迷宮巣 Labyrinth Nest ~世界の裂け目が開けて八年経ちます~

手嶋柊。/nanigashira

第1話 時雨梛木

ㅤ私からあの人を奪った、世界の裂け目。

 迷宮巣ラビリンスネスト――当時はその存在が憎かった。

 裂け目の向こう側へ踏み入るなら、容易い。

ㅤそれが各地に開いてから、低深度域――便宜上、以降は低域と記す――の異世界には地球とそう変わらない大気組成の地表が広がっていることの珍しくはないからだ。

ㅤおおよそ二年もすれば、低域のネスト周辺には大挙する探索者らのために、最低限の柵や脈道と呼ばれる舗装がなされ、その気になれば当時から、私のような子どもでも大人の目を盗んでの往来は可能だった。


『――、綺麗っ』


ㅤ世界の裂け目は、私から大切なひとを奪い続けるけれど、初めて踏み入ったあの日、異界の摩訶不思議な植生やオーロラに覆われた幻想的な空間は残酷なまでに美しく、その感銘は――文字通り、天地のひっくり返るほどに感覚を揺さぶった。

ㅤそれまで迷宮巣へ抱いていた、あらゆる負の印象をぬぐい去るほどに。


*


ㅤPCSの学校案内は、リビングのゴミ箱にあった。


「ユイさん……どうして駄目なんです?」


時雨梛木しぐれなぎ、少女は向かい合う女性に、声を尖らせている。


「学費はどうするの。

水瀬みなせくんが無事だったとしても、あなたが探索者になるなんて、きっと認めない。

ㅤ迷宮のクリーチャーを見たいなら、保護当局へでも勤めてればいいでしょう?

ㅤPCS《スクール》に通う理由や、深域へ行こうなんて、わざわざリスクを冒す必要はない。そもそも迷宮巣へ行かないでと言っているの」

「私は、水瀬さんを捜さなきゃ――」

「捜すって?

ㅤそれであなたが危険な目に遭ったら、私は彼に合わせる顔がないのよ!」

「それはユイさんの面子でしょう!?

ㅤユイさんは水瀬さんのこと、諦めるんですか!」

「違うよ梛木ちゃん、あなたを護りたいのは、家族だからッ」

「――、もういいです」


ㅤ梛木は嘆息して、部屋から出た。

ㅤあのひとの欺瞞もいいところだと想う。ユイさんこと、藍乃結あいのむすびにとって必要なのは水瀬が遺した実子、今も寝室で寝ているつむぎくんであって、私ではないのだから。


*


ㅤ五年前に設置された高等教育機関『パイオニールコンダクタースクール(Pioneer Conductor School)』ことPCSは、迷宮巣や異界を探索・探求する者を積極的に受け容れている。理事長を務める天縫あまぬいひさめは、梛木や結とも旧知の仲だ。

ㅤ忙しくしている人だが、進路を相談したいと伝えたら、喫茶店で落ち合うこととなった。


「梛木ちゃんがPCS《うち》へ入りたいなら、その意欲は否定しない。

ㅤだけどね、探索者というのはすでに産業として斜陽なの。

ㅤわざわざ危険を冒してまで、深域へ踏み入らずとも、浅域から持ち帰る既存の資源だけで、多くの成果が見込まれる」

「でも私は――」

「切原くんを捜したい?

ㅤそのために、金紅ルチルに人形まで用意させたと」

「えぇ、まぁ」


切原水瀬きりはらみなせ。迷宮巣をこの世へ齎し、のべ八年間で二次災害含めて三十四億人もの死者を出した『世界の英雄』にして『人類史上最多の虐殺者』と揶揄される、梛木の養父であった。


「梛木ちゃん、私たちがPCSを創設したのは、『探索者の生存率をあげる』ためであってあなたの求める『深域への探索』は、この四年ほどは殆ど滞っているのよ。

ㅤうちに通ったからといって、望みどおりの探索ができるとは限らない。

ㅤ理由は知っての通り、深域探索者は長期間に及ぶ向こう側への滞在で音沙汰がなくなり、三年も経つと待つ側が受容できなくなる。成果物がまったくなければ、それまでそこにかかったコストの回収は見込めないから」

「つまりなんです?」

「よく考えて。ユイちゃんは、あなたが行って戻って来れなくなることを心配している。

ㅤ深域への探索には、人形を用いても、何年ものスケジュールと期間を入念に準備しなくてはならず、あらゆるリスクに備えて――それだって、けして一人でできることじゃないのよ?

ㅤ水もない荒野へ弾き出されて、そのまま人形が棺桶になってもおかしくない……それでもあなたは、深域へ行きたいと」

「――、水瀬さんが見つかるなら、どんなかたちになっても。

ㅤ命だって惜しくない!

ㅤ……ひさめさんなら、わかりますよね?」


ㅤ梛木の決意は固かった。意固地という意味で。

ㅤ彼女の若さを見せられて、ひさめは一瞬言葉を失って項垂れる。


「私は、そんなあなたを待たないわよ。

ㅤ本気で探索者を目指すなら、自分こそがなにより生きて報われる――そういう欲を燃やしなさいな。でないとなにを成すこともなく、半端に野垂れ死ぬ」

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