第4話 異能は突然に(4)


 窓を閉めようと思っただけなんだけど、ダメだった?


「え、なに」

「…………おかしいんだ」

「なにが?」


「寒くないんだよ……」

「いや、めちゃくちゃ寒いけど……達海は寒くない、ってことだろ?」


 個人差があるのだから、おかしなことではないはずだ。

 だとしても、この寒さを感じないのは、異常だ、と思ってしまうが。

 ……ん? つまり、おかしいから気になったってこと……?


「さっきから、まったく寒さを感じてねえんだ……今だって、寒くねえ」


 らしい。おれの手を掴む達海の手の体温がしっかり伝わってきているので分かるが、熱い……体温がかなり高くなっている。

 体温が高い、としても、寒さは感じるはずだろう。寒いや熱いを苦にすることがなくとも、寒さと熱さを感じることはできるわけだ。


 しかし、今の達海はそれが分からない、と。

 毛布にくるまったように常に暖かいらしい。

 つまりこれが、達海に起きた異変、ということになる。


「えぇ……、なんだそれ、いいなあ……。当たりじゃん」


「かもな。だが、見方を変えれば外部の刺激に疎いってことだぞ? たとえば骨折してるのに痛くなかったら? 放置するだろ? 気づかなければ治療をしようとも思わないわけだし。そうなると怪我を放置したまま、やがて怪我した部分が使えなくなるんだ。人間としてのアラートが機能しなくなる。勝手に消されても困るんだがな……」


