第18話 VSドリアード(1)
オクヤの森の奥深くにはその昔、五十鈴やミュー、フィリーたちが魔法の訓練に使っていた秘密の広場があった。
高くそびえる木々に囲まれながらもその場所だけは不思議と空が開け、柔らかな日差しが地面に差し込んでいる。足元は苔と草で覆われ、ほどよく整えられた空間が広がっていた。木々の間隔は広く風通しも良い。近くには小川が流れ、周囲には誰の姿も見当たらない。
「五十鈴さんに教えてもらって来てみたけど、いい練習場所だねぇ。森の中なのに十分に炎魔法を練習できるし、風も、土も、水も、樹も。ほとんどの属性と相性がいいんじゃない?」
久遠は適当な切り株に腰掛けて、足をぶらぶらと振りながら言った。
「でもさぁ~……」
目の前には両手を前に突き出し、ひたすら魔法の名を叫び続ける運の姿。
「バックファイア! バックファイア!」
しかしながら立派なのは声だけで、魔法が発動する気配はまったくなかった。
「お兄ちゃ~ん、もうやめようよ~」
久遠はため息をつきながら頬杖をついて言った。
「さっきから全然、うんともすんとも言わないじゃ~ん」
「そうは言っても、啓示を受けてからナビ画面に魔法名が表示されるようになったんだぞ」
「でも、そんな魔法の名前、聞いたことないよ~」
「きっと俺だけの特別な魔法なんだって」
「どうせ出るのは火なんだし、ファイヤーボールとか普通のでいいじゃん」
「その普通の魔法が才能がないとかで使えないから困ってるんだろ」
啓示を受けてからどれだけ特訓を続けても運から魔法が放たれることはなかった。
「それにしてもお兄ちゃんの魔法って変な魔法名だよね~。バックファイアだけじゃなく、氷属性にしても普通はアイスストームとかアイシクルランスとかだし」
「ナビ画面でステータスが見られなかったら名前もわからないままだったな」
「発動に何か条件があるんじゃないの~?」
「なるほど。その線は疑ってみるべきだな」
「バックファイアでしょ? オナラでも出すんじゃないの~?」
久遠は本当にどうでも良さそうに呆れ半分の顔で言っていた。
「そんなの実戦で使えるか!」
「いいから試しにやってみなよ~」
「ええ~?」
「絶対に笑わないから~」
「……一回だけだぞ?」
運は周囲を気にしながら少しだけ尻をうしろに突き出した。
「バックファイア」
ボオオオオッ! と火を噴く運のケツ。
「「へ?」」
二人が呆気にとられている間にも火炎放射器のごとく火を噴き続けるケツ。
「ちょっ! お兄ちゃん! 早く火を止めなよ!」
「と、止めるって言ったって、いったいどうすれば……」
予想外の暴発に戸惑ってあたふたとする二人。
「オ、オナラの要領で出たのなら、お尻をキュッと閉めればいいんじゃないの~?」
「そ、そんなことで……」
そうは言いつつも言われたとおりにしてみると放出され続けていた炎は鳴りを潜めた。
「うそだろ、本当に止まったよ……」
しかし運が安堵していたのも束の間、放出していた炎が火種になったのか、それは森の木に一部引火してしまっていた。
「やべっ! 早く消せっ!」
「無理無理! 私、水魔法使えないもん!」
「あ~! くそ~!」
上着を脱いでバタバタと消火にかかる運。
幸いにも大火になる前に消火をすることができて二人は安堵した。
「「あ~、ビックリした~」」
二人は背中を合わせて地面に座り込んだ。
「まさか本当にオナラの要領で出るとは思わなんだ」
「あははっ! あはははっ! カッコ悪ーい!」
「おい! 笑わないって言ったじゃないか」
「あははははっ!」
「……こんなの使わなきゃ死ぬくらいの状況にでもならなきゃ使いたくねーぞ」
「ねえほかの魔法は? ほかのもお尻から出るか試してみよっ!」
「嫌だよもう」
「ねぇねぇ。これ五十鈴さんにも見せてあげようよ。魔法が使えるようになったぜ~って」
久遠は運の正面に回り込んでニヤニヤしながら言っていた。
「ゼッテー嫌だ」
「どうして~?」
