第14話 最初の一歩

 理は次の日からwebライターの仕事に取りかかった。彼は会社を辞める前、仕事量をもう少し増やせないかクライアントに交渉していた。初日からしっかり仕事をこなすためだ。今日は五千文字の記事を二つ。時間はそれなりにかかるだろう。


 朝は朝食を食べるとすぐに仕事を開始。その後はひたすら記事の完成を目指して仕事に打ち込む。まずは午前中に一記事が完成。お昼はお茶漬けで簡単に済ませると、午後からはさらにもう一記事。


 それから夕方を迎える頃には二記事目が完成し、なんとか無事に一日一万文字を達成。彼は初日をやり切ると、安堵した。


「さすがに疲れたな」


 そう言いながらソファーへ座ると、タバコに火をつけ、初日が無事に終了したことを喜ぶ。幸先のいいスタートだ。最初の一歩目とすれば上々。


 ――一日一万文字ならなんとかやれそうだな


 自分がしたことの手ごたえを感じると、どこかヤル気がみなぎってくる。


 ――明日も頑張ろう


 そう思うと、その日は早めに寝た。次の日も理は朝から黙々と記事作成をこなした。その次の日も、またその次の日も、ひたすら記事を書き続ける。それから一週間が経ち、二週間が経つと、今の仕事のやり方にも徐々に慣れていった。


 仕事は大変だが、クライアントは喜んでくれ、これまで以上に仕事の単価も上げてくれた。目に見えていい変化があると、誰でも嬉しいものだ。


 ――このままいけば、前の仕事よりも収入は増えそうだぞ


 理は予想外の収入アップに喜ぶと、さらに仕事に精を出す。休みは週に一回だけ取り、あとの日はすべて仕事。とても忙しいが彼にとっては充実した日々だった。そして、仕事を始めて三週間が経った頃、久しぶりに眞鍋が家に遊びに来ることになった。


「ピンポーン」

「ガチャ」

「お疲れ様、ご飯買ってきたよ」

「ありがとう、あがって」


 眞鍋は前と同じように仕事終わりに理の家を訪れたようだ。


「新しい仕事どう?順調?」

「今のところ順調だよ」

「休みはちゃんと取ってる?」

「週に一回ね」

「なんか忙しそうだね」

「まぁ、そこそこは」


 二人は話をしながら眞鍋が買ってきたものを袋から出す。今日はスーパーでいくつかお惣菜を買ってきてくれたようだ。


「米炊いてるけど、食べる?」

「うん、食べる」


 理は自分の茶碗しか持っていないため、適当にご飯がつげる食器を探す。食事の用意が終わると、二人は隣に並んで座った。


「いただきます」

「いただきます」


 眞鍋が買ってきてくれたおかずはどれも美味しそうなものばかり、二人は会話をしながら食事を楽しむ。


「そう言えばさ、僕の絵を描いてって頼んだら描いてくれるの?」

「高いよ」

「アハハ、鉛筆とかでいいからさ、軽くデッサンしてみてよ」

「いいよ」

「いいの?」

「うん」


 食事を終えたあと、眞鍋は車に置いてあったスケッチブックと鉛筆を持ってくる。


「人物画のデッサンってね、かなり難しいんだよ」

「そうなの?描いたことないから僕には無理だけど」

「慣れててもね、意外とバランスが崩れてたりするのに、あとから気付いたりするんだ」

「そうなんだね」

「じゃあ書くからソファーに座って」


 眞鍋はパソコンデスクにあった椅子に座り、ソファーに腰かけた理を描く。


「何分ぐらいで描けるの?」

「三十分もあれば大丈夫だと思う」

「楽しみ」

「ちょっと!黙ってて!」


 眞鍋はいつになく真剣な表情になると、鉛筆をはしらせる。部屋にはその音だけが響き、二人は黙ったまま静かに時間が過ぎていく。それから十分以上が経過したところで。彼女が口を開いた。


「ちょっと休憩にしよ」

「わかった」


 理はテーブルに置いたタバコに火をつけ一服。眞鍋は椅子の背にもたれて、大きく背伸びをする。


「疲れた?」

「ちょっとだけね、でも髙平くんを描くのは楽しい」

「楽しい?」

「楽しいよ、今のところ上手に描けてるから楽しみにしてて」

「わかった」


 理がタバコを吸い終わったところで再開。その後は終わるまで、彼女は黙々と描き続ける。描き始めてからちょうど三十分が経ったところで、彼女が「できた」と言い、鉛筆を机に置いた。理は恐る恐る彼女に近づき、スケッチブックを受け取る。


「うわっ!?すごっ!んっ?」


 理は自分の絵の出来に驚いたが、すぐに何か違うことに気付いた。


「これ!鼻毛出てる!」

「アハハ」


 眞鍋は理の絵を上手に描き上げたあと、遊び心で彼の顔に鼻毛を付け加えたのだ。


「ちょっとー!」

「あはは、面白いでしょ」

「鼻毛はふざけてるけど、それ以外はめちゃくちゃいいよ」

「上手?」

「うん、ものすごく」


 理は初めて本物のデッサンを見て、とても驚いた。どうやったらこんな上手に描けるのかが、彼にはまったくわからなかったから。それとデッサンする眞鍋は普段の彼女と違い、とても真剣で、会社で真剣に仕事をしていたときはまた違う凄みを感じたのだ。


「鼻毛出てるから上手だけど、この絵は減点だよ」

「えぇ~、なんで~」

「減点だからこの絵に千円あげる」

「えっ?いいの?」

「いいよ、僕が依頼したんだから」

「じゃあ、これが私の画家としての最初の収入…」


 理は財布から千円札を取り出すと、振り返って眞鍋に渡そうとする。


「!?」


 眞鍋は嬉しさのあまり、涙を流していたのだ。理はそんな彼女の目の前に腰をおろすと、ひざの上に千円札を置いた。


「…ありがとう」

「どういたしまして」

「これは私の最初の一歩だ」

「アハハ、そうみたいだね」

「本当にありがとう」


 眞鍋の泣いて喜ぶ姿は理の心を打った。一生懸命打ち込んでいることが他人に認められると嬉しいものだ。彼は自分もwebライターとして仕事の単価を上げてもらったときのことを思い出していた。


「あぁ~、泣いた、いっぱい泣いた」

「そうだね」

「でも、おかげで私もヤル気が出てきたよ」

「僕も眞鍋さんを見て、背中を押された気になった」


 その日はそれでお開きにした。二人はこの日から、より一層自分たちのことに打ち込んでいく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る