魔女の力は突然に

碧衣 奈美

第1話 魔女になってる

 ある朝。

 目が覚めたら、シャスディは魔女になっていた。

 わし鼻になっているとか、衣装が全身黒ずくめになっているとか、爪が異様に伸びて尖っているとか、ねじれた杖を持っているとか、先の折れた三角の帽子をかぶっている、みたいに外見が変わった訳ではない。

 格好は、昨夜寝た時のまま。頭に赤いリボンを付けた白ねこ柄の、お気に入りパジャマだ。

 ベッドから立ち上がってみても、見える景色の高さは変わらない。つまり、身長は同じだ。十六才らしい、若さあふれる身体は変わっていない。

 鏡をのぞいてみても、そこに映る顔は見慣れたもの。黒く長い髪は、寝起きのせいで所々はねているが、ブラッシングすればすぐに真っ直ぐのつやつやになる。

 濃い青の瞳は、大きくて丸い。まさに、つぶらな瞳、だ。顔のパーツの中では、この目が気に入っている。

 高すぎない鼻。厚くも薄くもない、今はまだ少し血色がいまいちのくちびる。どれも変わっていない。

 それでも、シャスディには「自分は魔女になった」という、自覚みたいなものがあった。自分の中に魔力があって、何でもできる、という確信みたいなものだ。

 どうして、こんな風になったんだろう。実はうちの家系は魔女の家系で、突然力が解放され……なーんてことはないか。

 じゃあ、神様からの贈り物? あたし、そんなにいい子だったかしら。ま、くれるってことなら、それでいいか。

 与えられてこちらが嬉しいものは、素直にもらっておこう。

 シャスディは、気楽にそう考えた。

 だいたいが、深く考える性格ではない。よく言えば、おおらか。悪く言えば、面倒くさがりだ。

「シャスディ、いつまで寝てるの。遅刻するわよ」

 階下から母親の声がして、シャスディは時計を見る。もう七時四十五分!

