第12話 クレオパトラと呪いのエメラルド─②
フィンリーから食事はけっこう食べますか、と質問が入った。もちろん食べ盛りの大学生です、と答えた。夕食をご馳走してくれるらしく、父親に食べてから帰ると連絡を入れた。
「お父様と約束が? それならば申し訳ないことをしました」
「全然。むしろ自由ですよ。あっちもお酒飲んでから帰るってふらっと遅くなることもありますし」
食事はまさかの個室だ。他に客人は誰もいない。目の前には鉄板と店員二人が微笑みながら頭を下げる。
「ちょっと、こういう店初めてなんですけど。ジーンズにパーカーで大丈夫ですか?」
「ドレスコードは必要ありません」
店員は笑っている。どもども、と二度頭を下げてからフィンリーの隣に座った。
「注文してありますので、焼いて頂けるまで待ちましょう。いろいろと私に質問がたまっている頃合いかと思います」
「ありまくりで、食べ終わるまでに全部質問しきれるかどうか」
「長い。短く」
「ええと、まず、なんであの劇場にいたんですか?」
「奇遇ですね。それは私も聞きたいところです」
「無料チケットが大学でもらえたりするんですよ。アーティストやアイドル、今回みたいなミュージカルとか」
「それは素晴らしいですね。その中でミュージカルを選ばれたわけですか」
「じいちゃんがこういうの好きで、二人でたまに行ってたんです。日本にやってきたウィーン少年合唱団も行きました」
「天使の歌声ですね。私も過去に拝聴しました」
「それはいいとして、なんでフィンリーさんがあそこに?」
「一言で言うならば仕事です」
「仕事。あの、クレオパトラ役で?」
「馬鹿者」
二度目の馬鹿者だ。たいへん、居心地がいい。
「似合うと思うけどなあ」
「そもそも私はクレオパトラにはあまり良い想い出がない」
「過去に演じた経験があるんですか?」
「学生時代に無理やり役を押しつけられそうになり、断固として拒否しました」
「あー……なるほど」
「なんですか、その顔は」
「いやいや、なんでも。結局、何の役をやったんですか?」
「川です」
「川」
「裏で流れる川を動かし、きらきらさせる役ですね」
「舞台には出なかったってことですか」
「そうですね。あの劇団が今回のクレオパトラで終わりを迎えるのはご存じですか?」
「それは知ってます」
「使われていた小道具の中には、本物のアンティーク・ジュエリーを使われていたものもあるのです。そちらの鑑定をしてほしいというのがまず一つ。もう一つは、クレオパトラの呪いを解いてほしいと」
「呪い」
「私とともに働いて一か月ほどになりますのでハルカもご存じでしょうが、私は呪術師でも陰陽師でもございません。こういった話は管轄外となります」
海鮮が焼き上がっていく。エビ、イカ、カニ、魚の切り身。あれはなんだろうか。
「のどぐろでございます」
全身から醸し出される幸せオーラを抑えきれない。大好物だ。滅多に食べられないご馳走である。
「のどぐろの切り身を追加で、こちらの方に」
「かしこまりました」
え、と声に出し左側を見ると、フィンリーは素知らぬ顔で水を飲んでいる。
「クレオパトラが身につけていたエメラルドですが、劇団から劇団へと渡り歩いてきたネックレスです。身につけた方が不幸な目に合うのだと。処分しようにも、さらに呪いが振りかぶってしまったらと思うと処分できずにいました。それに所有者がどなたか判らないと」
「移動しすぎて、持ち主が判らなくなったケースですか」
「ええ。持ち主がすでに亡くなっているか、あるいは呪われたネックレスですので所有者が自ら名乗り出ないか」
「なおさら売ったりあげたりはできませんね」
「身につけて演技をした方の中で、ご存命の方はいらっしゃいらないのです。私が遡ったのは三つ前の劇団までですが、今回もそれが証明されてしまいました」
「どうして手に渡った時点で身につけてしまったんですかね。首につけなければ不幸も何もないでしょ」
「劇団宛に、クレオパトラ役はエメラルドのネックレスを身につけなければ全員死ぬという内容の手紙が来ました。悪戯だろうと気にも止めず、誰も警察へ相談すらしなかったそうです」
「アンティーク・ディーラーより警察に通報すべきなんじゃ……」
「まったくです。クレオパトラ役の方も、呪いなんてまったく信じないと笑っていらっしゃったそうです」
のどぐろをひと口食べた。塩がきいていて甘みが広がる。舌も心も幸せだ。
「とりあえず、ネックレスの呪いの件は判りました。フィンリーさんが任意聴取に時間がかかった理由は……」
「お断りします」
「ですよねー。調べれば調べるほどクレオパトラ以上に謎が解明されそうだし」
「……………………」
「エビも美味しい。最高」
「それは良かったです。一つだけお答えしましょう。私にはアリバイがないからです」
「………………ん?」
「他の劇団員の方々は誰かと常に一緒でした。私は一人、倉庫で淡々と仕事をしていたとき、ステージ方向から悲鳴が聞こえたためにそちらへ向かいました」
「その間も一人だったんですか?」
「はい。ずっとというわけではないですが。劇団団長の沢辺様がたまに様子を見にいらっしゃいました」
「クレオパトラの呪いだって言ってた女性か」
「左様ですね。私に依頼をされた方です」
海鮮を食べている間、霜降りの肉が焼かれている。
「警察は事件として調べている感じですね。また行くんですか?」
「行きます。依頼された仕事は終わっておりませんので」
「俺も行っていいですか?」
訝しげに見てくるフィンリー。なぜだ、と言わんばかりである。
「乗りかかった船ってやつです」
「気になることでも?」
「ううん……なんとも言えないかなあ。フィンリーさんが心配なので!」
「アルバイトとして手伝いにきたと言えば入り込めるでしょうが、もし犯人がいた場合……」
「別に変なことをしようとか思ってませんって」
霜降り肉が焼き上がった。シンプルに塩と胡椒。
「ヤバい……俺が食べてきた中で一番美味い肉かもしれない」
店員は満足そうだ。隣のフィンリーも小さく頷いている。
肉の後はデザートだ。小さなケーキにアイス添え。
フィンリーはすでに食べ終わっている。
「のどぐろのお礼に食べます?」
「あなたが食べなさい」
「できれば、食べてもらえると助かるなあ」
「苦手なのですか?」
「ちょっと、苦手なものが一つ交じっていて」
「生クリーム?」
「ノー」
「イチゴ?」
「ノー。秘密ってことで」
「なるほど。お互いに秘密を隠す仲──FBIとCIAみたいな関係ですか」
「あ、その映画観たことがあります。お互い恋人同士で、表面上はにこにこしてて、大人って怖いと思いながら観てました」
フィンリーはぐさっフォークをケーキに差し、ケーキをひと口で食べてしまった。
急いで食べるものでもないが、隣のアイスクリームが溶けかかっている。
フィンリーは食べ終わるまで一言も喋らなかった。
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