第46話 エデンの追放─③
黒いワゴン車に乗せられて、そのままどこかへ走り出した。
「未来と、どことなく雰囲気が似ています」
「俺は自分を産んだ人の顔は判らないので、なんとも返しようがないです。そろそろ目的を教えてもらってもいいですか? あとどこへ向かってます?」
「目的は……そうですね。君の保護です。場所は山梨にでも向かいますか」
できれば山梨は止めてほしかった。言ったところで話が通じる相手でもないので、ため息とともに無理やり溜飲を下げた。
「明確な場所は決まっていないんですか?」
「君の保護が目的ですから。どこでもいいんです」
「なら東京でもいいんじゃ」
「それだと未来に見つかってしまいますよ。山梨は僕の生まれ故郷でもあるから、少しばかり土地勘があるんです」
「あなたは、未来さんの旦那さん?」
「正解です」
「話を要約すると、未来さんから逃げるために俺を脅して山梨へ監禁するってことでいいですか?」
「ううん……ちょっとニュアンスが……困ったなあ。でも君にナイフを突きつけたのは事実ですから、すべてが終わったら僕を警察に突き出して下さい」
話が読めたようでいまいち読めない。
端末の明かりをつけると、アルバイトの時間まで残り五分を過ぎていた。
──すみません、ちょっと行けません。連絡が遅くなりまして、申し訳ございません。
──かしこまりました。体調不良ですか?
──すこぶる元気です。でも行けません。
上司からはそれ以上、返事が来なかった。
「警察に突き出す前に、殺されそうですけど」
「僕が殺し屋でしたら、とっくに英田君は殺されていますよ。こんな回りくどいことをしません」
「それもそうですね。保護って言ってましたけど、つまりどういうことなんです?」
信号が赤で止まった。ルームミラー越しに目が合う。
「未来か英田君の大学に電話をしたって本当ですか?」
「そうですね。こんな形でまさか産みの親と話すなんて思ってもみませんでした」
「未来が嬉しそうに話してくれましたよ。どこの大学の何科で、血液型や生年月日、その他もろもろ」
「個人情報って何なんですかね」
「本当に。今日、あなたと会うことも話してくれました。だから先に来ているであろう君と接触をしました」
「今ごろ探してるんじゃないんですか?」
「僕のスマホに連絡がびっしりです。殺してやるとも」
「え」
「ああ、すみません。英田君をじゃなく、僕を、です。いつものことなので、気にしないで下さい」
「ますますこんがらがってきます」
「彼女はね、病気なんです」
青信号へと変わる。長い、長い赤だった。
「ずっとずっと病気なんです。僕と付き合っていたのに、英田さん……正宗さん──君のお父さんと付き合って、結婚して子供ができた。しかも離婚したと僕の元へ戻ってきた。実際は離婚していなかった。何が本当で、何が真実なのか」
「よくある話ですが、男性がいないと生きられないタイプってやつですか?」
「それはあると思います。それに、さも真実のように嘘を吐く。嘘というのは聞いた僕たちの印象で、彼女は嘘を言っているつもりがない。吐いた言葉はすべて真実になるんです。あなたを英田さんに取られて……失礼、親権が英田さんになってから、未来はさらに発狂しました。自傷行為に始まり、死を尊いものと思い込む。ずっとずっと入院していました」
「殺し屋さんが彼女を支えていたんですね」
「支えていたのは僕の認識で、彼女はなんと思っていたのか。入院中、きょとん顔であなただあれって言われたこともあります。初めから僕の存在はなかったのかもしれません」
殺し屋は落ち着いた話し方をするが、未来の話になると少々子供じみた声になる。
「彼女は妊娠したんです。相手は多分、僕だと思うんですけど、星になってしまいました」
多分とつくあたりが悲しい。
「それから彼女は英田君に対する執着心がとても強くなりました。毎日息子に会いたいと泣き、親権は自分にあるのにどうしてとわめき、挙げ句の果てには君のアルバイト先や英田さんの実家へ行く始末です」
「……店に来たんですね」
殺し屋はごくりと唾を呑み、行き場を失ったかのように焦りの色が見えた。
思いのほか声が低くなってしまい、ハルカははっと顔を上げる。
「このような状況ですので、とりあえずあなたを保護しなければと思いました」
「殺し屋さんはよっぽど、未来さんが大好きなんですね」
「……今の話で、どうしてそう思えるんです?」
「俺を保護したのは、未来さんに犯罪を犯してほしくなかったからでは? 俺の心配なんてする必要はないですし。恋敵の息子ですよ」
殺し屋は軽く息を吐き、背中を丸めた。
「こう見えて、未来を愛しているんだ。昔ながらの知り合いでね、僕が絶望の淵に立たされていたとき、彼女が助けになってくれた。僕には彼女しかいなかった。刷り込みってやつですよ」
「ちょっと判る気がします」
足下が絶望で埋まっていたとき、助けてくれる人は一生の恩もできるし光り輝く者に見える。危ないのは、真っ暗で回りが見えなくなると、善人か悪人の区別がつかないのだ。手を差し伸べてくれた人は、誰でも神のような存在になってしまう。
愛に隠れた刷り込みは、好きでいなければならないという思い込みもある。ある意味洗脳に近い。
ハルカは窓の外を眺めながら、空腹との戦いを続けていた。
殺し屋と共に着いた先は、甲府駅近くのホテルだった。フィンリーと泊まったホテルとは異なり、ほっと息をつく。
ホテルの最上階へ上がった。キングサイズのベッドに、ソファーやテーブルもある。シャワーとトイレは別だった。
「いつまでかは判りませんが、しばらくはここにいてもらいます。未来はあなたを奪おうとしている。命まで持っていこうとする可能性がありますから、肝に免じて下さい」
「簡単に逃げられますけど」
「ええ、自由です。ですが、外へ出たら本物の殺し屋に狙われる可能性がありますよ」
「……とりあえず、お腹が空きました」
「ルームサービスはいつでも頼んで下さい。テーブルにある果物もどうぞ」
バナナ、キウイ、リンゴがカゴに入っている。リンゴには艶があり、余計に空腹を刺激する。
「夜にまた顔を出します。お題はこちらが持ちますのでご心配なく」
彼は出ていってしまった。
ハルカはひとまずソファーへ座り、ルームサービスで大盛りのカレーとコーラを注文する。
部屋へ運ばれてきた食事を平らげると、バナナも一本食べた。
脳に糖分が回ると、いくらか脱却方法を考えられるようになった。
殺し屋の話は言葉半分だったとしても、どこまでが半分にしていいものかと考えあぐねる。
アルバイト先や実家にも接触をしてきて、なおかつ大学まで調べ上げて電話をしてきた人だ。思い込めばすぐ行動力を起こし「学校に電話は困る」と伝えたときは「こうするしかなかった」と彼女は言った。基本的に「自分は悪くない」を通すタイプなのかもしれないと思った。
端末には誰からも連絡が入っていない。
昼食を食べた後は少し眠くなったので、ハルカはベッドへ横になった。
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