第28話 三菱紋の斧槍


 大和機が散ったことで残存する公国軍トラクター部隊は武装を解除し撤退することになった。重厚な装甲に刻まれた傷だけが生々しく残り、その背影はどこか哀愁を帯びていた。


――大事な友達だったんだろうが、同情はしねぇよ。事情は知らねーが、そっちが始めた戦争なんだからな……だが、約束どおり素直に引くなら俺様も追い討ちを掛けるつもりはねぇ。


 運もそれを見逃し、執拗に追うことはしなかった。


「さて、残るは数で押し寄せる一般兵をエルフ族がどう抑えているかだが……」


「お兄ちゃん! お兄ちゃん聞こえるっ!?」


 ナビ機能を通じて久遠の声が届く。


「おう。たった今、敵軍リーダーを撃破して残るトラクター部隊を撤退させたところだ」


「良かった! それならすぐに中央広場まで来てっ! 五十鈴さんがっ!」


 久遠の様子は尋常ではなかった。


「なんだ? 何があった!?」


「あっ! ヒールっ! お兄ちゃん早くっ!」


「あっ、おい!」


 通話は一方的に切れた。


「なんだ……? 敵の主力はトラクター部隊なんじゃなかったのか?」


 運は首を傾げながら周囲を見渡した。


「おい、嘘だろ……?」


 そして絶句する。


 見れば森の至るところから火の手が上がり、かつての静寂が儚くも崩れ去っていた。木々は次々と燃え上がり、赤々とした炎が枝を舐め、葉は焦げて灰と化していく。空には黒煙が立ち昇り、辺り一面が焼ける匂いと熱気に満たされていた。火の勢いは止まることなく風に煽られながら森の奥へと広がっていく。木々の裂ける音や倒れる木の轟音が響き渡り、生命を育んできた大地が無情にも炎に飲み込まれていった。森はもはや息をすることもできず、ただその広大な緑が赤く塗り替えられていく地獄のような様子が運の目の前に広がっていた。


「交戦に夢中になっていて気づかなかった。まさか森に火を放つだなんて……森も公国の貴重な資源なんじゃなかったのか……?」


 運はその様子を暫く呆然と見降ろしていた。


「やべえ。呆然としてる場合じゃねーな」


 運は我に返ると急いで里の中央広場へ向かった。




 オクヤの里の美しい街並みが無情にも炎に飲み込まれていた。自然と調和した美しい木造の建物が次々と燃え上がり、彫刻が施された柱や梁は黒く煤けて崩れ落ちていく。かつて活気に満ちていた石畳の道は今や炎と煙に包まれ、逃げ惑う人々の悲鳴が響くばかりだ。市場は灰となり、屋根にはびこる苔や草も黒い炎の中で燃え尽きていく。


 広々とした公園もかつての静けさを失い、巨大な噴水が立ち昇る煙の中で水を無力に撒き散らしていた。荘厳な神殿ももはやその威厳を保つことができず、豪華な石柱や精巧な彫刻が崩れ落ち、燃えさかる屋根からは火の粉が飛び散っている。かつての神聖な場所は今や灰色の煙と赤い炎に包まれ、その光景はまるでオクヤの里の崩壊を知らしめているようだった。


 そんななか、弾き飛ばされるように後方へ吹き飛ばされた五十鈴が背中から大木に打ちつけられ、地面に崩れ落ちた。


「ヒール! 五十鈴さん、大丈夫!?」


 すぐに久遠が駆けつけて回復魔法をかけるも五十鈴の呼吸は乱れたままだった。


「はぁ……はぁ……すみません久遠殿、私が不甲斐ないばかりに……」


「そんなことないよ! アイツが、アイツが強すぎる……!」


 久遠と五十鈴の眼前には全身を黒い鎧で覆った重騎士が迫っていた。


 燃え盛る森の中、黒騎士はゆっくりと歩みを進める。彼の全身を包む黒鉄の鎧は炎に照らされて不気味に揺らめく赤い輝きを帯び、その巨躯が一歩を踏み出すごとに重厚な金属音が響く。周囲の木々は彼の進行に巻き込まれるように焼け落ち、灰となり、崩れ落ちていった。


