第40話 ホープダイヤモンドの絆─⑧

「血を継いだだけではなく、王妃が所有していた遺産を盗んだとまで言われました。いまだに見つからないホープダイヤモンドがあり、それをサンソン家が隠し持っていると」

「そんな話をフィンリーさんは信じたんですか?」

「実際のところ『わからない』としか答えようがありません。もしかすると先代が窃盗をした可能性がある。しかしそれを知る術はない」

「あったこともなかったことも証明のしようがないですよね」

「本当にその通りです。しかし、多感な年頃だった私は絶望を感じ、すべてを背負いました。いつか失われたホープダイヤモンドを見つけ出し、フランスへ戻さなければならないと。身勝手に背負った宿命ですが、血筋を知らなければ良かったとも思いません」

「フィンリーさん、家族と連絡は……」

 会話を遮るように、ドアが叩く音がした。

「何かご注文を?」

「いやいや、全然。誰だろ」

「ストップ」

 発音の良い「ストップ」を魔法のように唱えると、フィンリーはドアスコープから外を覗いた。

「最悪です」

「どうしたんですか?」

「逃げましょう」

「まさかマスコミ?」

「ある意味、マスコミより厄介な存在です」

「誰です?」

 外から呑気な声が聞こえた。「へいへーい」と「ボンジュール」だ。

 遮るフィンリーを制止し、ハルカも同じようにスコープを覗く。

 そこには、一人の男性が立っていた。紙袋にフランスパンを入れて、手で千切って食べている。

「やっぱり焼きたては最高だよね! 英田君、キミもどうだい? クロワッサンもあるよ!」

 ハルカは一度顔を上げ、フィンリーとドアスコープを交互に見る。

「あの、なんか俺の名前呼ばれてるんですけど。むしろ知られちゃってるんですけど」

「知られちゃってますね。気にせず非常階段から逃げましょう」

「ちょっと話をしようよー。そこにフィンもいるんでしょ? 大きな車の中でお茶でもどうだい? フィンの大好きな紅茶も用意してるんだ」

 フィン。フィンリーではなく、フィン。親しい間柄の呼び名だ。

 フィンリーと怪しげな男のどちらをとるか、の話ではない。

 向こうの話を聞いてからでも逃げるのは遅くないと判断した。

 鍵を開けてドアノブを回し、ほんの少しの隙間を作った。

「ハァイ! 話すのは初めてじゃないけど初めまして! エドワード・セーラスケルトというよ! キミは英田君だね? よく知っている、うん」

「セーラスケルト……もしかして、」

「お察しの通り、フィンリーの兄です。よろしく」

「すみません、英語はド下手なんです。フランス語は判りますか?」

 片言の英語で伝えると、男性はオーウ、と声を漏らした。

「日本語で話してって言わないあたり、気質は日本人のようだね。フランス人はどこへ行っても我を通そうとする」

 模範的で癖のないフランス語だ。これで意思疎通が取れる。

「フィンの兄ってところまでは聞き取れた?」

「それは大丈夫です」

「よし、なら行こう」

「行こう? どこへですか?」

「イギリスだよ。リムジンがあるから問題ないさ」

「フィンリーさん、どうします……って」

 フィンリーは窓を開き、外にある非常階段へ続く取っ手を開けようとしている。

「ちょっと待って下さい! 兄弟って言ってますよ」

「そのようですね」

「何があったか判りませんが、保護してもらいましょう! 俺たちの場所に直でここまで来てるんです。どこへ行ってもばれます。逃げるのはそれからでも遅くはない」

 フィンリーは判断が早かった。荷物を持ち直し、立ち上がる。毎度どちらのケーキを食べようか迷っている人物と同じとは思えない。

「フィン、久しぶりだね。元気にしていたかい? 英田君も判るように、フランス語で話すよ」

「リムジンはどこですか」

「つれないなあ。そうだ。中でワインなんかどう? 英田君ももう飲める年齢だよね?」

「紅茶がいいです」

「そうか。それも悪くない。フランスのスイーツをたくさん買ってきたんだ。一緒に食べよう。夕食はリムジンの中でとることになるけどいい? 簡単な調理はできるかい?」

「あ、料理ならできます」

「ハルカはお客様です。まさかやらせる気ですか?」

「だってフィンも僕も料理ができないじゃないか。何を寝ぼけたことを言うんだい? 英田君に任せるべきだよ。問題ない。材料は買ってある。さっき少し食べちゃったけどね」

「フランスパンですか? 良い香りがします」

「そうとも。フランスパンでサンドイッチを作ってくれたまえ」

「エド!」

 珍しく、フィンリーは声を荒げた。

 ハルカ君は驚いてフィンリーを見やると、バツが悪そうに目を伏せる。

「久しぶりの呼び方だ。さあ、行こう。リムジンは裏口に止めてある」




 エドワード・セーラスケルトと名乗った彼は、とにかくよく喋った。

 リムジンの中にはハルカとフィンリー、そしてエドワード。ハルカが返事をする前に、次の話題へと変わっていく。フィンリーは相づちすらせず、ハルカお手製のサンドイッチをひたすら食している。

「ちょっとちょっと、美味しいとか言ったらどうなんだい?」

「お腹が空いています。感想はあとで」

「いいですよ、そんな。俺の分も食べます?」

 皿にはまだたくさんのサンドイッチがある。チーズやハムを挟んだもの、ローストビーフ、甘いジャムを塗ったもの、シンプルにバターのみ。そしておともは紅茶だ。エドワードだけがワインを飲んでいる。

「エドワードさん、メールの送り主で間違いないですか?」

「せっかくのパーティーなのにそんな話?」

「俺にとってはパーティーより大事なことなんで」

「……キミ、情緒がないって言われない?」

「言われないですけど、自覚はあります」

「エド、説明なさい」

 これまで無言でサンドイッチを貪っていたフィンリーが、ようやく喋った。

「ハルカの連絡先をなぜ知っている」

「ちょっとほら、いろいろな方法で」

「ハッキングしましたね」

「そんなまさか! もうそんなことは知ってないよ! 神に誓って!」

「どうだか」

「僕って顔が広いでしょ? 人伝に聞いたんだよ。身内も知っているべきだしね、こういうのは」

「ハルカとあなたとでは一生出会うことのない縁です」

「でもそのおかげで英田君はフランスへ来られたわけだし。ね?」

 エドワードはハルカと距離を詰める。

 右側にいるフィンリーが少し距離を開けたので、右側へつめて愛想笑いした。

 ただこれであのメールはフィンリーの兄であるエドワードだということが判った。

 イギリスまでの道のりは長い。ハルカは食器を片した後、少しでも仮眠を取ろうと目を瞑った。

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