるだろう!!しつこいぞ!!」

 その剣幕に白眉は思わず目を瞑ってしまったが雫は淡々と続けた。

「じゃあいいです。夜見ていてくれる人は居ないんですか?家族とか」

「……一人暮らしだ」

「じゃあ家具に家具に体を縛り付けるなりして夜は外に出ないで下さい。一応こっちでも調べてみます。橋に何かあるかどうか」

 てきぱきと話をまとめた雫を加藤はぼんやりとした顔で見て、やがて、頼んだ、と呟いた。

「じゃあ失礼します」

 雫はさっさと職員室を出て行き、最後までおっかなびっくりだった白眉もその後に続いた。引き戸を閉めると白眉は肩を落として、は〜っとため息を漏らした。

「しずく、お前、怖いもんとかないの」

「あんまりないかな。ムカデとかは怖いよ」

 平然としたものだ。

「それより良いネタが拾えたな。橋の上の幽霊。いや、いるのは加藤だから幽霊じゃ無いか」

 教室に向かって歩きだす。白眉も後を追う。

「調べてみるって、何調べるの?」

「まず深沢橋の噂の収集だな。あと……」

 そこで午後休憩の終わりを知らせるチャイムが鳴った。

「まぁ後は放課後だ。僕は橋より加藤本人が怪しいと思う」

 それだけ言うと雫は教室に向かって走り出した。

「やる気満々じゃん……」

 白眉は思わず苦笑したが、興味があるのは白眉も同じだ。待ってよ、と声を掛けると雫の後を追って走り出した。


 *


 放課後になって二人は行動を開始した。

 放課後と言っても学内にはまだ結構な生徒が残っている。こういうときは白眉の顔の広さが役に立つ。どのクラスにも大抵知った顔がいる。各教室を片っ端から当たっていったが橋の上の幽霊については特に噂はなかった。しかし生活指導の加藤についてはちょっとした噂があった。最近ある生徒とトラブルがあったらしいのだが、白眉繋がりの男子たちはそれ以上良く知らないらしかった。

「こりゃ噂屋さんに聞くしかないかなぁ」

 白眉は気乗りしない顔で頭を掻いた。

 噂屋さん、というのは放課後の視聴覚室を根城にいつも遅くまで残っている女生徒たちの事だ。常にコロンの匂いをさせて皆ぱっちりとした二重をしている。全員似たような髪型をしているせいで雫などは誰が誰だか良く分からないのだが、白眉は区別がついているらしい。

 噂屋さんは各方面の噂に精通しているのだが、噂を聞くには代価が必要になる。たとえば白眉が二時間ほど安いファミレスに拉致されてドリンクバーを奢らされるとか。カラオケに拉致られて行って朝まで帰って来られないとか。

「ま、がんばれ」

 雫は軽く言って白眉を送り出した。噂屋さんたちは顔とノリの良い白眉がお気に入りで、地味なタイプの雫はお呼びではない。

「カラオケオールコースじゃないことだけ祈っといて~」

 悲壮な面持ちで視聴覚室に向かう白眉を見送って、雫は教室の自分の机でもう一度スマホで深沢橋の情報を検索していた。すでにやっていたことだったが念の為だ。

「……あの」

 ふいに呼びかけられて雫は顔を上げた。目の前には一人の女生徒が立っていた。黒髪を肩辺りまで伸ばしている一見すると地味な感じの女生徒だ。洒落っ気のないフレームレスの眼鏡をかけている。

「……はい」

 雫は何となく間の抜けた返事をした。女子が自分になんの用だろう、という心持ちだ。雫だってたまには下駄箱に時代錯誤なラブレターを突っ込まれる程度には(主に内気な女生徒を中心に)モテているのだが、そのすべてを嫌がらせだろうで済ませているせいで本人に自覚はない。

