第22話 眠り繋がれた琥珀の愛─②
世の中の生物は、いろいろな種類に分けられる。
中でも虫は、獣と協調性を保とうとはせず別の道へ進化してしまった。なぜ自然界に喧嘩を売るような色や形になってしまったのか。レッサーパンダを見習え、とハルカは強く思う。
直接触るとなると躊躇する虫も存在するが、特別に毛嫌いしているわけではない。とはいえ、マレーシアに存在するオオクツワムシのような例外もある。あれは虫というより、FPSゲームに出てくる武器の一種だ。
琥珀の中に閉じこめられた命は、永遠をさまよい続けている。人間が見るとロマンを感じるが、虫としては弔ってほしいのかもしれない。
テーブルいっぱいに並べられた琥珀は圧巻だった。たいていがブラウンだが、イエローやグリーン、半透明のものもある。
「平気そうですね。良かったです」
「これでも子供の頃は、じいちゃんと一緒に公園で虫取りしてたんです。でも大人になると、なんで苦手になっていくんでしょうね」
「虫に触れ合う機会が失われたり、病原菌を持っている個体もいます。未知のものはやはり恐怖の対象になるのではないでしょうか」
「これなんてすごい……ブレスレットに全部虫が入ってる……」
「琥珀愛好家の方ですね。亡くなられた茂様は、六千年以上も前の新種の蟻の発見者でもあります」
「そんなすごい人だったんですか」
「蟻の名前にも茂様のお名前が入っていますよ。琥珀を掘っているとき、たまたま発見した琥珀の中に虫が入っていて、専門家に見せたところ新種だったとか」
「ここにあるのって全部琥珀ですよね? 新幹線で色は二百種類以上あるって聞きましたけど」
「左様ですね」
「じゃあ緑のも?」
「ええ、琥珀になります。ただこちらは久慈市で採れたものではありません。グリーンアンバーはおそらくドミニカ共和国でしょう」
「聞いたことしかない国が出てきた」
「久慈市と同じくアースアンバーが採れます。紫外線を浴びて、色がブルーやグリーンに変わるのです」
ネックレスになった緑の琥珀は、中に羽が入っている。
半年ほどアンティーク・ジュエリーショップで働いていて、ジュエリーの勉強が楽しくなっていた。せっかく知識を入れる機会があるのに、勉強しなければもったいない。
鑑定をするとき、フィンリーは宝石の種類、本物かどうか、年代、国など、一つ一つ丁寧に説明をしてくれる。ハルカはメモを取りながら、品を目に焼きつけていく。
勉強方法の正解が判らないため、これでいいのか、と質問したことがあったが、フィンリーは「不正解はない」と道を否定しなかった。絶対にああしろ、ではない。寄り添い、道を作ってくれる。
玄関方向から「ただいま」と元気な声が聞こえた。
足音が近づいてきて、ドアがノックされる。
仕事中のフィンリーに代わり、ハルカは立ち上がって「どうぞ」と声をかけた。
菅原美香子に似た女性が立っていた。ハルカと年代は同じくらいで、娘だろう。
「お邪魔させて頂いてます。アンティーク・ジュエリーの鑑定の依頼で、東京から来た……」
発狂はさすがに言いすぎではないか、と心のどこかで思っていた。
女性はハルカの背中の向こう──テーブルの上に視線が向いている。人間、恐怖の対象は目の前にくると、声が出なくなると証明された。
スローモーションのように横に倒れていく彼女を、ハルカは床に倒れる前に支えた。
「菅原様、布団やソファーなど、寝かせられるところをご用意できますか?」
後ろで鑑定をしていたフィンリーもやってきて、彼女を支えた。
リビングにあるソファーで彼女を寝かせると、美香子は何度も頭を下げてきた。
「本当にありがとうございます。こんなに虫が苦手なんて母親の私も知らなかったわ。生きているわけじゃないのに、どうしてこんなにダメなのかしら」
「人間、誰しもがトラウマの一つや二つを抱えております。私は鑑定に戻らせて頂きますが、何かご用件がございましたら、すぐにお呼び下さいませ」
ハルカはフィンリーの側に行こうと立ち上がるが、意識を取り戻した女性と目が合った。もう一度フィンリーを見る。お好きに、と目が言っていた。
「私はお茶を淹れてくるわあ」
