第36話 ホープダイヤモンドの絆─④

 フィンリーから渡されたものがある。スペアキーだ。

 アルバイトなのだから受け取れないと一度は断ったのだが、フィンリーは微笑んで受け取ってほしい、と渡してきた。

 返せとも言われてはいない。まだ繋がりがある。

 中へ入って電気をつけると、いつもと変わらない風景があった。荷物が片づけられてもいない。戻る、けれどいつになるか判らない、と間接的に伝えてきた。

 ハルカはいつも通りにまずはフロアの掃除をした。ガラスケースを磨き、床の埃を取り、レジ回りを磨く。その後は、紅茶作りだ。

 キッチンの戸棚には、横一列に紅茶缶が並んでいる。紅茶党の教祖である彼にとって、酸素や水と同じ役割を果たしている。

 ウバ、ディンブラ、ヌワラエリヤ、キャンディ。ダージリン、アッサム。スリランカとインドの茶葉をそれぞれ国ごとに分けてある。

 フィンリーはストレートで飲むかミルクにするか、気分で変えていた。

 ミルクを入れても香りが負けないものは、ウバとディンブラ。癖のないキャンディも合う。

 ハルカはディンブラを手に取った。世の中の紅茶の中でも、味も渋みも一番紅茶を想像するような味だ。もっと言うと癖がなく、チャレンジ精神があまりない飲みやすい紅茶だ。

 もう一つはウバだ。ミントのようなすっきりした香りが特徴で、負けない香りはミルクにも合う。両方とも日本のペットボトルの紅茶によく使われている。

 悩みに悩んで、ディンブラで作ることにした。

 アンティークを教えるよりいささか早口で教える彼は、紅茶に関して厳しい。ハルカはそれが心地よかった。

  棚からティーカップとソーサーを取り出した。イギリスの有名陶磁器メーカーだ。同じものが二客並んでいる。客人用かと思いきや、それはお客様用に出さなくていいと念を押していた。

 コーヌコピア。ギリシャ語で、角と豊穣を表す。縁の金色が目を引き、陶磁器に詳しくなくとも、高級品だと判る代物だ。しかもティーポットまでセットで買ったのだから、紅茶に対する熱い想いはしかと受け止めた。

 いつもの定位置でカップに口をつけた。余計な渋みはなく、わりとうまくできたのでないかと思う。

 端末の画面がまたもや光った。同じメールアドレスだ。今度は何かの動画つきで、ハルカはおそるおそるタップした。

 画面に流れるのはフランス人二人。流暢なフランス語で、何かの番組だった。

 日本のドキュメンタリー番組でも放送された内容だが、さらに深く追及している。テーマはマリー・アントワネット、ではなく、彼女を処刑したサムソン一家についてである。

 サムソン家は血が途絶えたと言われているが、実際は途絶えてはおらず、隠れて生き延び続けているということ。末裔はイギリスの一家に養子として引き取られていて、今は小さな島国である日本にいるということ。

「──……日本」

 末裔はマリーの隠し財産を持って、逃げ回っている。そこで番組は終了した。

 いろいろな感情が入り混じり、震えがつま先から伝わってくる。怒りや悲しみ、のしかかる運命の重み──一つではなく、複数の絡み合った宿命をまずは整理することにした。

 フィンリーとメールを送ってきた人物と動画を送ってきた人物は同じだ。なぜならメールアドレスが一緒だから。そしてこの相手はハルカ自身がフィンリーと関わり合いがあることも知っている。ここで疑問が浮かぶのは、なぜ『自分自身』なのか、だ。

 フィンリーの交友関係は広いだろう。世界中に顧客を抱えている店主だ。それをただのアルバイトに送ってきた理由を考えてみる。うっすらと、もしかしたらの域を出ない話はあるが、思い当たるのは複数ある。

 交友関係は広くても、日本で一番仲が良く関わっていた人物に送ってきた。こっぱずかしい話である。仲が良いなどと、言える立場でもない。そうだったらうれしい、という完全に願望である。

 もう一つは、フィンリーに何かあったとき、身動きがとれて実際に動ける人物。冬期休暇中の大学生なら当てはまる。

 そして最大の謎は『誰が送ってきたのか』だ。共通の知り合いと聞いて思いつく人物はそれなりに浮かんでも、フィンリーのプライベートを知る人物となるとかなり限定されてくる。

 ハルカは試しにメールを一通送ってみた。

──あなたは誰ですか?

 するとすぐに返事が来た。

──この話に食いついてくれた?

──単刀直入にお伺いします。彼の居場所を知ってますか?

──知らないけれどだいたいは察しがつく。こちらも一から百までを知っているわけじゃない。むしろ知らないことが多い。いきなり消えた彼を見つけ出して、あなたはきっと怒る。そういう感情はあの子を深く傷つける。君に言わずに消えたのは、それほどの仲じゃないからだ。

 翻訳に入れて、出てきた日本語に頭を抱えた。なんて情熱的な内容だろう。フィンリーが見たらなんと思うだろうか。心に住まう猛獣が暴れ出しそうだ。

──それほどの仲……確かに、一週間の間に数日と、たまにご飯を食べに行ったり、長期の休みは彼についていって仕事をする程度の仲です。あなたに比べると、それほど長い付き合いじゃないのかもしれません。

 しばらく待つが、返事はない。間違えたのだろうか。

──反対に、深い付き合いだからなんでも話せますか? 親友や家族に腹を割ってなんでも口にできますか? 俺はできません。話せることがイコール愛情や友情ではないからです。たとえば、ネットの見えない人ならいくらでも話せる場合もあります。フィンリーさんが話してくれなかったことを責めるつもりは微塵もないです。こちらから質問していいですか?

──どうぞ。

──どうして俺にあんなメールや動画を送ってきたんですか? あれだと追いかけろって言ってるようなものです。むしろ俺にメールを送って、こういう質問をされることは想定内だったんじゃないですか。

──過去の人間から呪いを押しつけられたことはあるか?

──どういうことですか?

──もう一度、動画を観るべきだ。

 続けてメールが来る。

──馬鹿げた内容だけれど、彼にとっては馬鹿げた内容じゃない。

 マリー・アントワネット。処刑人のサムソン一家。深い縁で結ばれ、切っても切れない仲。これを絆ではなく呪いと呼ぶなら、そうなのだろう。

──どうにもできない自分に、彼の大事なティーカップをかち割りたくなるね。

──いやいや、駄目です!

 母国のイギリスでも大事にしていたのだろうか。

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