異世界小説

第28話 おわり

──目覚めたのは病室のベッドの上。寝ぼけた瞳が捉えたのは、目尻を泣き腫らした母の姿だった。母の腕に抱かれ、その温みで徐々に実感がわく。



 俺は、帰ってきたのだ。遠い遠い異世界から、故郷の街へ。無事で良かったと鼻をすする母に、声をかける。



「ただいま」



 すぐに弟と妹が駆けつけ、遅れて父が仕事場から飛んできた。一様に「走らないでください!」「静かにしてください!」と看護師さんに怒られながら、家族みんなが喜んだ。



 勝手に事故をして、勝手に怪我をして、要らない心配をかけた。そんな息子が、兄が帰ってきただけのことなのに。でもそれがたまらなく嬉しくて、ありがたくて、俺は「やっぱり帰ってきてよかった」と思えた。



 母の話では、川で溺れた俺は、幸いにも・・・・岸辺の草に引っ掛かって、それを運良く・・・非番の消防隊の人が見つけ、いち早く病院に運ばれたことで、なんとか一命をとりとめたのだという。この後、退院してまず最初に向かったのは、家ではなく、命の恩人の彼が勤める消防署だった。



 さて、異世界で長いこと旅をしていた俺だったが、驚いたことに日本ではたった5日しか経っていなかった。世界の違いで、これほど時間の流れる速さが異なるとは……帰る際に・・・・聞かされてはいたが、向こうに残した彼女を思うと、少し心配になる。



 だが、そんな異世界への感傷に浸る暇もなく、この世界は俺を日常へと押し流す。退院の翌日には高校に顔を出さなくてはいけなかったし、そこからすぐに大学の入学手続きや通学準備に奔走することになった。なにしろ合格発表からしばらく眠っていたので、急がないと合格したのに入学できなくなってしまう。それに卒業旅行だって控えている。キャンセルなんてしてやるものかと、全ての反対を押し切った。



 旅行当日、友達は最初こそ病み上がりの俺を気遣う素振りを見せたものの、体も頭も平気だと分かると、すぐに態度をもとに戻した。夜行バスが東京駅に着いた時には、奴ら全然目を覚まさない俺をビンタで起こしやがった。少しは気を遣え。



 遊んで、騒いで、楽しみに暮れて、卒業旅行から帰ってくる頃には、最早あの不運な事故・・は、石ころに蹴躓いた程度の"記憶"に変わっていた。



 それでも、あの事故がきっかけの、異世界の旅路──コゼットさんの物語・・は、決して忘れないだろう。いや、忘れることなどありえない。なぜなら、その轍は、今の俺の後ろに地続きで刻まれているからだ。異世界は、決して朦朧とした俺の脳が見せた夢ではない。



 その証拠は、俺の制服の胸ポケットに残されていた。いつか、向こうの野山で摘んだ無名の花。ずっと仕舞われていたせいで押し花みたいになっているけれど、鮮やかな赤色はそのままだ。この花が、この世界と異世界を、かろうじて繋いでいる。



「そうだ。結局、あれ・・は何だったんだ?」



 3月の終わり、俺はある心残りを解決するために、地元の図書館へと足を運ぶことにした。別にスマホで調べてもいいが、その解答自体は、さして重要ではない。懐かしい街を歩きたいのだ。懐かしくて、寂しい気分の、この街を。物語・・のおわりを、思い返しながら──





──ことの発端は、カロだった。友達で人狼リコのほう。



 ヰタが母星に帰ってから幾ばくかの日々が過ぎ、祭りで忙しなかったテオンの街も落ち着きを取り戻してきた頃。いつものようにカルパ商店の店番をしているとカロが訪ねてきて、開口一番に「宝を探しに行こうぜ!」なんて言い出したのだ。あの時のアイツの嬉しそうな顔!大好物のジャーキーを前にした友達の愛犬コーギーにも勝る面構えだ。



 なんでもリンデさんに依頼をしていた地図の解読が無事に成功したらしい。その結果、予想通りに地図には情報が隠されており、魔法を解除したら新しい絵が浮かんできたのだという。



「きっと、こりゃ宝の在処を示す目印だぜ!見ろよ、ご丁寧に金貨の絵が描かれてんだろ!?」



 カロは興奮冷めやらぬ様子で、毛やら尻尾を逆立て、腕をふんふんと回す。件の地図を見せてもらうと、確かに褪せた地図の右上あたりに、ひときわ真新しい発色の絵が、不自然に描かれていた。



「……金貨?」



「……たぶん」



 その絵とは、金色で塗られた円の中に、なにやら動物が描かれたものだった。そんな模様の硬貨は見たことなかったが、果たしてこれは金貨だろうか。



 だが絵よりも重要な情報がそこには記されていた。絵の下に、見たことのある記号が、刻まれていたのだから。



「……"c"、"aro"。"caro"……"カロ"?」



「あ?なんだ?」



「いや、違う。地図に書かれてるんだ!"カロ"って!」



「なに!?だったら、そりゃあお前、もしかして、アニューが俺の為に財産を残してくれたってことか!?」



 違ぇよ!とは言えなかった。なぜなら、この"caro"が何を表しているのかは、分からないから。ただそれがアルファベットだと言うことは分かった。たぶん英語ではないが、それは重要ではない。重要なのは、地図にこの絵を記したのは、俺と同じ世界から来た人間である可能性が高いということだ。



