さて、如何してこのような運びとなったのか。

 事の起こりは織田信長が突然天に還った天正十年六月の後、羽柴秀吉が天下を掠め取り、さらにあろうことか豊臣を名乗り関白となり、九州征伐を済ませた辺りであろうか。

 既に東の大名上杉は秀吉に降り、家康の徳川も一時は織田信勝と結んで秀吉に対抗したが、信勝が逃げて名分を失い。結局は家康も秀吉に降る形となり、時勢は既に秀吉の天下が成るままに進もうとしていた。

 其処に残るのが北条である。

 関八州を治める大大名である北条家。

 その存分を秀吉が既に先より、救う気も赦す気も無いことは、上洛に従おうとも従わずとも、同じ結論だけが待っていたという理解は幾らも間違いではなかったろう。

 日の本をあと一息で攻め落とす際まで来ていた秀吉にとり、残る北条はいかにも潰しておかねばならぬ大勢力であった。

 その勢力が巨大で安定したものであればこそ、最後まで生き残る術は残されてなどいなかった北条であった。

 幾度にも渡る交渉、裁定、使者―――それらはすべて、茶番となり。

 小さな山砦一つを口実として。

秀吉は北条攻めの口実を得て、北条氏の治める小田原城、巨大な惣構に守られた都市を取り囲み、その勢力を押し潰そうと迫って来ていたのである。

 それは、それまでの攻城の習いを捨てさせられる戦でもあった。

 秀吉は降る城を赦さず、干し殺し、否、降るものさえも赦さず皆殺しとして、北条の小田原を護る支城を凄惨な殺戮の舞台とした。

 指揮する者達が、常の攻城と同じく降るものを許し、退くことを許すと秀吉は激怒し皆殺しを行わせたのである。

 それは、これまでに有り得ぬ言葉を失う凄惨さであったと。

 落ちた城の凄惨な最期が伝わり、秀吉の陣に付き従う諸将にさえ、暗い影を投げ落していた。



 暗い翳が、小田原城を取り囲み、凄惨な最期が此のままでは城内に籠る兵達だけではなく、惣構に守られる領民達にまでも及ぼうとしていた。

 内々にその凄惨な最期をいかにして避ける術が無いものかと、必死になって家康は他の諸大名達とも計り道を探っていた。小田原城内へも密かに使者を送ること数度。

 その重ねる内に、講和の条件をどうにか整えることができればと。

 必死になり、そうして。

 しかし、家康が得た小田原城よりの結論は、いかにも当然としたものではあったのだ。

 だが、…―――。



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