「やらせない! この里は私が守る!」


 五十鈴は剣を構えて黒騎士に迫ったが、黒騎士はそれを物ともせず、ただ手に持った斧槍ふそうを一薙ぎするだけで五十鈴を払い退けた。


「がはあっ!」


 吹き飛ばされた五十鈴は後方の大木に打ちつけられる。


「ヒール! そんな……五十鈴さんが手も足も出ないなんて……」


「情けない限りです、時間稼ぎすらまともにできないとは……」


 倒れ伏した五十鈴と久遠に一瞥もせず、ただ前方を見据えて進む黒騎士の姿はまるで破壊の概念をそのまま体現するかのようだった。五十鈴と久遠は黒騎士に抗うことさえできず、その存在をただ受け入れることしかできなかった。


「ううん、仕方ないよ。あんな規格外な敵がいるなんて予想できるわけがない。あんなの人間の強さじゃない……。最初から、最初から公国は戦力の差なんて関係なかったんだ……あいつが一人いるだけで、エルフは全部終わってたんだから……」


「とっさに里のみんなを逃したことだけは正解でした……まさかあの黒騎士一人に戦線を崩壊させられてしまうとは……」


「みんな、逃げ切れるといいけど……」


「悔しながら、一般兵までを我々だけでは……」


 久遠と五十鈴が目の前の黒騎士に集中する間、公国兵は彼女らの防衛戦をたやすく越えて敗走するエルフ族を追う形となっていた。


「ゴメンね、私たちだけじゃ里を守れなかった……」


 森に燃え広がる炎を見て久遠が言った。


「そんなことはありません! 完全に包囲されていた森に運殿が突破口を開けてくれたおかげで逃げる選択肢が生まれたのですから」


「でも……」


「あとは私がここで黒騎士を止めさえすれば、みんなも一般兵ごときに負けないはずです」


「でも……」


「大丈夫! 何度でも立ち上がりますよ、私は!」


 何度立ち向かってもその度に弾き返されては重症を負う五十鈴を見て久遠は叫んだ。


「もうっ! 早く来てよ、お兄ちゃぁーん!」


 そのとき、久遠の叫びに応えるように空から舞い降りた一台のトラック。


 それは言葉も交わす前から一直線に黒騎士に向かって突撃していた。


「うおおおおおおっ!」


 途轍もない衝撃音を響かせ衝突するトラックと黒騎士。


 だが驚くべきはその結果、黒騎士が腕一本でトラックを完全制止している光景であった。


 足を止め、腕一本を悠然と前に突き出し、その乾坤一擲の一撃を難なく受け止める黒騎士。トラックの前方は黒騎士の掌によって抑えられ、巨大な車体がまるで壁にぶつかったかのように制止している。衝撃で黒騎士の足元の地面はひび割れているが、彼自身にはなんら影響が見えない。砂塵が舞い上がる中、黒騎士はまったく動かずに立ち続け、まるで力の差を見せつけるように静かにたたずんでいた。


――は? こっちはトラックだぞ!?


 その圧倒的な力の前では無力を痛感するというよりも呆然とするしかない運。


「うそ……だろ……? なんなんだこいつ……」


 放心するのも束の間、黒騎士が残る手に持つ斧槍を振り被るのを見て、運はトラックを収納しフォークリフトモードでとっさに身を引いた。


――やべぇ。防御力だけじゃねぇ……あいつの攻撃も絶対やべぇ……。


 黒騎士から飛びのいた運の額に冷や汗が流れた。


「運殿! 無事でしたか!」


 そこへ駆け寄る五十鈴と久遠。


「なんなんだあいつは。俺様のトラックを腕一本で止めやがった」


「はい。私も手も足も出せずにいました」


「それだけじゃない、それだけじゃないの」


 久遠が悲痛な面持ちで割り込む。


「まだ被害があるのか?」


「エルフ族の切り札、風の大精霊シルフもやられちゃった……たぶん、森の結界を破ったのもあいつの仕業なんだよ……」


「そんなにヤバい奴なのか」


 三人の視線はそろって黒騎士に向かう。


「聞いたことがあります。……三菱紋の斧槍を持った絶対無敵の黒騎士の話を」


 三人の視線は黒騎士の持つ斧槍に集まった。黒騎士の手に握られた斧槍には重厚で威圧的な光が宿っている。長く太い柄からは黒く磨き上げられた斧の刃と鋭利な槍先が伸び、その切っ先は一切の抵抗を許さぬような冷酷な輝きを放ちつつ、その重みだけでも見る者を屈服させるような物々しい重圧を持っていた。そしてその刃元には三つの菱形が並ぶ三菱の紋が刻まれており、恐ろしくもありながら芸術品のごとき神秘的な美しさで三人の視線を釘づけにした。