美香子がキッチンへ行くと、女性と二人きりになった。
「さっきはごめんなさい。私、菅原杏といいます。助けて下さりありがとうございました」
「俺は英田ハルカです。虫が苦手なんですね。ドアを開けたとき、ノックの段階で鑑定中だと言えば良かったです」
「いきなり入った私が悪いので……」
「ああいう動かない虫でもダメなんですか?」
杏はソファーに横になりながら頷いた。
「小学生の頃の話なんですが、ふざけた男子が私のみそ汁に蝉を入れたんです。しかも生きたまま」
「……虫が苦手な人は形状がまずアウトですよね。蝉なんて爆弾を入れられているようなものだったと思います」
「ええ……本当に。それ以降、夢にまで見るようになり、家に帰れば祖父が虫入りの琥珀に魅入られているし、学校でも家でも地獄でした」
「心中察します」
「トラウマってどうしたら無くせるんでしょうか。お仕事でいらっしゃった方にこんなことを聞くのはおかしいですが……」
「おかしいとは思いませんよ。そのまま記憶を封じるのはできませんか? 俺の上司も言ってましたが、トラウマは誰もが持っています。無理に無くそうとしなくてもいいんじゃないかと」
「私、みそ汁が食べられないんです」
「それは……無くしたくなりますね」
うんうんと唸り、頭を捻り、これでもかと考えてみた。考えても考えても、判らなかった。ハルカもまた、トラウマを抱えている。アイスクリームを食べたくても、どうしても食べられないのだ。
「すみません。思い浮かびません。俺の上司に聞いたら、もう少しまともな答えが返ってくるかもしれません」
フィンリーのいる部屋へ戻ると、彼は誰かと電話していた。
ちょうど電話を終えて、査定に入っているところだった。
「業務は本日で終わりそうです。ですが、明日に別の仕事が入りました。琥珀博物館へ行きます」
「俺もついていっていいですか?」
「もちろんです。せっかくですから、館内を観て回るのもいいかもしれませんね」
ここに来るときも『たいそう役に立つ助手』だと彼は言った。だが、実際に役に立っているように思えない。自分のうまみは勉強させてもらえることだ。
フィンリーは査定の結果を告げると、
「ありがとうございます。売るか琥珀博物館へ寄付するか、どうするか迷っております。どうしたらいいんでしょうねえ」
「どちらの選択をするにせよ、ネックレスは大変貴重なものです」
「ええ、父も言っていました。新種の蟻だとかなんとか」
「私はアンティーク・ディーラーですので、査定の依頼があれば行います。ですが、価格すべてが物の価値とは存じておりません。特にネックレスは故人の想いや生きた証など、形にできないものがたくさんつまっているように感じます」
「……ネックレスに関しては、手元に置いておきます。それが父の想いを受け止めることになる気がします。その他は、もう少し考えてから決めますわ」
美香子の淹れたお茶を飲みながら琥珀について語り合い、フィンリーが腕時計を見たところで席を立った。
廊下には杏が立っていた。体調の悪さは一時的なもので、顔色は良くなっている。
「先ほどはお見苦しいところをお見せしてしまいました。店長さんへお聞きしたいことがありまして……」
「なんなりと」
杏が心配そうに見てくるので、フィンリーの後ろから頷いた。
「トラウマを無くす方法を知っていますか? もしトラウマがなくなった経験があれば教えてほしいです。英田さんに聞いたら、うちの上司なら答えられるかもしれないと」
フィンリーはゆったりと、優雅な口調で答えた。
「突き抜けた優しさを持つ人から、いっさい手加減のない愛を無謀に押しつけられたときです。なぜこんなことで悩んでいたのかと、ふつふつと笑いが込み上げてきました。今も完全に消えたわけではありませんが。詳しいことは割愛させて下さい。とても良い想い出ですので、誰にも話したくないのです」
「手加減のない愛……」
「そのような方に出会えて、叱りたくもなりました。では、失礼させて頂きます」
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