三
「何をばかなことを申しておる…――!」
怒りのあまり家康が手にした文を握り締め破りかけるのをみて、正信がおっとりと声を掛ける。
「殿、手紙が」
「…―――くう、…氏政は何を考えておる?己の命を差出して戦を終わらせようなどと、…―――降る際にそのような条件など必要なものか!何をどう、…―――!」
歯噛みして、また手紙を握り締める家康の手をやれやれとみて、正信が小さく幾度か頷く。
「かしこい遣り方でございますな。城を開ける際に、城主が切腹。いかにも真っ当な遣り方でございます。当主となる御方が責任を取り、他の者には危害を加えぬよう攻め手側に釘を刺す。仕方が無いというものでございますな。戦国の世の習いと申しますか」
淡々と続ける正信の言葉が途切れた頃合いをみて家康が眇めた目線で見返していう。
「…正信、態といっておるな?…わしとて、それが習いであることは解っておる」
嫌そうに妥協してくちにする家康に正信が一つこくりと頷く。
「尤もでございますな。至極潔ようございます。相模守殿の御気性なれば、御自身の御命乞いなど間違ってもなさいますまい。そのような御方と、承っております。己が首一つで購えるならと、領民の保証に臣の安堵、それらと引き換えになさるのは、らしい御話かと。尤も、首一つでは購えませんでしょうが、…。重臣の幾足りか、御兄弟の御一人位でも御一緒に淋しくないよう旅立たれますかな。勿論、殿がそのようなことになりますなら、わたくし本多正信めも、御同道を」
「…―――正信」
すらすらと続けていってみせる正信を嫌そうな視線で家康がみる。
「おぬしはな、…まあいい。だが、気に食わぬ」
正信をあきれたようにみてから、握り潰した手紙に視線をやり、短く吐き捨てるように眉を寄せて云う家康に正信が伺うようにみる。
「…殿、それは何に関してでございますかな?」
「氏政だ。…あれはこれで、―――腹を切ることになるのか?」
問いながら外を見て、気に食わぬというように大きく息を吐き怒りを蓄えている家康を。
「…では、殿は何を御望みでございますかな?」
「――――…」
暫く、無言で家康は外を見て応えずにいる。
家康の見つめる先、暗い夜闇の向こうには小田原城がある。小田原城を囲む東の端に位置するこの本陣に、家康は不機嫌に怒りを堪えながら闇を睨んでいた。
闇の向こうに淡い白が浮くようにも思えるのは、昼に視察した小田原城の幻がいま目蓋に蘇るものでもあろう。
小田原城は、いま風前の灯にある。
北条氏政は、その首と引き換えに、城内の兵一兵に至るまでの命を無事に取り扱うことを条件に、降伏するとの使者を家康との交渉の返事として、手ずから書を認め寄越してきていた。
いまその氏政の手になる書は、家康の手の中に握り潰されてある。
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