マクロス7
「歌が奇跡を起こす」とは何なのか。
「奇跡」とは何なのか。
マクロスという作品は最初の「超時空要塞マクロス」がすべてであり、以降の作品は全て最初のマクロスの変奏曲でしかない。
ここがガンダムと違うところで、ガンダムが「ガンダムの顔をしたロボットが出てくればガンダム」ぐらいのフォーマットしか持っていないのに対し、マクロスは「歌とメカと恋愛」という縛りをかけてしまったので、その枠の中で新しい物語を紡いで行かなければならない。
なかでも一番厄介な設定が「歌」で、マクロスは毎回「なんで、今回の戦いに歌が必要なのか」という口実を作る必要がある。
そこで編み出されたのが、フォールドなんとか、というネーミングで語られる一連の設定なのだが「特殊な歌声が出せるから、ヴァジュラに効く」という部分に重きを置けば置くほど、奇跡が奇跡で無くなってしまう。
合理性から奇跡は生まれないからだ。
すると今度は「歌いつづけると死ぬ」という設定を追加して、物語をドーピングする。
ドーピングと書いたのは「マクロスF」の使い切りではなく、続く「マクロスΔ」でも同じことをしてるからだ。「マクロスΔ」では、その設定すら二回目の使用で劣化してる分、歌い手がステージから飛び出して戦場で歌い出すことでボリュームアップをかける。
設定を作れば作るほど、歌の奇跡性は失われ、それ以外の何かでテンションを上げていかないと、盛り上がりを作れなくなる。
「マクロス7」で、歌がプロトデビルンに効いた理由は何か?
大した設定はない。
いちおう科学者が出てきて、何やら理屈をつけてくるのだが「ようわからんが、歌が効いてるのは事実だから、信じるか」程度のエクスキューズでしかない。
理由がない方が、奇跡を作れる。
スピリチア(生命の力、精神エネルギーのような扱い)を他者から奪うしかなかったプロトデビルンが、自らスピリチアを生み出せるようになったのはなぜか?
熱気バサラの熱気に当てられたから。
理屈にも何もなっていないが、それだけなのだ。
「マクロス7」は歌の奇跡を描いた作品だ。
歌の奇跡とは何かというと、一人の人間が、歌で銀河を平和にできると本気で信じて、歌って、歌って、戦場のど真ん中に飛び込んで歌いまくった結果、本当に奇跡が起こってしまうのだ。
理屈なんてない。
熱気バサラの熱い生き様を追っているうちに、見ている側が奇跡が起こることを期待するようになってしまう。スピリチアが生み出せないはずのプロトデビルンが、バサラの熱唱に心を震わせるようになる。自分も歌いたくなって歌い出す。するとないはずのスピリチアが生まれ、輝き出す。
本当に、それだけ。
それだけなのだ。
ありえないことが起こるのが奇跡であり、ありえるような設定を作ることは物語から奇跡を奪うことなのだ。
(正確に言えば、ありえないことでも起こしてほしいと視聴者に願わせるレベルにまで物語を盛り上げていった制作者のストーリーテリングの実力が、奇跡を正当化させたのだ)
時代を経て、設定が積み重なり、マクロスの世界はどんどん合理的なものになっていったが、それで失われてしまったものがある。
その一つが「歌の奇跡」であり、
マクロス7は他のどのマクロスよりも「歌の奇跡」を描いた作品だ。
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