「……加藤先生のこと、調べてるんですよね」

 その女子は言った。どこか思いつめたような口調だった。

「……そうだけど。……何か知ってる?」

 雫の声にその女生徒は弾かれたように顔を上げて、雫と目が合うと慌てて俯いた。

「……弟の、友達の話なんですけど」

 懸命に言葉を纏めるような沈黙の後、女生徒は小さな声で話し出した。

「一年の、春田くんっていうんですけど。弟の友達で。……加藤先生に虐められてたみたいなんです。それで学校に来なくなっちゃって」

 雫は黙ってその女生徒の話を聞いている。

「学校に来なくなる前、春田君、言ってたらしいんです。加藤に復讐してやるって……」

 雫はふーむと唸った。

「その、復讐してやるって具体的にはどういう」

 そこまで言った所で白眉がばたばたと入り口から駆け込んで来た。

「や~参った参った。情報あったよーファミレスお食事コースで済んだ」

 女生徒は白眉の姿をみるやはっとして怯えるように身を翻して走り去った。

「……?おじゃまだった?」

 ため息を吐いた雫に、状況が飲み込めていない白眉が首を傾げた。


 *


 下校時間が近づく夕暮れの教室で二人は持ち合った情報を検証しあっていた。

 白眉が噂屋から持ってきた情報は、他ならぬ春田の噂だった。

 どうやら最近になって深夜二時頃、深沢橋の辺りを通りかかると川の土手から橋の下に降りていく春田の姿が目撃されるようになったらしい。

 見かけた人間は一人や二人ではなく、夜遊びをする生徒複数人から目撃証言があるらしい。かなり頻繁に春田は橋の下に通っていると思っていいだろう。

「橋の下になにがあるんだろうね」

 白眉が校内の自販機で買ってきたミルクコーヒーを飲みながら言った。

「それと加藤の夢遊病と関係があるかどうかだよな」

「春田くんは加藤に恨みがあった訳でしょ?橋の下で……丑の刻参りでもしてる?」

 白眉が首を傾げる。雫は無糖のコーヒーを一口飲んで言った。

「丑の刻参りは神社だろ。橋の下で……呪いの儀式でもしてる?」

「呪いで夢遊病になるかなぁ……俺としては大いになってほしいけど」

 白眉は生活指導の加藤があまり好きではない。虐めをするやつはもっと好きではない。根っからの平和主義者なのだ。

「それで死んだら洒落にならないだろ。加藤は橋から落ちて死にかけてるんだぞ」

「そうだよね。殺すのはやりすぎだよね」

 白眉は素直に頷いてミルクコーヒーを飲んでいる。

「そもそも呪いだってやって良い事ないだろ。虐められてたにしてももっと建設的なやり方がある」

 白眉はそうだね、と頷いて、でも、と続けた。

「春田くんの気持ちも分かるなぁ。やり場のない思いってあるじゃない」

 雫はうん、と軽く頷いて考えた。確かに現実ではどうしようもない気持ちはある。それを呪いという方法で発露させたくなる気持ちもわかる。でもそれはせいぜい頭の中で相手の不幸を願う程度で、現実になにか儀式をやったりしてはやはり駄目だと思うのだ。雫はため息を吐いて言った。

「まぁ、実際春田が橋の下で何やってるのか突き止めないとな」

「行く?橋」

「行く。何時だっけ」

「深夜二時」

「さすがに親になんか言われるよなぁ」

 ふたりとも親が共働きで帰りは夜になる。門限があるわけでもない緩い家庭だがさすがに深夜二時に家を出るとなると一悶着ありそうだ。

「親にはカラオケオールすることにしてファミレスで時間潰さない?」

「そうだな、それがいいかも」

 夜遊びはいい顔をされないがカラオケオールというと何故か許可が出る。放任と言えば聞こえが良いが二人とも緩い家庭なのだった。


 *


 深夜一時。

 二人は深沢橋と道路を挟んだ小さな商店の軒先に居た。

 商店はもう閉店しており近くに街灯もない。辺りは閑静な住宅街で人気はなくひっそりとしていた。

 私服に着替えた二人は暗闇に紛れやすいようにと揃って黒っぽいモッズコートを着ており、遠目に見ると兄弟のように見える。だとすれば頭一つ背の高い白眉の方が兄だろう。近くで見ても二人とも色が白く割と顔立ちが整っているので見る人によっては兄弟だと思うかもしれない。

