悪魔となろう、お友達。

青本計画

第1話

 ――二つ上の先輩に、悪魔がいるらしい。


 そんなうわさを聞いたのは大学二年の春のこと。

 まあ実際には、盗み聞いたというかなんというか。

 ともかく、大学構内でまことしやかに囁かれる悪魔の実在。

 なんでもそいつは、ランプの魔神やドラゴンボールの神龍よろしく、呼び出した者の願いを何でも叶えてくれるそうだ。

 地位や名声、富に権力、果てには異性も思いのまま。

 しかし、それだけで終わらないのが悪魔たる由縁だ。悪魔は契約を尊ぶ。契約者は願いの重さに応じた対価を要求され、もし払えなかった場合には代償として命の次に大切な何かを奪われてしまうという。

 もちろん、すべて伝聞なので真偽は不明だ。私とて、そんな眉唾な話を信じたわけではない。……いや、信じたからこそ、こんなところにまで来てしまったのだろう。


「――ははぁ、いや珍しいね。こんな辺鄙な場所を見つけるなんて。名探偵だ」


 そして、見つけてしまった。

 構内の寂れた喫煙所。ほとんどの学生や、古株の教授すらも存在を知らない穴場で、その女は気怠そうに煙草をふかしていた。

 特徴的な美人だなと、そう思う。

 よく美人とは最も平均的な容姿を持つもの。なんて言説を聞くが、そういう理屈を吹き飛ばす、俗世離れした雰囲気を女は持っていた。

 不気味、とも言い換えられるかもしれない。

 こちらを見つめる切れ長の目は背中に怖気が走るほどで、口元は冷血な捕食者のような笑みをたたえていた。

 日陰でも輝く長い金髪は、毛先にだけ軽くパーマを当てているらしい。白のタートルネックと黒のスキニーパンツは、女の色気のある曲線をそのまま反映している。

 シンプルなのに印象的で、ド派手なのに飾りがない。

 雑草の生い茂る庭に咲く一輪の百合、そんな場違いな存在感。


「煙草を吸いに来たわけではないか。もしかして、私のお客さんかな?」


「たぶん、そうです。うわさを聞いて」


「へぇ、どんなうわさ?」


 値踏みするような視線に、少し緊張する。

 口を開こうとして喉が渇いていることに気付いた。

 水を飲んでからくればよかったと若干後悔しながら、私は少し上擦った声で答える。


「大学の何処かの喫煙所に、代償を支払えばどんな願いでも叶えてくれる悪魔がいると」


「あっはっはっは」


 なんか爆笑された。

 私の発言が面白くて笑った、という感じではなさそう。


「そうかい悪魔、悪魔かぁ。これは傑作だね、そして心外だ」


「…………」


「私はれっきとした人間だよ。それと、代償なんて物騒なものを要求した覚えもない。この二つは明確に否定させてもらいたいな」


 どうやら、目の前の女がうわさの火元で間違いないらしい。

 そして彼女が否定したのは、悪魔と代償の部分だけだった。

 つまりそれは――


「で、君は何が欲しいの?」


「――っ」


 言って、女はニヤリと口角を上げる。

 悪魔、悪魔。なるほど悪魔。納得だ、言い得て妙とはこのことか。きっと本物の悪魔が人間の姿に化けたのならば、目の前の女のような見た目になるに違いない。

 それぐらい、不吉な笑顔だった。


「君も奇特な子だねぇ。うわさの詳しい内容は知らないけど、悪魔なんて呼ぶくらいだもの。きっと私は悪く言われてるんだろうね。なのにそんな私に会いに来たってことは、何かを失っても欲しい物があるわけだ。今時の子にしては気合いが入ってる」


 大して歳も離れていないだろうに、どうしてかそう反論する気は起きない。実際の年齢以上に、踏んだ場数と人生経験に差があると無意識に悟ってしまったのかもしれない。


「別に、冷やかしかもしれませんよ」


「冷やかしは緊張して汗をかいたり、ずっと下唇を噛んだりしないね」


「……………」


 私が分かりやすかっただけで、推理と言えるほどのものではない。 

 思わず拳に力が入るったのは、見透かされるのが面白くないからだ。


「……ええ、はい、本気です」


 欲しいものがある。

 これまでの人生で、一度も手に入れたことのない。

 そしてこの機会を逃せば、おそらく手に入れられないだろうもの。

 わらにもすがる思いでここに来たのは、間違いない。


「そうだ、自己紹介がまだだった。私の名前は月村雅。経済学部の四年だけど、一年休学してるから今年で二十三歳。そっちは?」


「藤見夜子、芸術学部二年、再来月で二十歳です」


「ははぁ、藤の花を夜に見る。風流な名前してるねぇ」


 そう感心してケラケラと笑う女、改め月村。

 よく笑う人だ。まあ、人好きのする笑顔ではないのだけど。

 これでは小さな子は逃げ出してもおかしくない。


「それじゃあ藤見さん、もう一度訊ねようか。君は私に何を望むのかな? 富か名声か、それとも男か。さすがにタイムマシンなんて言われたら私も困るけど……」


 そこまで言って、月村はもったいぶるように溜めてから続けた。


「人類に手に入るものなら、私は何だって用意しよう」


 常識で考えれば胡散臭すぎる台詞だ。

 三流の詐欺師だってこんな殺し文句は吐くまい。

 しかし、それに騙される馬鹿も世の中いるらしい。


「…………」


 だから私は、人差し指で月村の方を指す。


「なら、貴女を」


「…………ん?」


 怪訝そうな表情を浮かべる月村。

 彼女に期待には、応えられそうにない。

 なにせ私が欲しかったものは、物ではなく。


「私は、貴女と友達になりたい」


 そう友達。英語でフレンド、スペイン語でアミーゴ。

 この話は実のところ、ただそれだけの話だった。


「……………はあ???」


 間の抜けた月村の顔に、少しだけすっとしたのは内緒だ。

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