「えっと? なに言ってんだよ」

「なんで分からねえ……っ」


 ともかく。ハッキリと分かったわけではないけれど、おれが思っているような良いことばかりではないらしい。

 達海にも異変が起きている……なら、やっぱり、『あの日』に関わった子供が、影響を受けていると判断していいだろう。


「一応、美里にも確認してみるか?」


 両手で体を擦り、寒さを誤魔化しながら。さすがに窓は閉める。どんどん新しい風が入ってきても困るのだ。

 外と同じくらいに冷えてしまった部屋を温めるために暖房を入れるか迷って、結局リモコンを置いた。二度寝をする時間はなさそうだ。

 やっぱり心配なので、天也を追いかけないと。


「あー、美里か……それも任せる。あいつと喋るとすぐに口喧嘩になるからな……面倒なんだよ。陸なら慣れたもんだろ? 相性が良いしな」

「そうか? おれからすると達海の方が相性が良さそうな気がするけど……考え方が似てるだろ?」

「似てるから相性が良いとは限らねえよ。意気投合するパターンもあれば、同族嫌悪で突っぱねるパターンもある。オレたちは後者に近いんだよ」

「ふーん」

「ま、嫌いではねえから心配すんな」


 それだけきちんと言ってから、ヘアゴムを解いて、完全に二度寝してしまった。

 頭から毛布を被り、いつもの時間にアラームが鳴るまで起きるつもりはなさそうだ。


「……似た者同士だからこそ、同じ力は衝突すると決着がつかない、ってこと?」


 返答はなかった。

 なんであれ、喧嘩はしてほしくないな。せっかく、家族なんだし。


『また』壊れるのは嫌だ――とは、言うまでもないことだ。




 美里に確認を、と思ったけどそもそも早朝なのでまだ寝ているだろう。起こしてまで聞くことでもないし、ひとまず天也の末路だけでも確認しようと思い、階段を下りる。


 一階。

 真っ直ぐ玄関へ向かうと、想定内とは言え、しかし想定外の末路が見えた。


 裸の天也が倒れていた。

 そして、頭を踏まれている。


 ……外よりも冷えた極寒の視線で天也を見下ろす、鬼が……いや、美里がいた。

 軽蔑の視線が、なぜかおれにも向いていた。


「み、美里……?」


 ジャージ姿で寝癖もそのまま、見た目だけは油断の待っ最中なのだけど、寝起きですぐに天也を仕留めたようなので、意識は完全に臨戦態勢だった。

 倒れている天也は完全に伸びてしまっている……。

 透明の時点で仕留められたのか、既に効果切れだったのかは分からないが……。


「扉が開く音がしたと思ってこっそりと覗いてみたら、この変態が裸で家に入ってきたの。だから制圧したんだけど――これ、わたしが悪いの?」

「…………ううん、美里が正しいよ」

「そうよね?」


 裸で外に出る挑戦はしたものの、寒くてすぐに引き返してきた、ってところか。

 近所の犬の散歩ルートの外には出られなかった……熱が冷めるのも早かったらしい。

 それだけ外が寒かったのもあるだろうし。


 そして、不運にも、透明化の効果が切れたタイミングで、美里に見られてしまったのだ。

 で、反射的に変態を仕留めて今に至る…………ダメだ擁護できない。


 今の天也は、誰がどう見ても気絶していて当然だった。


「なに企んでるの? 教えて。ねえねえ教えてっ」

「血管を浮かせながら笑顔で近づいて言うことじゃなくない!?」


 逃げ場なんてない。

 そんなことは痛いほど分かっていたはずだけど、ついつい引き返してしまった。

 美里はおれの行動を読んでいたかのように(なんで!?)先回りして足を払う。払われたのは片足だけなのでバランスはまだ完全に崩れては、


「あ」


 いなかったけど、片足立ちのまま横から足蹴にされたら修正できなかった。

 硬い床に受け身も取れずに倒れるしかなかった。うぅ、視界が明滅してる……。

 気づけば美里が上から覆い被さっていた。


「ほら、大問題になる前に白状しなさい!」

「な、なんもしないってば!」


「わたしは全部知ってるの…………ほら、悪足掻きしないで、観念して」

「じゃあ聞く必要なくない!?」


 知ってるんじゃないのかよ!


「陸の口から聞きたいの。わたしは弟のことを信じてるからさ……」

「いや、お前の方が妹じゃん」


 ――いだっっ!?

 脇腹を強くつねられた。もちろん犯人は美里だった。

 なにが気に入らなかった? もしかして、おれが兄貴ってところが!?


「いいから言えよ」

「こわっ」


 その後は「言え」「言わない」の問答の繰り返しが続いた。

 気づけば「なにもない」が「言わない」に変わっていたけど、激しく言い合っている内に美里も気にしなくなっていたようで、突っ込まれることはなかった。


 おれがなにかを隠してることを確信しているようだから、どっちでもいいのだろうけど……。おれがなにかを隠してることはしっかりとバレているのだから、やはり身内は侮れないな。まあ、日頃のおこないのせいだろうが。


「言・え」

「言わん!!」


 言葉の応酬はやがて激しい両手の押し合いに。ごろごろと床を転がり、どったんばったんとレスリングのように攻防が進展している。早朝だぞ? 兄妹(姉弟ではなく)でなにしてんだ。


 一軒家だからこそできたことだった。いくら騒いでも、近所迷惑には……なるだろうけど、犬が吠えて周囲に響き渡るくらいだからおれたちの喧嘩なんか誰も気にしない。

 それこそ犬も食わない(?)のだ。


「え?」

「あ」


 その渦中のこと。

 ――わざとじゃなかった、ということは最初に言っておく。そしてこのタイミングで指が振動したのも、もちろんわざとじゃない。勝手に起動したのだから――――


 ぽよん、だ。


 見た目には分かりづらいけど、だけどちゃんとある、美里の胸に、おれの手が触れたのだ。レスリングみたいに暴れていたのだから当たらない方が珍しいと思うが……おれは無実を表明する! 不意に手が当たっただけなのだ。


 たまたま、美里の手を掴む過程で位置がずれ、おれの手が美里の胸を、がっと掴むように、触れた。触れただけだ。指が胸に埋まったわけじゃない。……柔らかさは分かったけどさあ。


 とにかく、感触があった。胸の形も変わっていたけど、まだセーフのはず……たぶん。そして最悪なことに、このタイミングで指が振動したのだ。


 右手の人差し指と中指が、さっきよりも強く小刻みに振動し――触れた。

 柔らかさの中に紛れていた突起物に、指が。

 振動が、伝わって――――



 美里の体が勢いよく跳ねた。



 声が聞こえなかったのは、おれが聞き逃しただけだろうか?


「…………み、みさ、と……?」


 力なく、だらんと倒れた美里がおれに全体重を預けてくる。おかげで休みなく続いていた攻防は落ち着いたけれど、嵐の前の静けさであることは重々承知だった。

 噴火の寸前であることは明白で。


 美里から離れたかったけど、動かない美里をこのまま放置もできず――背中をとんとんと叩いてご機嫌を取ってみるけど、意味はなかったみたいだ。

 むく、と起き上がった美里は、寝癖なのか怒髪天なのか分からなかった。怒りを越えてしまったのか、感情が見えない無の目が、おれをじっと見下ろす。


 軽蔑すらない。逆に怖い……。


「記憶を消すの」

「ひ……っ」


「さっきの、あれはダメだから。うん、記憶を消すの。あんたには残してやらないの。たとえこれがとしても、消しておかないとダメなの。だから消すの、分かる?」


「言葉の組み立てが気持ち悪い!!」


 おれに覆い被さったまま、美里が拳を振り上げた。

 逃げ場がなかった。


 見上げるとよく分かる、感情がないくせに耳が真っ赤な美里。

 振り上げられた拳が、あ、落ちてくるんだな、と分かった。


 記憶がなくなるまで殴るつもり……?


「ま、待てっ。色々とこっちにも事情がぶふっ!?」



 …つづく

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