第35話 きっかけはいつも「イヤだ」という思い

「じつはさ、正直言うと、小説から少し離れてたんだよね」

「そうなの?」

「うん、作った小説が思ったより読んでもらえなくて」

「イヤになった?」

「少し…」

「でも、次回作をまったく考えなかったわけじゃないんでしょ?」

「そうだけど、いいのが思いつかなくってさ」

「そっか」


 理は自分の現状を正直に話す。友子は彼の話を真剣に聞いてくれた。


「期待してたのかな…読んでもらえると、勝手に思ってただけかも」

「まぁ、それはわからなくもないかな…でもね」

「?」

「結果がどうあれ、自分がやりたいならやり続けることはできるよ」

「そうだね」

「私も何度も辞めようと思ったし、今だって思うこともあるよ」

「…」

「辞めたからといって、何か困るわけじゃないしね」


 友子の言葉に理はつい黙ってしまった。彼女のほうが自分のやりたいことを追求してきた経験が長い分、その言葉ひとつひとつが重い。そして、これから画家としての活動を本格的に始めようとしているのだ。そんな彼女の言葉が心に刺さらないわけがない。


「理はさ、なんで小説を始めたの?」

「webライターを仕事にしてたのと、映画とか物語が好きだったから…自然と小説を思いついたんだよね」

「それでなんで小説を書こうと思ったの?」

「小説なら自分が出せると思ったし、もし小説家として生きていけるなら、そのほうがいいと思ったから」


 理は友子の質問に答えていく。


「なんでそのほうがいいと思ったの?」

「自分らしく生きていけると思ったから」

「なんで自分らしく生きていくほうがいいの?」

「それは…、前までの人生に嫌気が差してたし…、それを変えたいと思ったから」

「なんで人生を変えたいと思ったの?」

「それは…」


 友子の質問についに答えに詰まる理。彼女は視線を落とす彼の頬に両手で触れると、その目を見て優しく微笑んだ。


「それを忘れちゃダメだよ」

「えっ?」

「『人生を変えたい』って思ったんでしょ?」

「うん…」

「そしたら、そのときの思いを大事にしなきゃ」

「うん…」

「なんで今小説を書いているのか、そのきっかけになった自分の思いを忘れちゃダメだよ」

「そうだね」


 理は友子の言葉に暗かった表情が少し和らぐ。小説は彼が自分から書くと決めたこと。そして、その元々のきっかけは「人生を変えたい」と思っていた自分自身だ。


 会社勤めをしていた頃は、上手くいかないことが多く、仕事だけでなく、人生そのものがイヤになっていた。会社を辞めてからもwebライターとしての働き方が上手くいかず、あまりに仕事を抱えすぎてイヤになった。


 その後に小説というものを思いつき、現在に至るわけだが、いつだって彼の考え方や行動が変化したきっかけは「イヤだ」と感じたからだった。だからこそ、「変えたい」と彼は思ったのだ。人生を。


「理はさ、きっと軌道修正をしてるんだよ」

「軌道…修正?」

「うん、ちょっとずつ、ちょっとずつ、自分が本当にやりたいこと、生きたい人生の方向に向かってね」

「あぁ、なるほど、たしかに…」

「だから、今はまだその途中なんだよ」


 理は友子の言葉でハッとした。彼女は彼が今やっていることを、的確に捉えていたからだ。


「そうか…今はまだ軌道修正中なんだ」

「そういうこと、それにまだ一作目だよ?まだ始まったばかり」

「うん」

「自分が出し切ったと思えるぐらい夢中になれるものを持ってるんだもん」

「そうだね、小説を書く前はそんなものすら無かったから…」

「じゃあ、今はまだやり続ければいいじゃん」

「うん」


 友子から優しい言葉をもらい、笑顔になる理。それを見て彼女も優しく微笑む。と、その瞬間、彼女が何かに気付いた。


「あっ!?また鼻毛出てる!」

「えっ!?鼻毛?また?」

「前も出てたけど、そのときは黙ってた」

「そうなの?」

「抜いてあげようか?毛抜きならあるよ?」

「いいよ!っていうか何で毛抜き持ってるの!?」


 彼は友子から鼻毛を指摘され、やむなく抜いてもらう。あまりの痛さに涙を流して鼻を押さえる理。それは見た彼女は、涙を流して笑った。


 ―――次の日


 昨日、友子は理の家に泊まった。翌朝は彼女が昼頃まで寝ることは無く、彼の起床に合わせて一緒に起きた。静かな朝を二人でのんびり過ごし、他愛のないおしゃべりは昼まで続いた。


 午後には友子が帰ることになり、理は改めて小説案を考えることにした。次の日も、またその次の日も、何かを思いつけばノートに案を書き出していく。そうして一週間が過ぎた頃、ついに次回作の小説案が完成した。


 その後はとにかく小説を書いた。午前中はwebライターの仕事に打ち込み、午後からは小説の執筆。会えるときは夜に友子と一緒に過ごし、充実した時間はドンドン過ぎていく。


 季節が変わり、二作目の小説も投稿が完了。書き終われば、すぐに三作目の小説案を考え始め、彼は執筆活動に没頭していった。


 それから一年が経ち、二年が経ち、気が付けば友子は画家として収入を生み出すようになっていた。それと同じ頃に理も初めて自身の作品が出版されることになり、晴れて小説家として書籍化デビューを飾った。


 今の二人は昔の面影さえあれど、中身はすっかり変わり、小説家と画家というアーティストカップルになっていのだ。理は今、昔の自分からは考えもしなかった未来にいる。


 それは「イヤだ」という思いを抱え、「自分の答えを出す」ということを知り、その思いを深く掘り下げていったからだ。本当の自分を知るために。その結果、今の未来へとたどり着いた。


 その未来は二人にとって完璧とは言えないが、たしかに自分たちが望んだ未来のようには思えた。二人は紛れもなく、幸せだったのだ。


 ―――そして、現在へ

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