第29話 指輪に潜んだ想いを託して─①

 ドラマのような話だ。当事者はたまったものではない。

「ただ、お前が生まれてくるまで大事にはしなかった」

「なんで?」

「俺の子であれば、取られたくなかったからだ。浮気をした母さんにも任せるつもりはなかった。DHA鑑定をして、俺の子と判明した時点で弁護士を通して離婚するつもりだった」

「でも、俺が父さんの子か判らないんだろ?」

「生まれてきたら、目元は母さんにそっくりで、鼻や唇なんかは俺にそっくりだった。鑑定するまでもないと思ったよ。なにより、片手で抱けるほど小さな身体に、涙が出た。あまりに愛おしくて、絶対に母さんと浮気相手にはやれんと全力で戦ったんだ。お前のじいちゃんも加担して、親権を勝ち取った」

「そんな事情があったのか……」

「母さんを死んだことにしたのは、俺のエゴだ。本当にすまなかった」

 父はテーブルにつくほど頭を下げた。

「母さんが生きていると知れば、お前は母親に会いたがるだろう。取られると思ったんだ」

「一つ、聞きたいんだけど。親権は取れなくても、一か月に何回か会えたりするんだろ? 母さんは俺に会いに来なかったのか?」

「一か月に一度、会うことにはなっていた。だが養育費も振り込まれないし、連絡も一度も寄越さない。それはそれでいいと納得している」

 養育費は渡されずに会いたいと言われたら、それはそれで納得できなかっただろう。

「腹に子供を宿したときも、親権の話をしたときも、間違いなく母さんはお前を愛していた。お互いに全力で戦った。きっと事情があったんだ」

「いいよ。そういうのは大丈夫。思うところがないって言えば嘘になるけどさ、もともと母親はいないのが当たり前だったし、今さら現れたところで別に母の元へ行こうとは思わないよ。父さんに親権が渡って良かったとも思う。ほかにはない教育をされてきたし」

 やんちゃなことをすれば、柔道黒帯の父と祖父から、背負い投げやら大外刈を決められた。叱られるよりも効果抜群だ。寝技にも強くなったし、ついでに柔道の稽古にもなった。

「気になるならDNA鑑定するか?」

「しなくていい。父さんの子だと思うし。それにもし違っても、俺の父親は父さんだ。育ててくれた恩は返すつもりでいるよ」

 父は号泣し始め、フィンリーからもらったワインをほとんど一人で飲み干した。まだ足りないと缶ビールまで開けて、酔っ払いの話にとことん付き合った。

「もう寝ろって。風呂には入るなよ。酔っ払ってると危ないし」

「わかってるって。じゃあおやすみ」

「うん、おやすみ」

 テーブルのつまみやワイン瓶の片づけを受け持った。

 父はもてる。妻がいないと判ると道場に通う女性から連絡先を聞かれたりすることもある。けれど、父は頑なに首を縦に振らなかった。「息子を育てている」と優先順位を間違えなかった。女性の香水の匂いを染み込ませたこともなかったし、飲み会に参加しても女性と朝帰りは絶対になかった。二日酔いの父は「しじみ汁を作れ」とねだり、息子が作った朝食を美味い美味いと食べた。

 父はそれほど家事が得意なタイプではなかったが、二人で肩を並べて料理や洗濯をしていると、未知なるものと共に戦う一種の共感と戦友になったような気持ちが生まれる。

 父に感謝の気持ちを送り、ひっそりと涙を流した。




 大学二年の秋──二度目の文化祭がやってくる。

 屋台であればわたあめ、お好み焼き、焼きそばと、定番にしておけばすんなり決まったのに、ゼミのメンバーはコスプレ喫茶という、どちらかというと万人受けはしないしないものを選んだ。

 こういうとき、なぜ男子はメイドの格好なのだろうと疑問に思う。バトラーであれば喜んで着るという人もいるだろうに。率先して着たい人がいれば、それでいい。

 そのような流れがあり、ハルカも出ることになった。日曜日はアンティーク・ショップのオープン日で、本当は働きたかったと告げると、フィンリーはあまり良い顔をしなかった。あと三回ほどしか経験のできない文化祭だと、押しつけがましくするつもりはないが、よく考えてほしい、と穏やかに言われた。

 文化祭に来てくれたらいいのに、と話すと首を傾けて微笑んでいた。仕事だろう、無理に決まっている。

 入口で立て札を持ちながら呼び込みをしていると、ことあるごとに声をかけられ、ハルカはカーテン裏へ逃げた。苦笑いしかない。

「お前、これ被っとけ」

 もらったのは、馬の被り物だ。見開いた目に開いた口に白い歯。少し間抜けな顔である。

 馬の被り物をすれば笑われるが、声をかけられることはなくなった。

 十三時に交代をすれば、あとは自由の身だ。端末を覗くが、誰からもメールは来ていない。フィンリーは仕事中だろう。

 ハルカは適当にぶらぶら歩き、ふとフルーツ飴に目が止まった。以前、フィンリーに見せてもらったアメシストのバングルに似た色のフルーツ飴だ。アメジスト、と口にしたとき、フィンリーから正式名称はアメシストだと教えてもらった。諸説あるが言い間違えや翻訳の違いにより、間違った名で広まったのだと。

「すみません、一本下さい」

 袋に入れてもらい、ハルカは大学を出た。向かう先は池袋。今日は店を開けているはずだ。

 エスカレーターで上に上がると、店を覗こうとする男性がいた。

 英語で話しかけるべきか、と悩んだとき、

『あー、どうしよう』

 彼はフランス語で呟いた。

『こんにちは。お困りですか?』

 ハルカが声をかけると、男性は救世主が来たとばかりにハルカの手を掴む。

『フランス語が判るのかい?』

『問題ないですよ』

『良かった。実は彼女へのプレゼントを考えているんだ。ネットでここが素晴らしい商品が置いてあると知ってね、けど私は日本語も英語もあまり得意じゃない』

『ご旅行ですか?』

『その通りだ。明日には日本を発つ。一緒に選んでくれないか』

『いいですよ』

 中にはフィンリーがいて、接客中だった。いらっしゃいませ、とともに振り返ると、目を見開いて驚いている。

 ハルカは知らん顔をして、男性に質問をした。

『ちなみにどんなものを買うつもりですか?』

『彼女はピアスが好きなんだ。赤いピアスがいい』

 ルビーやガーネットがついたピアスを見せると、彼はルビーが良いと即決した。

『プレゼント用に包んでくれるよう、頼んでほしい』

 日本語に訳してフィンリーへ伝えると、彼はかしこまりました、と言いながら赤いリボン小箱を取り出した。

『君のおかげで助かったよ。私はラウル』

『俺はハルカです』

『アルカ、ありがとう。君は私の友人だ』

 がっちりと握手を交わすと、彼は店を出ていった。

 もう一人いた客人はいなくなっている。

「なぜあなたがここに?」

「お土産を渡そうかと思って」

 袋ごと彼に渡した。

「タンフルですか。いや、こちらは山査子ではなくブドウですね」

「日本ではフルーツ飴です。アメシストに似てるなあって思ったら、フィンリーさんを思い出して」

「ちょうど私もあなたを思い出しました。先ほどのお客様は、琥珀のネックレスをご購入されましたので」

「琥珀っていえば俺のイメージなんですね。嬉しいです」

「お店を閉める時間です。お茶をしていきませんか」

「ぜひ!」

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