「あと一時間か-」

 白眉がぼやく。もう十一月だというのに吐く息が白くならない程度には暖かい。

「ことしあったかすぎだよね。去年だったらもうダウン着てたよね」

「なんか年々あったかくなるよな、日本」

 などと特に中身のない話をしながら待つこと小一時間。

 果たして春田らしき人物は現れた。小柄な体を黒いスウェットで包み、猫背に早足で歩いてくる。風貌は昼間春田の友人に貰っておいた春田の写真と顔も一致する。春田は川沿いの砂利道に入ると川に沿って歩き出した。二人は目配せをしあうと無言で春田の背後から間合いを空けて砂利道に入った。

 川沿いに少し歩くと、春田は周囲を確認する事もなく慣れた様子で土手の茂みの中に分け入った。深沢橋のすぐ手前だった。

 二人は十分な距離をとって春田の後を歩いていたがこのままだと春田の土手に降りた地点を通過してしまう。

「どうする?」

 白眉が小声で聞く。

「このまま、何気ない感じで会話して歩いて」

 小声で囁き返して、

「そういえば冬休みどうする?バイト?」

 とわざとらしくない程度の声色で雫は話しかけた。

「ん~今年はバイトは良いかなぁ。ごろごろしたい。お前は?」

 同じくさりげなく白眉が答える。雫、という名前は呼ばない。

「僕はちょっと欲しいものあるからバイトするかな」

 などと話をしながら橋を通りすぎて、反対から橋の下が覗ける程に距離が稼げてから雫は白眉のコートの裾を引っ張って土手に生い茂っている腰丈ほどの雑草の中に引き入れた。そこでじっと二人、身を低くして身を隠しながら視界ぎりぎりの遠くに見える橋の下に目を凝らす。

 橋の上からの街頭の光を川面が反射して、橋の下は影絵のように切り取られて見えた。その中で春田が何かしていた。うずくまってごそごそと動いていたかと思うと、一方向に向かってじっとしている。その先に何があるのか見ようとしたが丁度茂みの影になっていて見えなかった。

「なにしてるんだろう」

 半ば呆然と白眉が呟き、雫はしっ、と唇に指を当てた。

 やがて春田はのろのろと川の土手を上がり、元来た道を早足に帰っていった。二人は草むらに身を潜めたままそれを見送った。

「……なにしてたんだろ」

 春田の姿が見えなくなって、ようやく土手の茂みからその背の高い体を伸ばしながら白眉が言った。

「……何してたんだか見に行くぞ」

 一方雫は川に向かって斜面になっている草むらを中腰のまま橋の下へと向かった。

「えっまってまっていくの」

 背後で白眉が慌てた気配に雫は振り返る。

「行くに決まってるだろ。お前はここに居てもいいぞ」

「……えー……いくよー……行きますよー……」

 雫は温情で言ったのだが白眉は嫌みとして受け取ったらしい。行くに決まってんでしょ、と恨みがましく言いながら後ろを付いてくる。

 斜面のある草むらを苦心して歩いて、春田が何かしていた所までようやく辿り付いた。

 

