PLUTO
なぜ天馬博士の外見を碇ゲンドウにした。
碇ゲンドウというのは「新世紀エヴァンゲリオン」の主人公・碇シンジの父親だ。エヴァは父親に見捨てられた子供の物語であり、シンジは父ゲンドウに対する複雑な感情を抱えながら、エヴァンゲリオンで戦う。
エヴァンゲリオンは「天馬博士が科学省長官であり続けた世界線」の鉄腕アトムのようなものだ。
葛城ミサトはお茶の水博士のポジションだ。シンジの親代わりになろうとするが、親にはなれない。
お茶の水博士はアトムの親たらんと頑張るが、お茶の水博士が与えられるのは愛情だけで、壊れたアトムを治すほどの腕は持っていない。できるのは天馬博士だけだ。
天馬はアトムの中にトビオを見出そうとし、狂い、ゲンドウはエヴァの中に妻ユイを見出そうとし、狂う。シンジを一人の人間として大事にするミサトに対して、ゲンドウはシンジをエヴァのパイロットとしてしか扱わない。
物語の視点はシンジの側にあるが、だんだんとゲンドウのねじれた心に焦点が当てられていく。
「シン・エヴァンゲリオン」だ。
エヴァンゲリオン新劇場版シリーズは最終的に、シンジがゲンドウの頑な心を開いて終わりとなる。なんで息子を素直に愛せなかったの? という問いかけに、実は若い頃から心をこじらせちゃってて……という言い訳がまさかのクライマックスだ。
天馬博士もそういう男である。
ゲンドウと同じく、妻はすでにいない。
ゲンドウと同じように、ロボットの中に亡き妻を求める。
息子トビオとの関係がうまくいかず、親子喧嘩がきっかけでトビオは死んでしまい、トビオにうりふたつの外見を持ったアトムを作る。
だがアトムがトビオの代わりにはならないことに気づき、アトムを捨てる。そのくせ忘れることができない。
アトムに誰よりも執着し、お茶ノ水博士すら諦めたアトムの復活に執念を燃やす。
で、アトムが復活すると、愛情などないようなそぶりを見せて姿をくらまし、お茶の水がアトムの親づらをしはじめるとイライラする。
ホントにもう面倒くさい男なのだよ、天馬さんは!
この「PLUTO」の主人公はゲジヒトだが、アトムの物語はしっかりとある。アトムはロボットとして登場し、人間に近づいていく。そして最後にはロボットに許されていないことをする、人間にしか出来ないことをする。
正編の「鉄腕アトム」であれば、アトムの進化は善であり、お茶の水もそれを肯定するだろう。
だが「PLUTO」における人への進化は善悪両方の面を持っている。お茶の水はアトムを悪にしてしまう可能性に躊躇し、アトムを復活させることを躊躇う。
天馬は躊躇しない。アトムが生きていればいい。天使になろうと悪魔になろうとアトムはアトムだから。
はたしてアトムの親たりえているのは、天馬なのか、お茶ノ水なのか。
系譜としては、鉄腕アトムの子孫とも言えるエヴァンゲリオンから、キャラクターを借り直した「PLUTO」
その結果、天馬博士の人物造形は味わいのあるものとなり、物語に深みを与えてくれた。
実に面白い試みだと思った。
*
というか「シン・エヴァ」は、第3期の鉄腕アトムっぽい。息子の努力で父親がオトナになる。第3村でオトナになったシンジが、ゲンドウを説得して物語が終わる。アトムに「死なないで、お父さん」と抱きしめてもらうことで天馬は改心する。同じ。
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