 やはり、ヘドニアには、元の世界に帰る為の何か・・があるのだ!この時、俺はそう確信した。



「それで、これはどこ?」



「位置関係からして"モルベリア"周辺だろうって先生は言ってたな」カロはにやりと笑みを浮かべた。「お前とジジはそっちの方面から来たんだ、詳しいだろ?」



 正直に言えば詳しくもないが、変に初っ端から躓かせるのもよくないだろう。口は噤んでおく。



「分かった。行こう、モルベリアへ!」



 さて、このようにモルベリアへの旅が決まったわけだが、その前に三つ、やることがあった。



 一つは、ネロに休みの許可……いとまをもらうこと。彼とは雇用契約を結んでいるので、これをきちんとしないと損害賠償が発生する恐れがある。もしそうなればコゼットさんが般若と化す。



 しかし、これは二つ返事で了承を得ることに成功。ネロいわく「用立てならしてやるから、お宝が見つかった時は分け前よろしく」だそうだ。まぁ、本音を言えば、奥さんの出産も無事に終わり、ヰタも帰った今、そこまでの人手は必要ないのだろう。



 続いて、ウィズナルさんに情報をもらうこと。かつて彼は、日本へ帰る為の手がかりがヘドニアにある可能性に気づかせてくれた。あれから、なにか情報が増えているかも知れない。だけど……。



「残念だが、興味深い話は入っていない。なにしろヘドニアとの交通が減っていてな」



「そりゃどうして、戦争でも起きたか?」



「いや。だが、これから起こる可能性は低くはないだろうな」



 興味本位でついてきて、茶化すように相槌をうったカロだが、思いの外、深刻なトーンで返ってきた答えに真顔になる。彼のリアクションは見ていて飽きない。



「近頃、龍がたびたび、大運河グランカに現れるということは知っているか?」



「いんや……あ、そういや俺がこの街に来た頃に、あっちで龍が暴れたって噂を聞いたな」



「龍は非常に獰猛な生物であると同時に、水害の兆しとして神性を帯びている。『龍が川を氾濫させ、人々を異世界に押し流した』という伝承もあるな。実際、数十年前に龍がヘドニアに現れた時には、都が大洪水に遭い、相当な被害が出たと記録がある」



「……作り話だろ?」



「だが、実際に商業活動は萎縮している。ハーフナー商会など、わざわざ龍が出没した湾港を視察し、ヘドニアへの交易を一部、海運から陸運に切り替えた。他の都市もそれに続き、大運河グランカの交通量は着実に減っている」



 魔法協会も、交易船の駐在魔導師の需要が減って困っているんだ、とウィズナルはため息をついた。



「交易が減れば、その分商品の値段も上がる。ヘドニアは物を買えなくなり不況が起こる。不況が起これば、失業者も増え、治安も悪化する。そんな状況で臣民の不満が国から溢れれば、それは戦争と呼ばれる……ま、ヘドニアの都に近づくのは止めておけ」



 なんだか物騒な話を聞いてしまったが、色々と聞いていくとモルベリアは、そもそも運河が通っておらず、陸上塩交易の中継地なので比較的安全らしく、今回の旅には影響は、おそらくないとのことだった。



「ふむ……私としてはヘドニアよりもカロ氏、貴方がた人狼リコについて興味があるのだが」



「それは旅から帰ってきてからでお願いします」



 俺達はウィズナルの長話から逃げるように魔法協会を後にすると、そのまま分かれ、各々に準備を進めることにした。



 さて、これでようやく三つ目だ。最後に一番大事なことが残っていた。「コゼットさんの説得」だ。



 彼女はヘドニアから逃げて、このテオンに来た。あの地には彼女にとって辛い記憶が残っているし、いま戻れば、憲兵に捕まってしまうかもしれない。だからこの旅には俺だけがカロに付いていく。そのつもりだった。



 彼女は、そんなヘドニアの地へ俺が向かうことを嫌がるかもしれないし、そうされた場合に断るのは……非常に困難だ。感情的に。



 だが、大学から帰ってきた彼女にこのことを伝えると「私も行きます」と予想外の答えが返ってきた。



「え、なんで?」



「うーん、分からないです」俺が訊くと、彼女は困った様子だった。どうやら、それは口をついて出た言葉だったようだ。



「行きたくはないんですよ、行きたくは。けど、ミチルについて行きます」



 いま思えば、彼女は虫の知らせを受け取ったのかもしれない。無理をしなくてもいいと言ったが、彼女は頑なだった。結局、モルベリアへは、俺、コゼットさん、カロの三人─丁度、テオンに来る時と同じメンバーで行くことになった。



 こうして数日後、カルパ商店と形而化学会のみんなに「いってきます」と挨拶を済ませると、俺達は交易隊の馬車に乗せてもらってテオンを発った。



 この時の俺は、テオンに帰ってくるつもりだった。ヘドニアで見つけられるのは、あくまで日本に帰る手がかりだろう。それを元に具体的な手段を考えるには、テオンに帰ってきて、ヰタの時のように皆の力を借りる必要がある。そう考えていた。



 だが俺がテオンに帰ることは、ついになかった。



 ヘドニア─あのはじまりの都で、コゼットさんの物語・・は、おわりを迎えることになる。

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