 そこには、祠があった。


 祠、と言っていいものか。

 それは、段ボールで出来ていた。

 それは、ガムテープで補強されていた。

 それは、ブルーのレジャーシートの上にテープで固定され、レジャーシートの上には大きめの石が幾つも置かれて固定されていた。

「……なに?これ?」

 白眉が率直な意見を言った。雫も同意見だったが、それは橋の下とはいえ風雨に晒され半ばひしゃげかけ、黒ずんで妙な存在感を醸し出している。

 少々の抵抗はあったが雫が触れてみると段ボールは夜露で湿り、固定しているガムテープも何度も剥がれたのを無理に貼り合わせてある。工作としては元は見事なものだったのだろう、三角の屋根の下に何かを祀ってあるらしい少し奥まった空間があり、その手前に真新しい器に盛られたペットフードのようなものがあった。

 雫は嫌な予感がした。器をどけると祠の奥に手を差し入れた。後ろで白眉が息を呑む音がした。

 雫は黙って祠の奥にあったものを取り出した。

 小さな骨壺だった。

 まるで人間のもののミニチュアのようだった。白い飾り布で覆われ、紐で飾られていた。

「それ……なに」

 白眉が顔をしかめている。暗闇の中で川面から反射した光に照らされて、骨壺はほんのりと光っているように見えた。

「骨壺だよ。ペットの」

 なんでもないように雫は言うとそれをコートのポケットに入れた。ポケットに入る程のちいさな骨壺だった。

「祀ってたんだ、これを。神様として。こんなものを」

 言うなり雫は段ボールの祠を足で踏み壊した。湿気と経年でひしゃげかかっていた祠はひとたまりもなく倒れた。それをさらに丁寧に足で踏み潰しながら雫が言う。

「自分のペットを神にして願ってたんだよ。先生が死にますようにって。自分のペットを」

 雫の腹の中に冷たい怒りが渦巻いていた。その怒りをぶつけるように祠を丁寧に潰すと敷かれていたレジャーシートの上の石を蹴り飛ばした。つま先が痛んだがどうでもよかった。見かねて白眉が止めた。

