第18話 魔法の力


 大学の前でコゼットさんと別かれてから数十分、ここはテオンの東通り・・・満遍まんべんなく石灰で塗られた石畳は陽光を浴びて白く輝いており、ただ通りを歩いているだけで、夏空を飛んでいる気分を味わえる。全く、住んでいる西通り・・・とは大違いだ。



 俺らの通りには石畳なんて上等なものは敷かれていない。剥き出しの土は馬や車に蹴られて一面でこぼこ、雨上がりの水たまりが何日でも残っている有り様だ。西通りを往来するだけで足元は泥だらけ、運が悪ければ糞の臭いを持ち帰りだ。この違いは何か。



 それは、それだけ「東通り」が豊かだということだ。青空の下で、この門前町・・・を見晴らせば、この豊かさをもたらす源泉が、その突き当たりに鎮座している。黄金と白のドーム屋根で以て中東の寺院を思わせる、目的地の魔法協会・・・・だ。



 魔法協会・・・・──テオンの魔法を実質的に支配し、都市の富の2割を生む大企業。主な業種は新しい魔法の開発、魔導師の派遣、そして出版・・



 魔法協会について、リンデさんから大筋を聞いた時は気にも止めてなかったが、なぜ魔法使いが出版業なんてやっているんだろうか。副業?



 ただ出版を差し置いたとしても、魔法の開発・・・・・というのも、よくよく考えれば考えるほど理解が難しい。緑色か紫色の液体を大釜でグツグツと煮る老婆の姿しか想像できない。絶対に間違った認識だと断言できる。



 協会に着いたら、ここら辺はリンデさんの知人に聞いてみよう。たしか名前は"イーディン"さんだったか。



 そんなことを頭の片隅で考えながら、俺は魔法協会の正門をくぐり、シンメトリーの庭園を抜け、協会の1階吹き抜けエントランスホールにて受付まで済ませた。受付の男性は俺の姿に不審な視線を隠さなかった。そんなに貧乏臭い格好をしていたかな?念の為、昨日ローブと下着を洗濯・・してもらったんだけど。



 しかしそんな彼も、俺が"リンデさんのお使い"だと言うとコロリと態度を変えた。そういう方便ではなく、実際にリンデさんから"魔法協会に原稿を持って行くよう"依頼を受け、封書を渡されているのだ。なんでも彼の貴重な収入源だと。



 たしかに大学から魔法協会まで、歩きで小一時間もかかる。自分で渡しに行くのは億劫な距離だ。郵便は"高額で信用できない"。という訳で俺の出番というわけだ。この原稿の受け渡しのついでに、異世界に関心のある人物と面会できると聞いている。



 面倒事を押し付けられているとも取れるが、貴重な原稿の伝手として信用してくれているとも言える。そういうことにした方が気分がいいので、そういうことにしておく。



「おお、いたいた」



 エントランスの列柱にもたれ座って"イーディン"さんを待っていると、ウェーブ髪の優男が声をかけてきた。



「待たせてごめんね。リンデ氏の紹介って君のことかい?」



「はい、ミチル。古庭コバミチルです」



 咄嗟とっさに立ち上がると優男は驚いて、少し見上げるように半歩下がった。



「おおっと、立つと意外と大きいんだね」



 完全な余談だが、身長180cmくらいの俺でも、この世界では大体の人より頭三つほど抜けている。優男の彼の身長は170cm程度だろうか、それでも他の人に比べて背が高いくらいだ。俺より背の高い人はカロとリンデさん……というか人狼リコしか知らない。彼らは彼らで2mをゆうに超えているので、種族的なものだろう。



「えっと。アナタがイーディンさん、です?」



「あぁいや、僕は君と同じお使いだよ。リンデさんから出版部に"代理人に原稿を預けた"って伝言があってね。イーディンさんと会いたいんだって?」



「というより、向こうから自分に会ってみたいって」



「へぇ。あの人、異世界小説にしか興味ないのに、珍しいこともあるもんだ」どうやら彼は本当にただのお使いで、詳細は全く聞かされていないようだ。「……もしかして、君が異世界人だったりして?」



「なぁに言ってんすか。そんなの想像上の生き物ですよ」



 自分を想像上の生き物に棚上げして、俺は彼に封書を渡した。ここで彼に異世界人だと打ち明けて説明に時間を取られるより、小説家と話す時間が欲しい。



「ありがとう。ホントに助かったよ。これで作業が進むよ……」原稿をあらためた優男は、安堵のため息をこぼした。「それじゃあ、イーディンさんの執務室に案内するよ」



 本舎の離れにあるという執務室に向かいながら、俺は優男に、いくつか気になっていた事を訊ねることにした。暇なので。



「形而化学会と魔法協会って仲が悪いと聞いたんですけど、そうでもないんすか?」



「お偉い方はそうだろうね。でも昔の話だし、そもそも出版部には関係ない話さ。個人的にはリンデさんは良い人だし嫌いじゃないよ。締め切りは守ってくれるし」彼は封書をはためかせた。