「うわぁっ。今からじゃ、朝ごはんなんて食べてらんないじゃない」

 顔を洗って、着替えをして、朝ごはんを食べて、歯を磨いて……どう少なく見積もっても、支度したくに十五分はかかる。がんばっても、十分。

 髪を振り乱しながら走って学校へ行くのはいやだから、いつも八時までには家を出る。

 そうしようとすると、とても五分以内に朝ごはんを食べるなんて無理だ。でも、朝はちゃんと食べたい。シャスディは、朝ごはんをしっかり食べる派なのだ。

 だからと言って、食パンをくわえながら走る、なんて古典的なことはしたくない。……古典的以前に、そんなことを本当にしている人が現実にいるのかどうか。

「あ、そうか」

 慌てることはない。自分は魔法が使えるのだ。こういう時に利用させてもらえばいい。

 呪文が頭に浮かんでくる様子はないので、シャスディは念じてみる。


 三十分戻れ。


 確証はないが、これで時間が戻ったはず。

 時計を見れば……本当に戻っていた。

 これで支度もできるし、朝ごはんもちゃんと食べられる。

「やったね。あ、でも……まさか、あたしの部屋の時計だけが戻ってる、とかじゃないでしょうね」

 初めて使う魔法なので、ちょっとばかり不安がある。魔力があっても、魔法としてちゃんと術が発動するかは別問題だ。

 シャスディは急いで下へ降り、映っているテレビに表示されている時刻を見た。

 ちゃんと、七時十五分になっている。

 家の時計ではなく、全国に放映されている番組の時計なのだから、これは絶対に正確なはずだ。

 つまり、ちゃんと時間は戻っている。

「シャスディ、早くしなさい。遅刻するでしょ」

「大丈夫よ。まだ時間あるもん」

「え……あら、本当……」

 母親が時計を見てちょっと不審そうな顔をしたが、やはりテレビの時計表示を見て納得した。生放送だから、間違いない。

「四十五分だと思ったんだけど……」

 母親のつぶやきは聞こえないふりをして、シャスディは洗面所へ行って顔を洗った。

 えへ、なかなか便利な力ね。チート能力ってやつかしら。魔女って、すごい。

☆☆☆

 時間を戻したおかげで、シャスディは余裕でいつものように登校した。

 今は夏に入りかけ、という中途半端に暑い季節。朝はまだよくても、走ればやはり暑くなる。

 そういうことをしないで済んだシャスディは、朝からご機嫌だ。

「おっはよー」

 明るくクラスメートと挨拶する。

 自分には他人にない力があるんだ、と思うだけで、妙に自信がわいてくるような気分になるから不思議だ。

「シャスディ、いいことでもあったの?」

 いつも一緒によくしゃべるケイティが聞いてきたが、シャスディは

「ちょっとね」

 と言って、ごまかしておいた。

 たとえ友達でも、黙っておかなきゃ。どうしてこの力を手に入れたのかわかっていないし、ばれたら魔力がなくなるってことだってあるもんね。

 昔の物語などでは、正体がばれた魔女は退治されたり、それまでいた街から追放されたりと、あまりいいことがない。

 魔女狩りだの、魔女裁判だの、現実に怖いことがあった、というのも何となく聞いたことがある。

 今時のストーリーだと共存するような話もあるが、敵となりうる存在が現れて大変な目に遭う、というものも多い。

 物語だからそういう展開にしないと面白くならない、というのもわかるが、現実にそうなるのはごめんだ。

 もし街から追放されたりなんかしたら、シャスディは行く所がないので困る。追放された場合、家族はどうなるのだろう。

 追放はないとしても、魔女について調べているという、やっばいオカルト好きな研究者なんかがやって来て、気が付いたら解剖されかかっていた、というのもいやだ。

 魔法が使えるのだから、捕まっても逃げられるはずだが、そういう相手に限って魔法を無効化する何かを持っていたりする。厄介な相手というのは、どこにでもいるものだ。

 ここは絶対、黙っておくに限る。ばれないように、いつもと同じような顔をして。

 昨夜見たテレビの話を友達としていると、シャスディは教室に一人の少年が入って来たのに気付いた。

 長身のクラスメートの彼は、シャスディの片想いの相手ウェルレイドだ。

 知らず、シャスディの顔がほころぶ。

 短い髪は、濃い栗色。髪色よりやや明るい色の瞳。その目は少し下がり気味で、大人になりきれていない犬を連想させる。低い声はソフトで、耳に心地いい。

 顔は世間的には十人並み、と言われるかも知れないが、そこは恋する少女のひいき目。上の中くらいのレベルだと思っている。

 ウェルレイドと知り合ったのは、高校に入り、同じクラスになってからだ。

 入学した次の日。

 シャスディとウェルレイドは、配布するプリント類を取りに職員室へ来てくれ、と担任から言われた。

 そういうことは普通、学級委員か名簿順でやりそうなものだろうが、入学二日目ではさすがに委員はまだ決まっておらず、気まぐれな担任が適当に指名したのである。

 やたらたくさんの冊子やプリントを渡され、閉口しながら二人で教室まで運んだ。

 紙もここまでかさばると、とんでもなく重い。手がしびれそうになってくる。この量を運ぶなら、せめて三人はほしいところだ。

 ここで落としたら、拾うのに一苦労するだろうなぁ。でも重いよぉ。

 心の中でシャスディが泣き出した時、ウェルレイドがプリントの束をふいに取り上げてくれた。おかげで、わずかでも楽になる。

 シャスディが、え? という顔をしてウェルレイドの方を見ると、彼は少しはにかんだ笑顔でこちらを見返した。

「重いんだろ? 女の子にはこの量、ちょっときついよな。先生ももうちょっと考えてくれればいいのに」

「あの、大丈夫? ただでさえ、たくさんあるのに」

 ウェルレイドは最初から、シャスディよりたくさんのプリントを持っていた。にも関わらず、シャスディの分をさらに取ってくれたのだ。

「平気だよ。女の子より力はあるつもりだし」

 この時のさりげないウェルレイドの優しさと笑顔は、シャスディが彼に恋をするには十分な要素だった。

 その時から、シャスディはウェルレイドにずっと片想いしている。

 同じクラスになって、数ヶ月。何気ない会話をしていると、向こうもまんざらでもなさそうな雰囲気はあるのだが……こちらの勝手な思い込み、ということも。

 脈なしでもアタックしてみてふられるより、向こうも好きでいてくれると思ったのにふられた、という方が恥ずかしい。

 そんなことを考えると臆病になってしまい、まだ告白できないでいる。

 よーし、ここは魔法を利用するしかないわよね。

「ウェルレイド、おはよう」

 シャスディはにっこり笑って、ウェルレイドに挨拶した。

 いつもは少しばかり恥ずかしそうに挨拶しているのだが、今朝は魔法がある、という自信のおかげで、堂々としたものだ。

「あ……おはよう」

 ウェルレイドは挨拶を返したものの、どこか面食らったような表情だった。

 それはそうかも知れない。いつも会うクラスメートの女の子が、やたらきれいに見えたのだから。

 どこか雰囲気が違って、女らしいと言うか大人っぽいと言うか。妙にどきっとする何かがあった。

 当然だ。シャスディが魔法を使っているのだから。

 今は自分にかけている。きれいに見える魔法を。

 学校にいるので制服を変えたり、化粧したりすることはできないが、それでも「いつもよりずっときれいだ」と思わせる魔法だ。

 絵にすれば、シャスディの周りだけ星やバラの花があるかも……。

 この調子でいけば、そのうち告白だって……ううん、告白されるのだって夢じゃないわ。

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