安眠話
九戸政景
安心の夜
「それじゃあまた明日」
「うん、また明日」
向かい合いながら彼とおやすみの代わりの挨拶を交わす。変わってると思うかもしれないが、この方が私には落ち着くのだ。
彼もそうなのかそのまま目を閉じ、すうすうと静かに眠りにつく。その子供のようなあどけない寝顔に安心する。だからだろうか。思わず頭を撫でてしまった。
「ん……んぅ……」
撫でられた瞬間は少しピクリと体を震わせながら声を上げたけれど、やがて安心したような笑みを浮かべる。どうやら撫でられた事でより安心したみたいだ。
「ほんと、一人でさっさと寝ちゃうんだから」
それが羨ましいと同時に少し恨めしい。私も眠りにつけないわけじゃない。けれど、色々な不安を感じやすいからか眠りにつけてもすぐに目が覚めてしまう。二時間とか三時間とかおきに目が覚めるというのもしょっちゅうだ。だから、一人の時は寝た気がしない。それが普段からの悩みだ。
「だから、たまにこうして泊まりに来ちゃうんだよね」
一人で眠る彼を見ながら呟く。元々、私達は違うところの生まれで、彼とはちょっとしたきっかけで出会い、そのまま交際に発展した。ただ、住んでいるところが離れているので中々会えなかったが、ある時、彼が私の家の近くに引っ越してきた。前から彼は私が住む街に引っ越したいとは言っていたが、中々腰が重いところがあったし、初めは冗談だと思っていた。
けれど、彼は本当に引っ越してきた。それも歩いて数分程度のところに。それも私のために。
「そういう行動力だけはすごいんだから」
思わずふふと笑ってしまう。でも、そのおかげで私は安眠が出来る。前から通話中に寝落ちした彼の寝息を聞く機会があったけれど、それを聞いている内に爆睡をしてしまった事が何度もあるからこの寝息には睡眠導入効果があるようだ。この発見はノーベル賞物じゃないかな。
「まあ、誰にも渡さないけどね」
私だけの睡眠導入BGMを聞いている内に少しずつうとうとしてくる。生真面目な彼らしく寝息のテンポや音量は一定で、それが何故か心地よいのだ。慣れもあると思うけど、いつしかこの寝息が好きになったのかもしれない。
「それじゃあ私も」
独り言ちてから目を閉じる。彼の寝息と私の呼吸、チクタクと時を刻む時計の音以外には何も聞こえない静かな世界。カーテンも閉めているから街灯の光も入ってこず、部屋の中は周りがうっすらと見える程度の暗闇だ。でも、目を開ければ隣で眠る彼の顔だけはしっかりと見えている。それがとても安心する。
「空回る事もあるし、ちょっと無神経な言動をする時もあるからムッとはしちゃうけど、何だかんだで気にかけようと必死になってくれるし、しっかりとそばにいようとしてくれる。まったく、そういうとこだよ?」
既に眠っている彼には届かないかもしれない。けれど、口に出す方が色々理解しやすい彼の前だからこそちゃんと口に出す。いつしかそれがクセになっていた。
規則的な音だけが聞こえてくる世界の中で彼の寝息を子守唄がわりに私は眠りにつく。また明日。そう言ったからこそ明日になった時に彼の前ではいつもと同じようにおはようと言うのだ。それが私達にとっての日常なのだから。
「おやすみ」
普段は言わないおやすみを口にする。おやすみという言葉を聞くと何故だか寂しさを感じるようになったからまた明日と言ってくれるようにお願いすると、彼は二つ返事でオーケーしてくれたし、毎回おやすみの代わりにまた明日と言ってくれる。けど、おやすみを言ったのはそんな彼にもしっかりと休んでほしいから。無理を続けて倒れてほしくはないから。
そうして私も意識を手放す。半分こでかけた毛布の重みと微かな温かさ、寝息や目を閉じても感じる存在感で私は眠りにつくのだ。おやすみ世界、また明日もよろしくね。そんな事を考えながら私は夢の世界へと旅立った。
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