「そんなカッコ悪いとこ見せられるか!」
「あ~! お兄ちゃん五十鈴さんの前でカッコつけたいんだ~。あはははっ!」
「うるさいな」
「あはははっ! でも大丈夫。私ならそんなことじゃ幻滅しないよ、お兄ちゃん」
「……くそー」
「くそまで出しちゃダメだよ?」
「うるせー」
「いて」
運は久遠の頭にチョップをした。
「ごめんごめん。お詫びにギューってしてあげるから許して~?」
「いいからくっつくなよ」
「あ~。もしかして私が可愛いから照れてるんだ~」
久遠が運に抱きついたときだった。
周囲の森が一斉に音を立てて揺れ出したのだった。
「ん? 変な感じの風だな」
「違うよお兄ちゃん、これ何か魔力を感じる」
「敵か? 魔物か?」
「ううん? なんだろうこの感じ……」
二人は立ち上がり背中合わせになって周囲に警戒した。すると二人を取り囲む森のあちこちから、それでいてどこからともなく聞こえるような声がする。
「見た?」
「見た見た!」
「森に火を点けてたね~」
「キャハハ、悪い子たちにはお仕置きが必要だ~」
その声はどうやら森の木々の間から発されているようだった。
「誰だっ!?」
運の誰何に応えるように木々の間や枝の上から音もなく姿を現したのは女性型の精霊たちであり、その数は優に十を超え、運たちはすでに取り囲まれていた。
彼女たちの姿はまるで木々と一体化しているかのように自然そのもので、美しい植物の蔦や葉で編まれた服を身にまとっていた。その衣装は繊細でありながらも大胆で、緑と花々が組み合わさって妖艶さを漂わせている。彼女たちの目は光を帯び、静かな微笑みとともに運たちをじっと見つめ、その姿には美しさと妖しさが絡み合うような神秘的な雰囲気があった。
「お兄ちゃん、きっと彼女たちは樹の精霊ドリアードだよ。私も初めてみたけど」
「へええ。珍しいものなのか?」
「少なくとも簡単に人前に現れる存在じゃないね」
「もしかして友好的じゃないのか?」
「そんなことはないと思うけど……」
「の、わりには、笑顔なのに今にも攻撃してきそうに見えるんだが?」
「もしかして森に火を点けちゃったから怒っているのかも……」
「あ~、じゃあワザとじゃないって謝らないとな」
運は両手を上げ、害意がないことをアピールしながらドリアードたちに近づいた。
「聞いた?」
「聞いた聞いた」
「ゴメンで済ますってさ~」
「キャハハ~! じゃあ私刑執行~!」
ところが近づく運に構えるドリアードたち。
「あはは。私、知~らないっと!」
トラブルになりそうと見るや、うしろ足で距離を取って離れていく久遠。
「お、おい久遠。そりゃないって」
「あ、お兄ちゃん。うしろ危ないよっ!」
「えっ!? ちょっと待てって!」
運が振り返ったとき、ドリアードたちの攻撃準備はすでに整っていた。
「待つわけなーし! でごじゃる」
「やっちゃえー!」
「リーフカッター! ってぇー!」
「りょーかいでありますっ!」
放たれる葉は刃のごとく運をかすめ皮膚を切り裂いていった。
「痛ぇ! こりゃひとまず守らせてもらわんと」
堪らず運は全身にトラック装甲をまとった。その装甲は葉刃を物ともしない。
「生意気だぁ~!」
「捕らえてボコれー!」
「蔓を伸ばせ~!」
「りょーかいでありますっ!」
続いての攻撃は伸びる蔓を使っての攻撃だった。
「おっと! さすがに素直には捕まれないな」
迫る蔓を回避しながら語り掛ける運。
「ちょっと! 話を! 聞いて! くれよ!」
「聞くわけなーし! でごじゃる」
「捕らえてチョメチョメ、あーっ! だ!」
「蔓の数を増やせー!」
「りょーかいでありますっ!」
悪ふざけのようなノリで次々と攻撃を仕掛けてくるドリアードたち。
「くっそ、キリがねぇな。仕方ねぇ、ちょっと痛いけど我慢してくれよな」
運は蔓の隙間を縫うようにかわしながらドリアードとの距離を一気に詰めた。
「峰打ちだから勘弁してくれよ!」
