第25話 眠り繋がれた琥珀の愛─⑤
朝食前にフィンリーと合流し、食べながら今日の打ち合わせをした。
「私たちの店は明日からになります。本日も私は打ち合わせですので、あなたは会場へ行き場の雰囲気に慣れて下さい」
「久慈市の方も来てますよね。今日、挨拶に行ってきます。明日は俺、何をすればいいですか?」
「いつものように接客は主に私がしますが、あなたはお茶を出したり、私が席を外したら店番をお願いします」
「はーい。俺、普通の服しか持ってきてないんですけど」
「問題ありません。圧倒されるかもしれませんが、いつも通りのあなたで大丈夫です」
「圧倒される……? 血眼になって我先にと販売してる感じですか?」
「穏やかな顔をして残酷な二面性を持つ人間がわんさかいます。血眼になる程度ならまだましです。押し潰されないよう私が側にいるようにはしますが……」
「そんなやわにできてませんって。柔道をして、心も身体も鍛えてるんです」
「右頬は、問題ありませんか?」
墓穴を掘ってしまった。ホテルに戻ってから冷やしたが、まだ腫れている。
「ははっ…………」
笑ってごまかすも、彼はそれ以上触れようとしなかった。幼なじみに殴られたと、彼にはばれている。知っているのに触れないでいてくれる。思いやりのある無関心は申し訳ない気持ちになりつつも、昨日のショートケーキのように甘ったるい。この人が好きだ、とイチゴ以上の酸っぱさが広がる。
「画像の琥珀の像も飾ってるんですよね」
「ええ、何枚か写真を撮りましたが本物に比べると霞んでしまいます。ぜひ本物を目に焼きつけておきなさい」
「昨日ちょっと調べたんですけど、琥珀は人魚の涙だとか」
「おっしゃる通り。よく勉強しましたね。これは諸説ある神話の話ですが、人魚姫が人に恋をして、悲恋に終わってしまった姫の涙が海底で冷えて固まり、浜辺に打ち上げられたという説です」
「人魚姫の像を見て、拝みたくなりました」
「それも日本人らしい一つの敬う心だと思います。どんな方法であれ、敬意を払うことは素晴らしいです。明日はシーアンバーを使ったアンティーク・ジュエリーも販売します。そちらも目の保養になりますよ」
圧倒される、の意味が初めて来て理解できた。コミックマーケットほど大きな施設ではないが、頭に浮かぶということは似たものがあるということだ。
「お口が開けっ放しですよ、アルバイトさん」
「こんなに大きな場所でやるとは思ってなかったです」
「世界中の素晴らしいディーラーや加工職人が集まっています。もちろん、偽物を売るような輩も。財布の管理等、充分にお気をつけ下さい」
「物騒だなあ」
「アンティークは犯罪と共に足並み揃えて歩んできた歴史があります。離れられない運命にありますので」
「二人三脚ってやつですね」
「紙一重に存在する、光と闇です」
「俺たちみたいな? 俺が闇でフィンリーさんが光」
「……逆だと思いますが。さて、この道をまっすぐに行ったところがラウンジとなります。そちらにお目当ての姫がお待ちかねです。どうぞ悲しみの涙を堪能して下さい」
フィンリーは振り返らずに、左へと進んでいった。
ラウンジは人がまばらだが、一か所に人が集まっている。
小ぶりな像は、こらえきれなかった涙を流し、地に琥珀の雫を作っている。ひと目で心も奪われた。
ハルカは端末で何枚か写真を撮る。フィンリーが言っていたように、本物を見た方が感動もひとしおだ。
説明には、人魚姫はすべてシーアンバーを使って作り上げたと書いている。人魚姫の涙が生まれ変わったのだ。
『困った、まさかこれほど言葉が通じないとは』
ハルカは顔を上げて、声のする方を見た。
『まさか地図まで日本語とは……』
『お困りですか?』
ハルカは首を傾げながら、困惑顔の男へ近寄った。
男は驚愕しながら、
『なんと、言葉が通じた!』
『ええ、通じます。地図の見方ですか?』
『そうだとも。私は日本語も英語も得意じゃないんだ。もしよければ案内してもらえないかい?』
『喜んで』
男は仕事仲間とはぐれたらしく、待ち合わせ場所へ向かいたいのだという。ところが、待ち合わせをした場所にすらたどり着けず途方に暮れていたと。
『君はディーラーかい? 見たところだいぶ若そうに見えるけど』
『今は二十歳です。pécheurっていうアンティーク・ジュエリーの店でアルバイトをしています』
『ああ、そうだったのか。これはまた思いきった名前だな』
『俺もそう思います』
ペシュールは罪人。なぜそのような店名にしたのか、いまだに聞けていない。
『君、よければ商談に付き合ってもらえないか?』
『俺が、ですか?』
『日本語が判るスタッフがいるんだが、片言なんだ。君もいてくれたらとても助かる』
『ちょっと上司に聞いてみてもいいですか?』
『もちろん』
フィンリーに「人を助けたらもう少し助けてほしい」と言われたとメッセージを送ってみた。少し時間がかかるかもしれないと。
──あなたは私の店のスタッフです。今日一日であれば構いませんが、こういったことはむやみやたらに承諾しないように。
心配してくれているのだろう。感謝の五文字を送りつつ、彼にOKのサインを出した。
商談は午後までかかり、数時間ずっと緊張しっぱなしだった。商談は昼食にまで及び、味の判らないパスタを食べた。
助けた彼はドニと言い、彼はディーラーなのだという。アンティーク・ディーラーではなく、ジュエラーと名乗った。
商談の内容は、琥珀の売買に関するものだ。商談と言いつつも、見ず知らずの大学生に知られてはいけないようなものはないと思いつつ、解放されたとき一五時に差しかかっていた。
『アルカ、とても助かったよ。感謝する』
『こちらこそ良い経験をさせてもらいました。通訳なんて初めてだったので、心配でした』
『とてもきれいな言葉だ。君がディーラーの道を選ぶならまた会うかもしれない。ライバルにもなり得るな。ありがとう』
固い握手を交わして、ドニと別れた。
端末を確認すると、フィンリーから何件か着信があった。かけ直すと、ワンコール後に不機嫌な声が聞こえた。
『遅い。何時だとお思いですか』
「すみません……」
『あなたの謝罪が聞きたいわけではありません。お店には来られますか? 昼食は?』
「奢ってもらいました。商談中でした」
『は? 商談?』
「詳しくは会ってから話します」
地図ですでに店の番号を確認している。
ハルカは最速で向かった。
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