「佐渡を困らせたそうだな」

縁側に座り、夜の庭を眺めながらいう家康に。

多少のあきれを含みながら、氏政が視線を向けて。

「おぬしがわしの髪が惜しいなどというばかなことをいうておるから、おかしな噂が流れて正信殿が困るのだ。わしが困らせた訳ではない」

「…―――剃ってしまったのだな、…」

わしがおらぬ間に、と恨みがましげな目で振り向いて見る家康に嫌そうに眇めた黒瞳を氏政が向ける。

「そのような物言いをしておるから、誤解を受けると決まっておろう。少しは考えて物を云え」

「…考えておるからいうのだが、…。勿体無いな、しかし。坊主頭もこれはこれでいいものだが、…」

「家康!」

眉を大きく寄せて怒る氏政に、家康が破顔する。

「よいではないか!まあしかし、そのような噂があるのなら、活用するにしくはないな」

家康の言葉に氏政が実に嫌そうな顔をする。

「…活用するのか」

「する。当然だろう。わしが何処かの山の坊主に懸想して、岡惚れした坊主を山から攫ってきたということにしておけば、暫くは読経が怪しかろうと、問答が怪しかろうと、問題にはならん。いいな、それで行こう!」

明るく決める家康をあきれて眇めた視線でみながら、氏政が軽く息を吐く。

「…好きにしろ」

「うむ。良い手立てだ。正信を褒めてやらんとな」

「…――――」

うれしいかどうかは別だろうが、と瞳を伏せて氏政が思うのを知ってか知らずか。

 姿勢を崩して縁側に左肘を着いて横になり、行儀悪く夜空を眺めて、氏政に背を向けたまま家康が云う。

「それで、佐渡に室と息子のことを聞いて困らせたそうだな」

淡々と夜空を仰いで云う家康の声には感情が読めない。

 向けた背中を氏政は見ながら、しずかに言葉にする。

「そうだ、困らせた。おぬしが、…――無茶をするからの」

穏やかな氏政の声に潜む愛惜しむような、くるしみを包むような声音に家康が、ぐっとくちを結ぶ。

 強情に、頑なになる家康の気配に、軽く氏政が息を吐く。

「…きかぬ。」

「…―――、」

それに、氏政のその言葉に、肩から一度に力が抜けて。

「…たすかる」

「すまぬな。…家康」

「何だ?」

向こうをむいて、ぐっとくちを結んで強情な童のようにしているのが見透かせる家康の様子に。

 氏政が微苦笑を零して。

「おぬしは、がきだの」

「…――――」

氏政の言葉に家康がむっ、とくちをさらに引き結んで天を仰ぐ。それに氏政がしずかに微笑んで。

 それが気になって振り向いた家康が。

「…如何した?」

「いや、…もうすこし若ければ、噂通りにしても」

「…―――趣味が悪すぎるぞ、おぬし」

思わず氏政を見詰めてからいう家康に、氏政が嫌そうに眉を寄せて見返す。

 それに。

「…悪いか?」

「わるい」

「そうか、…?悪いか」

頤に手を当てて、悩むようにしていう家康に氏政が応える。「無論だ、悪い」

「…そうか、…?それほど悪いかな?」

「何をいうておる。…無論のこと悪すぎる」

きっぱりと云う氏政に家康が首を傾げる。

「ううむ、…。それほど悪いかな?」

「無論だ」

「そうか?」

「…頭が湧いておろう」

「…湧いておるかのう」

納得できぬ、という顔をして頬杖をつく家康に。

あきれて、氏政が息を吐く。

「いうておれ」

「わしは趣味はだな」

「悪い」

一刀両断に斬って捨てる氏政に家康が眉を大きく寄せて夜空を睨む。頤を手に預け、納得のいかぬという表情で。

 それを捨てて、氏政が白湯をくちに運ぶ。

「わしにもくれ」

振り向いて頬杖をついたままで云う家康に。

「己でとれ」

「…仕方無いな」

頬杖をやめて胡坐を掻きなおし、家康がかわらけに自ら白湯を注ぐ。

 向き合って白湯にくちをつけて、家康がすこしばかり微笑む。

「何だ」

愛想の無い氏政の問いに家康が杯をくちに運びながら云う。

 土肌のあらわな素焼きの杯をくちに運びながら。

「いや、婚礼のさかずきのようだと思うてな」

微苦笑を漏らしながらいう家康にあきれて氏政が視線を向ける。

「気味の悪いことをいうな」

「まあな、…。だが、…」

ふと和むように微笑んで、視線を上げず家康が云う。

「良くは無いか?固めの杯というのは?」

楽しげに視線をあげて云う家康に氏政が見返す。

「おぬしはな」

手に受けてくちもとへ運びかけた杯をとめて睨む氏政に。

「…悪くはなかろう?どうだ?」

悪戯な童のように瞳に煌々と笑みを乗せていう家康を氏政が眉を寄せて見返す。

「何を固めとするというのだ」

嫌そうにいう氏政を前に、ひとつうなずく。

「…そうだな、――此処はやはり、我らが、」

「我らが何だ」

あきれ果てて物もいえない氏政を前に。

「うむ、おぬしとわしの固めの杯だな」

「…だから、何のだ」

実にあきれはてていう氏政に構わずに笑みを浮かべて。

「…ううむ、そうだな。此処はやはり、固めの杯なら、兄弟というが相場か」

「わしが兄だぞ」

思い付いたというように家康に、氏政があきれながらも釘をさすと。

「そうか?まあ、それでもよいか。では固めの杯といくか」

「…聞いておらぬな?」

「いや、聞いておるぞ?おぬしが兄に当たるのは確かなことだ」

「長者のいうことを聴く気はなさそうだが」

「そんなことはない!おぬしにはこれから色々と習わねばならん。高僧に教えを請う衆生と云う訳だ」

「…救いが必要か?おぬしに」

「偶にはな。…ほら、」

くい、と白湯を注いだ杯をあおり、次に素直に家康がみて杯を向けてくるのに。

 氏政が呑んでいた杯を床に置き、手に渡された家康からの杯をくちへと運ぶ。

 くい、とひとくち、瞳を伏せてあおる氏政に、家康が氏政の置いた杯を手に取る。

「…――――」

氏政が無言で見つめるうちに、家康が今度は氏政の杯をくいとあおる。

「…これで、固めだ」

「おぬしはな」

あきれて見返し、不意と氏政が笑んで息を吐く。

「…氏政?」

「兄だと思うなら、いうことをきけ」

「…兄だと思うてもきけることと、きけぬことがある」

「やはり、長幼の序から教えねばならんか」

「そのくらいは知っておるぞ?」

「ではいえるか?」

「…―――年長の者を敬うという、な」

「何処が敬っておる」

「いるだろう!」

「何処がだ」

夜空にいつのまにか白い月が煌々と夜を照らしてあきらかに。それにも気付かず、長幼の序について語り出す家康とそれを流す氏政に。

 白月の清けき光が、夜を透明に渡っている。





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