「あったよ五十鈴さん……三菱紋」


「それでは、間違いはありませんね……」


 五十鈴は神妙な面持ちで続けた。


「あの三菱の斧槍を持つ男は、黒騎士スーパーグレート」


「「スーパーグレート?」」


 運と久遠は喉を鳴らすように唾を飲み込んだ。


「大陸中に神出鬼没に現れては争いや戦争の火中に身を置くそうです……それも、特定の国や部隊に属さず、気まぐれとしか思えないような立ち位置で」


「何が目的なんだ?」


 五十鈴は首を横に振る。


「誰も黒騎士の目的を知る者はいません」


「不気味な奴だな」


「ですがその強さはまさに無敵と名高く、ここ数十年、戦場で彼が膝を屈した姿を見たものはいないと聞きます……たとえそれが一国の軍隊を一人で相手にしていたとしても」


「……少し話を盛ってるとかじゃないのか、それ?」


「ですが、今や転移転生の勇者たちでさえ立ち向かおうとする者はいないと聞きます」


「そんな厄介な奴が目の前にいるのか……」


「勝てそう? お兄ちゃん?」


「わからんな。先ほどの衝突にしたって、俺様はまったく手加減してなかったんだぜ?」


「そ、それを腕一本で止められちゃったの!?」


「正直、あいつの底が知れねーな」


「運殿をもってしても、ですか……?」


「なんか今まで戦ってきた奴らと違って、異質というか、やべー感じがするぜ」


「で、では。私が運殿のおとりとなって……」


「いや、ここは俺様が一人で戦う」


「「え!?」」


「どうやって戦うべきかわかんねーんだよ。今までは轢く側の圧倒的な力で捻じ伏せられる自信しかなかったんだが、どういう訳か、あいつには全然そんな感じがしねぇ……」


「黒騎士は轢かれる側じゃないかもしれないってこと……?」


「わからん……ただ、全力でブチかましても今の俺様じゃ勝てるかどうか……」


「うそ……」


 久遠は蒼白になる。


「だが、俺様だってリミッターを外して戦うぜ。今まではなるべく森を傷めないように気を遣ってたんだ……だけどこう言っちゃなんだが、こんなに燃えちまったんだ、もう遠慮はいらねーだろ?」


「そうですね……どの道もうオクヤの森での一族再建は困難となるでしょうから……」


 五十鈴は無念そうに呟いた。


「だから俺様は今度ばかりは全力でブチかます……! だが、そうなれば久遠や五十鈴を巻き込んでしまうかもしれない」


「そんなに激しい戦いになりそうなの?」


 心配げに見上げてくる久遠の頭に運はポンと手を乗せた。


「ま、ヤバくなったら逃げるさ。さすがに向こうもあんな重そうな鎧を着ながら空を飛んで追い掛けてくる……なんてことはないだろうしな」


「運殿……」


「時間は俺が稼いでやる。五十鈴は里のみんなを守ってやれ」


 五十鈴はきつく唇を噛んで俯いていたが、やがて力強く運を見返した。


「すみません。今の私では足手まといにしかなりません。ですが、里のみんなを無事に逃がすことができたなら、必ず戻ります」


「いいよいいよ、戻ってくんな。そんときゃ俺も逃げてるだろうさ」


「……無理は、禁物ですよ?」


「絶対、絶対逃げてよお兄ちゃん!」


「おう」


 運は二人に背を向けて答えた。


 そして五十鈴と久遠の二人は急ぎエルフ族の逃げた方角に向かって駆け出した。

 戦場に残された運と黒騎士。


「待たせたな」


「……」


 黒騎士は声を発さない。


「話す気がないなら、さっそく行かせてもらうぜ」


 こうして燃える森を戦場に二人の戦いは始まった。

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