いっことよしくん物語 ~薬局編~

がんぶり

第1話 電鉄変電所

 彼は、狸です。

『よしくん』と言います。

大きなスーツケースとリュックは、ドアの隅に置いています。

よしくんは、作業着を着て安全帽をかぶり、さっきから、眠そうな目で流れる景色を見ています。

彼が、この粟生線の電車に乗るのは、はじめてです。

すると、見えてきました。

今回のメンテナンス先の押部谷変電所です。

窓の無い鉄筋コンクリートの建物、電車の変電所です。

人の気配は無く、近くの電力会社の鉄塔から強い電気を建物に引き込んでいます。

簡単に言うと、電車は電気でモーターを回して走ります。

電鉄変電所は、電力会社から受電した交流の電気を、直流に変換して架線から電車のパンタグラフに供給します。

よしくんの務めている電車の変電所メンテナンス会社は、日本中の鉄道会社のメンテナンスを行っているのです。

よしくんは、今までに北は北海道新幹線、在来線では茨城、長野など、東北新幹線、東海道新幹線、南は九州新幹線まで都市の地下鉄をも含んで仕事をして来たベテランです。


 しばらくして、電車は、緑が丘駅に着きました。

よしくんは、駅レンタカー事務所に直行します。

レンタカーは、変電所に通うための足です。

メンテナンス作業は、電車が停まった深夜のため、宿から自動車で通うのです。

その、緑が丘の宿も3か月程契約しています。

変電所のメンテナンス作業は、き電停止と言って、変電所からの架線への電気が止まるのが、終電後の午前1時なので、き電開始後の始発の午前4時までの間に作業を行うのです。

よしくんは、レンタカーを借りると、宿には行かないで、観光します。

観光と言っても、初めて訪れたこの緑が丘の町を自動車で走り回るだけです。

よしくんが、変電所に派遣される度に、楽しみにしているちょっとした観光なのです。


 田舎の古びたビジネス旅館に着きました。

よしくんは、フロントの女将さんに挨拶します。

 「こんにちは。 今夜からお世話になります。 電話でも言いましたが、夜間作業なので夕食後に駐車場に停めたレンタカーで押部谷変電所へ行って作業します」

よしくんが、そう言うと、女将さんは、

 「そりゃ、大変だねぇ。夜中の仕事かい」

と、眉をへの字にして言います。

 「ええ、仕事は、朝の4時終了なので、5時には戻ります。 朝食は、いりません。 ビール飲んで、お風呂に入り、寝ます」

よしくんは、明るく言います。

 「旅館の朝食は、6時からだからねぇ。 悪いけど…」

と、女将さんが申し訳無さそうに言うと、

 「大丈夫です。 朝は、自分でつまみを用意しますから。 慣れているので」

と、よしくんが、笑いながら言うと、

 「その代わりに、夕飯は、栄養のあるもの出すからね」

女将さんも楽しそうです。

 「しばらくの間、ご面倒かけます」

よしくんは、そう言いながら、内心良かった、と胸を撫で下ろしました。

宿泊先によっては、深夜や早朝の出入りを嫌う事もありますから。

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