背後を取ったドリアードの一体をワイパーブレードで攻撃する運。しかしその攻撃はドリアードの体をすり抜けただけだった。
「なにぃ!? 切った感触がねぇ!?」
隙を見せた運はしなる蔓に撃ち落とされて地に叩きつけられた。
「痛ぇ……が、さすがはナヴィ。装甲の内側にはクッションシート内蔵か、おかげで衝撃耐性もなかなかだな」
ブレードを支えに身体を起こす運。だがそんな運に木々の枝の上から注いだのはドリアードたちの嘲笑の声だった。
「コポォ! 精霊に物理攻撃とか」
「バカなの~?」
「死ぬの~?」
「ねぇねぇ。安楽死の薬が欲しいの~?」
余裕で笑い転げるドリアードたち。
「だめ! お兄ちゃん! 精霊には実体がないから物理攻撃じゃ倒せないよっ!」
「げ! マジか!?」
「ここはオナラファイアじゃないと!」
「バックファイアだっ!」
運は遠く離れた位置から口だけでからかってくる久遠に厳しい視線を向けた。
「ギャーハハハ! ケツから火を吹く人だ~!」
「臭そうでごじゃる! 臭焉の業火オツ~!」
「くっそ、馬鹿にしやがって!」
運の厳しい視線は久遠から即座にドリアードたちに戻る。
「待って! これは私たちを笑い死にさせる作戦だ~!」
「キャハハ~、私たちの弱点属性を突かれた~!」
「お前ら、一回泣かせてやるからな!」
運はワイパーブレードを握る手に力を込め、小刻みに震えていた。
「お、オナラこく気になった~?」
「でも、もう遅いけどね~!」
「まだ気づいてないのかな~?」
「そろそろ効き目が出るんじゃない?」
次々に囃し立てるドリアードたち。
「は? 何言ってんだお前ら……って、あれ?」
運は急な目眩に襲われ、膝を屈し両手を地についた。
「なんだ? 急に目が回って、くそ。体も痺れてきやがった……う、吐き気まで」
起き上がれない運を睥睨してドリアードたちはさらに得意げに踊った。
「デュフフ! 状態異常コンボでごじゃ~る」
「毒、麻痺、混乱。はいサイナラ~」
「くっそ、体がいうこと効かねぇ」
ドサリと音を立て、運は潰れるように大地に倒れた。
「いけない! お兄ちゃん、生身は普通の人間なのに!」
「ねぇねぇ、いつの間に攻撃されたか知りたくない~?」
「キャハハ~! 教えてあげないくせに~」
笑い転げるドリアードたちをよそ目に久遠は運に近寄った。
「大丈夫お兄ちゃん! 今治すからっ! ヒール!」
「助かった、ありがとう久遠」
「ううん、私のことはいいから……きゃあ!」
次の瞬間、久遠の身体は蔓を巻き付けられ、上空に引き上げられていた。
「久遠!」
「キャハハ~、邪魔は良くないよね~」
「まぁ待つでごじゃる。見ればなかなかに可愛い幼女。これはこのまま触手でイタズラするのが定石でごじゃろう」
一部のドリアードたちの邪悪な笑みが久遠へと向かった。
「それはいやあ~! 助けてぇ~! お兄ちゃぁ~ん!」
「くそ! 待ってろ久遠!」
「ダメダメ~。そうはさせないのであります」
「ま~たすぐに状態異常にしてあげちゃうじゃん?」
「お兄ちゃん気をつけてっ! 状態異常を引き起こすのは花粉や胞子……むぐっ!?」
久遠の言葉を塞ぐようにその口に蔓が突っ込まれた。
「デュフフ、お口は塞ぐでごじゃるよ」
「キャハハ~、なんかヤラシ~!」
「久遠! くそ、迂闊に呼吸もできねぇってのかよ!」
「今さら息を止めても無駄じゃ~ん?」
「いつまで続くかな~?」
「くそ、こうなったら本気でためらってる場合じゃねぇ。バックファイアを使うしか……」
その瞬間、口を塞ぐ蔓を噛み千切って久遠は声を上げた。
「ダメお兄ちゃん! 罠だよ! たぶん今、お兄ちゃんのまわりは引火性の花粉で囲まれてるっ!」
「なんだって!?」
「このままバックファイアを使えば大爆発! つまりお兄ちゃんはオナラのせいで死!」
「! それだけはマズイ!」
運は再び絶望に膝を屈することになった。
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