第50話 思い出を砕いたとき─②

 大学三年の夏休みに入った。夏休みあと二回。就職すれば、長期休暇はなかなか手に入らないだろう。

 朝早く起きて墓場へ向かい、掃除のアルバイトをする。それを午前午後と繰り返す。日差しは暑いというより、痛かった。

「おい、ハルカ」

 昼食を食べに家へ戻ると、慌てふためいた父が氷嚢を持ってきた。

「毎日毎日、墓掃除に行って、最近様子がおかしいぞ。何があった?」

「普通に、いつも通りだよ」

「顔色が悪くなるまでやるもんじゃないんだ。ソファーに寝ておけ」

 父はキッチンで経口補水液を作り、ストローを差して持ってきた。

 身体全体に行き渡り、失われつつある命の源が力を取り戻していく。

「フィンリーさんとこのアルバイトはどうしたんだ? 最近行ってないじゃないか」

「休みをもらってるだけだ」

「…………そうか。明日なんだが、本田さんたちと久しぶりに食事でもしないかって誘われてるんだ。大きなスイカをもらって、花火大会かあるから一緒に見ようって」

「…………俺も?」

「もちろんだ。父さん一人で行っても仕方ないだろう」

 殴られるか、罵倒されるか。どっちにしろ、足に鉛がついてしまう。

 祖父が生きていたら、孫のていたらくを見て何を思うだろう。おそらく投げ飛ばされる。力有り余る祖父の姿が容易に想像できた。




 太陽が隠れた頃、重い足を引きずりつつ、父と重箱弁当を持って愛加の家へ向かった。

 父、祖母、祖父、そして愛加。これが彼女の家族構成だ。そこには母はいない。いなくなった。事故処理された。殺人だった──少なくとも、愛加はそう思っている。

「ハルカ君、スイカ好きでしょ? 食べる?」

「いえ……俺は…………」

「せっかくだから食べなさい」

 愛加は長い髪を簪で留め、浴衣を着ている。縁側で端末を維持っているが、ケースカバーは真っ黒のものだ。

「愛加ちゃんに持っていってやれ」

  憂うつながらも頷いて、愛加の元へ行く。

「どうぞ」

 愛加は珍しく素直に受け取った。縁側に腰を下ろすが、愛加からは離れた場所。

 大きな花火が上がる。儚い閃光のあと、心臓を打ちつけるような音が心をえぐる。

 どこかで小さな子供が歓声を上げた。母親の笑い声、父の声。幸せそうな家族の世界。それを、愛加から奪ってしまった。

「幸せな家族が壊れた。今も夢に見る。夏休みに、家族で花火をしたり、宿題を見てもらったり、柔道で勝ったら喜んでもらえたり」

「うん」

「そろそろ、責任の取り方を教えてちょうだい。大学を卒業したら、どうするのか。独りぼっちの私を、置いていくのか」

「俺は…………、これからも…………」

 はっきり言えたはずの言葉が、喉につっかかる。未来を夢見るたびに、絶望と愛加と、上司の顔が思い浮かぶ。

 将来を繋げようとしてくれたフィンリー。迷い続ける手を無理やり掴まず、差し出した優しく少し冷たい指先。

 空一面を覆い尽くす花火が爆発音を鳴らしたとき、インターホンが鳴った。

 愛加の父が立ち上がる。彼女が廊下へ出たとき、なぜかハルカの父も席を立った。

──突然、夜分遅くに失礼いたします。こちらに、ハルカがいると伺いました。

──フィンリーさん。ようこそ。

──私用にお答え頂き、まことに感謝申し上げます。

 目の前が花開いた。ハルカは一目散に玄関へ走る。

「ハルカ、お久しぶりです」

「フィンリー……さん。どうしてここに」

「本田様のお家だと、正宗様より教えて頂きました」

 フィンリーは手に小さな紙袋を持っている。

「どうぞ」

「え、俺に? なんですかこれ」

「ハッピーバースデー」

 ハルカは重い頭を上げる。目の前がぼやけて見えづらい。

「それを渡したかっただけです」

「なんなんですか、もう。ヒーローですか」

「壁をよじ登ってまで私を助けようとするあなたの方がよほどヒーローかと」

「俺はフィンリーさんが好きで好きでたまらないだけです」

「奇遇ですね」

 よしよし、と体温の低い手が頭を撫でてくる。

「送っていきます」

 父に目配せすると、孫を見るかのようなやさしい目で見られた。

「ちょっと待って」

 愛加の手がハルカのシャツを掴む。

「ただの上司がわざわざ人ん家に来る?」

 シャツには皺が寄り、爪跡が残っている。

 ハルカの右手はフィンリーの左手に回ったまま、離れない。

「本田愛加様」

 フィンリーは手を繋いだまま、彼女の目をまっすぐに向けた。

「勇気を振り絞ろうとした者がここに二名、存在します。立ち止まったまま、人生を終えようとするのか、先を進もうとするのか。勇気を出すのに年齢も国籍も性別も関係はありませんが、遅くても早くても運命が変わる瞬間があります。私は……あなたに負けたくない。大切な人を守ろうと、共に歩みたいと勇気を出しました」

 心臓がはちきれそうだ。背中を押し、引っ張ろうとしてくれる人がいる。

「愛加、全部が終わったら、俺が出した答えを話すよ」




 街灯と花火の明かりは、慣れた景色を眩しくさせた。

「お元気でしたか? 少し焼けましたね」

「2か月ぶりです。ずっと墓掃除をしていました。……贖罪のために」

「好きでアルバイトをなさっているなら私が何か言うことはできません。ですが、お墓の掃除をしても、亡くなった人は戻ってきません」

 前に浴衣姿の女性二人とすれ違う。繋がった手を見て一驚しているが、気づいているはずのフィンリーは微塵も動揺を見せなかった。

「ちょっとだけ、聞いてほしいことが、あるんですが」

「ちょっとでなくとも、どうぞ」

「…………俺、愛加の母親を殺したんです」

 子供の笑い声は、人を幸せにもするしどん底へも落とす。今は、あまり聞きたくなかった。

「殺した、というのは?」

「中学生まで、俺と愛加の家は家族同然に付き合いがあったんです。今日、こうして集まりがあったのは中学生のとき以来でして。すごい暑い夏で、アイスが食べたかった。愛加の家の冷凍庫に入ってなくて、俺は食べたかったって言ったんです。そしたら、愛加の母親は『買ってきてあげる』とコンビニまで車を走らせました」

「ええ」

「事故にあったんです。トラックに突っ込まれて、即死でした。原因は向こうの信号無視」

「それが、あなたの言う『殺した』と何の関係があるのですか?」

「俺がわがままを言わなければ、愛加の母親は車で出かけることもなかった。愛加は俺を責めました。当然です」

「そんな彼女に対し、あなたはどのような対応をしたのですか」

「ひたすら謝りました。彼女は『殺したんだから永遠に罪を背負え、犯罪者』と」

 もう駅についてしまった。人でごった返していて、電車も遅れている。

「ハルカ、ホテルへ行きませんか?」

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