「それって魔法についての論文的な奴ですか?」



「いや。今度テオン市政の定住民政策に対する批判記事を出版するんでね。彼みたいな存在は貴重だし、意見をもらうことにしたんだよ」



 彼はボカした表現をしたが、つまりは人狼リコの立場からの意見を頂戴したらしい。人間でも半分以上が文字を読めない世界で、文章を書ける別人種の存在は、たしかに貴重だ。



「それと、ここに来る前から思ってたんですけど、魔法協会って出版社みたいなこともやってるんすよね」



「あぁ。企画から印刷までね。主要部門さ」



「それって魔法となにか関係があるんすか?魔法と出版ってのが紐づかないっていうか」



「ああ、それはね」彼は言葉を止めると廊下の窓を指さした。「作業場を見せた方が早いか。ちょいちょい」



 覗いてみると、そこは地面を掘って作られた体育館のような広間で、足元では何百という人々が、まるで試験を受ける学生のように机の上を睨みつけている。こうして外から見ると異様な光景だ。



「これは、何してるんすか?」



「印刷だよ。テオン市で発刊される書物は"全て・・"ここで刷ってる。転記の魔法でね」



「魔法で!?」



「いくら奴隷が大勢いても、いちいち手で書き写させるのは非効率だろ?」



 『魔法で書物を刷る』。その回答は全く予想していなかった。コピー機がないのは当然分かっていた。けれど"書物"というのが、コゼットさんのような奴隷の人まで手にとって読めるくらいに市民権を得ているということは、それなりに大掛かりな機械──輪転機ほど高度ではないにしろ、グーテンベルクの活版印刷機のような機械があるのだと、勝手に想像していた。



 しかし、返ってきた答えは魔法と奴隷を使った人海戦術。なんという力技だ。



「大元を辿れば、魔法は写本の効率化の為に生まれたってのが定説なんだ。それまで学者の仕事だった写本が、転記魔法さえ覚えれば、文字を読めない奴隷でも楽に作業をこなせるようになる」



 考えてみればそうだ、印刷機械の発展なんては"俺の世界"の歴史。"この世界"では、印刷機械なんてもの発明しなくとも、人の力で転記が可能だった。それだけのことだ

 

 

 久しぶりに味わったカルチャーショック。慣れてきたとは言え、ここは"異世界"だと強く意識させられる。



「その内に文字を覚えれば、さらに速度と精度が上がる。彼らは素晴らしい職人だよ」



 再び歩き出した彼を追うように俺は窓を離れた。



「それまで、限られた階級の人に独占されていた書物が、魔法の力で庶民にも広く普及するようになったんだよ。これがどれだけ大きな事か、分かるかい?」



 うぅん。唸り声で返すと、彼はリンデさんの原稿を軽く叩いた。



「それまでは市の悪政に、こうした批判の声なんて集められなかったって事だよ。さ、ここが執務室だ」



 執務室は、離れとは言いつつも一軒家ほどの大きさがあった。石造りの建物は白く塗られ、一点の汚れも見当たらない。ドアノッカーは当然のように金で出来ている。これほど豪勢なプライベートスペースを与えられているとは、一体どれほどの人物なのだろう。



「イーディンさん!リンデ氏から、例のお客様です!」



 優男が叫んで呼び出すと、どたばたと雑把で大きな音が執務室から鳴り響き、やがて勢いよく扉が開いた。



「よぉーこそ来てくれた!!!ミチル君!!!」



 飛び出してきたのは、ロングの黒髪が暑苦しい、色白のおっさんだった。しかも俺より背が高い。それでいてひょろりと痩せている"柳の木"みたいな人だ。彼は俺の手を強く握り、ぶんぶんとシェイクさせる。



「いやぁ、会えて光栄だよ!!!」



 耳元でうるせぇ、距離が近ぇ。にじんでる手汗がテンションをがくっと下げてくる。



「あ、うす」



「興奮しすぎですイーディンさん。声、小さくしてください」



「おっとすまない。まま、中に入ってゆっくりしてくれ」



 見かねた優男が嗜めると、"イーディンさん"は申し訳無さそうに手を離した。彼にはありがとうと後で言っておこう。



 建物に入ると、そこはすぐに応接間だった。床は柔らかそうなカーペットで覆われていて、背が低く幅の広い木机が中央に置かれ、その上には色とりどりの果実が用意してあった。



 イーディンさんは机を挟んだ奥の座椅子に腰を掛けると、好きに寛ぐように俺を促した。



「机の上のは好きにつまんでもらって構わないよ。飲み物は何がいいかな?」



 彼は指を3回鳴らす。すると机の上に3種の茶器が順に現れる。



「冷たい水、果実酒、お茶……ムルヴィ産の高級葉だよ」



「じゃあお茶で」



「では私も、そうしよう」



 彼が続けて指を鳴らすと、2つの茶器が消え、そして2つの陶製のコップが自分と彼の前に現れた。そして茶器が宙に浮かび、それぞれのコップにお茶を注いでいく。



 まさしく魔法だ。これぞ魔法だ。想像上の外国人がアメージングとブラボーの喝采を上げる。これでいいんだよ。印刷だとかちょこざいことに魔法を使うな。



「さて、リンデ氏から聞いているだろうが、自己紹介させて頂こう」



 眼の前の魔法に対し、俺が脳裏で称賛を送っていることなど知る由もないイーディンは、茶に手をつけるより先に話を切り出した。



「私はイーディン・アル・ルクス。知己と読者・・からは"ウィズナル"と呼ばれている。どうか存分に君の故郷の話を聞かせてくれないか?」



「へ、"ウィズナル"?」



 それはコゼットさんの口から何度も何度も聞いた名前だった。彼女の大好きな異世界小説ヘブル・ノブルの大作家、その人が眼の前にいる。俺はそんな状況において……なんの感懐も抱かなかった。



だって俺は別に読者じゃないし。

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