魔王

惟風

出品されたもの

 月が赤い。

 二六五年に一度開かれる闇オークションの会場は、無造作な場所にあった。

 何と言うことのない雑木林を速足で一時間ほど進み、偽情報をつかまされたかと焦り出した頃に突然ぽっかりと開けた空間に出た。そこだけ樹木どころか草も生えていない地面が露出していた。

 思わず立ち止まる。急に辺りが静かになった。広場を取り囲む木々は風で揺れているのに、葉擦れの音が聞こえない。夜中とはいえ、獣の息遣いも感じられない。魔力だけは異様に満ちて、瘴気が濃い。心臓が絞り上げられる程に痛んだ。替えたばかりの顔の包帯は血と膿みでぐっしょりと濡れている。

 黒々とした地面に一歩足を踏み入れた瞬間、俺は会場の中にいた。

 薄暗い室内、緋色の絨毯に緋色の革張りの椅子が並び、唯一の照明が奥の舞台を煌々と照らしている。着席している面々が一斉に俺の方を振り返った。異形の者達ばかりだ。動物の頭のモノ、手足が三対あるモノ、恐ろしく巨大で身体が透けているモノ。皆一様に、俺の姿を一瞥するとすぐに興味を無くしたように座り直した。普通の人間であれば即座に食い尽くされていただろう。今だけはこの呪われた身体に感謝した。


 目当ての商品に間に合ったことに安堵した。

 異界と現世の狭間で行われる、禁断のオークション。今回の競りにかけられるのは地獄で捕らえられた七体の上級魔族だ。傲慢、貪欲、邪淫が既に落札されたらしい。


 は静かに舞台上に並べられた。

 緩く伸びた髪は闇夜の黒、切れ長の瞳は憎悪の黒、薄い唇は侮蔑の紅。銀の首輪が嵌っていることを除けば、こちら側にいるべき品格があった。

 その男は伏していた瞼を上げて、会場の後方に佇む俺を真っ直ぐに見つめた。

「四品目。『憤怒』、十枚から」

 進行役が厳かに宣言する。

 客達が競りにしか使用できない赤いチップを積み上げる。金貨百枚でやっとチップ一枚と交換できる。金貨を用意できない異形の者達は、百人分の新生児の断末魔であったり、屍姦して搾り出した母乳などを対価に差し出していた。

「十五」

「二十三」

「八十」

 誰も無駄口は叩かない。粛々と価格が釣り上げられる中、一際低い声が響きわたる。

「二百」

 掌に水かきのついた黒頭巾の男が挙手していた。会場にどよめきが起きる。盛んだった声がどこからも上がらなくなる。進行役がしばらく客席を窺って、場を締めようとハンマーを振り上げた瞬間。


「二千」


 ようやく発した自分の声は、少し掠れていた。再び、会場中が俺に注目した。

 見窄らしい包帯男にそこまでの対価が支払えるのか、と全ての視線が物語っていた。でも、それだけだ。紳士淑女達は表情だけは不満そうにしながらも場を乱すような行為はせず、あっさりと落札された。

 黒髪の男は何の動揺もない瞳で俺を見ていた。


 を引き取って会場を出た瞬間、再び寂れた雑木林に立っていた。今度は一人じゃなかった。

 地面に腰を降ろして、紙巻き煙草に火を点けた。空が少し白んできている。

 憤怒は近くで見ると俺より背が高く、無表情でこちらを見下ろしている。

「あんたも吸うか」

 一本差し出してみたが、首を横に振られた。遅れて髪が揺れた。静かな男だ。

「対価を支払えば、一つだけ願いを叶えてくれるんだろう」

「作用にございます」

 やっと聞いた声は思っていたよりも芯が通っていた。


 七体の魔族、どれでも良いわけではなかった。それぞれの欲望の強さの分だけ、魔族の力が強くなる。願いを叶えやすくなる。

 俺はボタンを外して胸をはだけた。胸の中心で、赤黒い腫れが、小さな円を象っている。

「大昔にこの地に封じられた魔王の呪いが俺の魂に宿っている。お前に魂をやる代わりに、頼まれてほしいことがある」

 憤怒は俺の胸に刻まれた呪いを見て、何度か瞬きをした。初めて感情の揺れを見せた。

でチップを買われたのですね」

「ああ、この呪いを通して俺は魔王と繋がっている。魔力の欠片をちょっと拝借させてもらった。俺の家は代々続く封印の見張り番でな。呪いを受けながらも身体を張ってこの世界を守っているってわけよ」

 二本目の煙草を咥える。肺一杯に毒を入れる感覚が心地良い。

「それほどの魔力を自由に使えるなら、私めの力など必要ないのではありませんか」

 憤怒は相変わらず無表情に問う。

 無性に可笑しくなってきて笑いが込み上げてくる。

「何も。何一つ自由にならないんだよ。この呪いのせいで、俺の肌は生き死にを繰り返してんだぜ。四六時中、全身が膿んで壊死して傷んで痒んで、それでいて魔王ならではの強力な治癒能力で再生し続ける。おかげで万年包帯男、傾国の美男子も台無しよ」

 顔の包帯をざらりと撫で上げてみせる。その刺激で痒みが増す。掻きむしった頭皮から毛束がずるりと抜けた。

「お望みは、何でしょうか」

 おどける俺の瞳を憤怒は覗く。心の内に居座るその感情を見抜かれている。

「あんた、この呪い、解けるか?」

「残念ながら」

 憤怒は不快そうに細い眉を少しだけ顰めた。

「悪いな、くだらないこと聞いちまった」

 わかっていて聞いた。そんなことができるなら先祖がとっくにやっている。腐っても魔王だ。

「いやね、ガキがさ、生まれるんだ。俺はこの身体でろくに世話してやれねえから、代わりに子守りしてやってくれないかな」

 吐いた煙で輪っかを作った。風ですぐに消えた。

「それだけですか?」

「それだけだ」

「くだらない」

 憤怒が吐き捨てた。怒りを司るに相応しい表情だった。

「そうだ、くだらない。つまらんガキの世話させるために寿命削って、危ない橋渡って魔族様競り落として魂差し出して。くだらんねえ」

 もう煙草の持ち合わせがない。立ち上がって土を払った。

「でも、しけたオークションに出品されるような魔族様にはちょうど似合いの仕事だと思うぜ」

 憤怒の瞳の光が強くなった。わざと逆撫でした。この身に巣食う感情で刺してやりたくてたまらなかった。

 常に怒りがあった。魔王と、世界へ向けてのものだった。苦しみの全てを背負わされて、我が子にもそれが引き継がれる宿命にある。そういうものだと言い聞かされていても湧き上がる激情はどうしようもなかった。これくらいの身勝手は許されて良いと思っている。

 下からめつける。魔族の陶磁器のような肌にはシミ一つ無い。それにすら怒りが湧いた。

 憤怒の紅い唇が微かに緩んだ。



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