護翼抄異伝
律角夢双
序章
遊山中の怪
遠く霧の深山を眺める人の心には、一体何が棲むであろうか。ある者はその威容が示す
けれども
「
立ち籠める
女は名を
「……ったく。どこ行っちまったんだい、あの子は」
伝法な口調とは裏腹に、芍の声音には焦りが滲む。視線はあちこちへ飛び、草履の音もざわざわと忙しない。最前より名を呼ぶ希井斗というのは彼女の弟分、いやそれ以上の、吾が子も同然に目をかける少年で、こんなことになるなら連れてくるのじゃなかったと、芍は人知れずほぞを噛む。
芍が山を訪れたのは、雇主に頼まれてのことであった。
芍とて山を侮っていたわけではない。しかしいざ山の
初々しき白で身を包む、目尻に薄く紅が差して、はらはらと、舞い落ちる
ほら希井斗、見てごらん。山桜が満開だ。きっとあたいらが来るのを待っていたに違いないよ――すっかり夢心地の芍が、ふと振り向いたときはすでに遅く。背後を離れず付いてきていたはずの希井斗の姿はどこにも見当たらない。時を同じくして霧が追討の
それから小一時間ほど歩き続け、今に至る。だが依然として希井斗からの応えはなく、芍も変わらず
ここは一旦下山して、捜索を頼んだ方がいいだろうか――莫迦な、と芍は
――ん――――
耳を掠めた音は遠く、どこか木霊の残響のような。あえかに過ぎて声かどうかも判らないほどであったけれども、芍にはそれが、心細さに震える希井斗の声かと思わずにはいられなかった。一度そう聴こえたら、
――さん――――さん。
と、続いて届いたのはより鮮明に声を
足は地を蹴っていた。阻めるものなら阻め、
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