「しずく、しずく、もう壊れたよ。もう大丈夫だから」

 雫は収まらなかった。

「ペットを、自分のペットをこんな風にするってあるか?こんな、呪いの道具になんか!」

 雫は名も知らないそのペットが不憫で堪らなかった。死んだら天国に行くんじゃないのか。少なくとも飼い主くらいは、そう願ってやらねばどうする。

「……雫、これはお寺で供養して貰おう、どっか、ネットで探して」

「これは僕が供養する」

 荒い息を吐きながら祠を破壊し尽くした雫は言った。

 あっけにとられた白眉にポケットから骨壺を取り出して見せる。片手に収まってしまう程の小ささだ。

「ペットの冥福を祈るのは人間の義務だ。飼い主が出来ないなら僕がやる」

「……祟られたりしない?」

 怖々と聞いた白眉に雫は笑って見せた。

「僕が祟られたらその時は寺で見て貰ってくれよ。ネットで探して」

 実際ネットでそんな寺が見つかるのか分からなかったがそれで良かった。この骨をこのままにしておく事は出来ない。

「雫、お前ってさぁ」

 帰り道、がさがさと藪を漕いで土手を上がりながら白眉が言った。

「なに」

 雫が答える。

「男前だよな」

 その、からかいとも尊敬とも言えない言葉の響きに。

「いつものことだろ」

 軽い自虐を込めて雫は返した。

 ポケットに入れた骨壺は重く感じたが他の誰にも譲る気は無かった。


 *


 数日後。

 体育の授業の終わりに二人は担当教師である加藤に呼び止められた。

「あの事だけどな、助かったよ、治った。お前らがなんかしてくれたんだろ。夢も見なくなった」

 加藤は一気に言うと二人に向かっていきなり頭を下げた。いつも威圧的な加藤の奇行に周囲の生徒が驚いたように足を止めている。

 顔を上げた加藤は確かに顔色もよくなり目の下の隈も無くなっている。

「どんな夢だったんですか?」

 雫が問いかけた。白眉が心配そうな顔でその顔を見る。加藤ははっきりと戸惑いの表情を見せた。

「春田君の夢ですか?」

 雫が追い打ちをかける。加藤の戸惑いが恐れに変わった。

「な、なんでそれを」

「春田君は先生を呪ったんですよ」

 はっきりと雫はそう言い放った。加藤は顔色を無くしている。

「虐めてたんですよね、春田君のこと。だから春田君は先生を呪ったんです。それで先生は夢遊病になった」

「で、でも」

 どもりながら加藤が言う。

「呪いはお前達が解いてくれたんだろう?もう大丈夫なんだろう?」

 怯えている。橋から飛び降りさせられそうになっただけでなく、よほど恐ろしい夢を見たのに違いなかった。

「呪い、解けてないですよ」

 何でも無いことのように雫が言った。加藤は絶句した。

「春田君、引っ越したじゃないですか。だから一時的になくなったんじゃないですか」

 どうでもよさそうに雫は続けた。

「だからまた先生が誰かを虐めるような事があれば、復活するかも知れませんね、呪い」

 春田が引っ越したというのは事実だ。登校拒否から精神を病んだとかで母親の実家の方に行ったという噂だ。だが呪いの方は。

 加藤はまた不調がぶり返したように青い顔で下を向いている。雫はどうしていいか分からないでいる白眉の背を押して、行こうか、と加藤を置いて歩きだした。

「……ちょっと、いいの?雫」

 加藤から少し離れたところで白眉は雫に囁きかけた。

「いいんだよ。あいつの自業自得なんだから」

 雫はにべもない。

「でも呪いは」

「解けたかどうかわからないだろ?」

 嘘は言ってない。と雫は肩をすくめた。

「骨壺は?どうしてんの?」

 下駄箱のところで靴を履き替えながら白眉が聞く。加藤はまだグラウンドで立ち尽くしている。

「供養してるよ、僕なりに。宗派とか分かんないから適当だけど」

 雫は自分の部屋に置いてある名も知らぬペットの骨壺を思い浮かべながら言った。骨壺は日の当たる窓辺に置いて、毎朝少しの白いご飯を供えて手を合わせる事にしている。雫にも良く分からないが取りあえず呪いは収まっているらしい。

 加藤は呪いの被害者でもあるが元々の発端は加藤が春田にした虐めだ。お陰で雫がペットの供養までさせられているのだからこれくらいの意地悪は許されるだろう。

「骨、雫のうちにまだあるの?埋めたりしなくて大丈夫?」

 白眉があからさまに嫌そうな顔で言う。多分心配してくれているのだろう。雫は少し考えて言った。

「そもそもなんで今の状態で呪いがおさまってるのか分からないだろ?下手に埋めて、また呪いが出てきたら困るし」

「え、じゃ、埋めないの?」

 白眉が焦って言った。

「とりあえず呪いはおさまってる訳だからな。現状維持が無難だろ」

 人ひとり死ぬ事に比べたら毎朝のお供えくらいなんともない。そう言った雫に白眉はなんとも言えない顔でため息を吐いた。

「雫ってさぁ……」

「なに」

 歩き出しながら答える。白眉が後ろから付いてきて横に並ぶ。

「男前だよね」

 雫は顔を逸らした。

「どういう意味だよ」

「いや男前だよ。俺にはできないもん」

 白眉は何故か嬉しそうにそう言う。

「急に何だよ薄気味悪いな」

 冗談交じりに雫が言うと、えっひどい、と白眉が声を上げた。

「褒めたのにひどいなー」

「僕褒められたの?今」

「褒めたよ。尊敬する。雫のそういうとこ」

「お前に尊敬されてもなぁ」

 その言葉に白眉が笑う。つられて雫も少し笑った。廊下には呪いなど知らぬ気に白い冬の日差しがいっぱいに差し込んでいる。


 余談だが、加藤はそれ以来人が変わったように穏やかに、というより気を遣った風に生徒と接するようになり、事情を知らない生徒からはたいそう気味悪がられたらしい。


 一方、春田がどうなったのかは、それ以降誰も知らない。

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