第9話 ある少女の懐古

「じゃあ、どうやったら死ななくて済むか考えようよ!」


「ふふっ..。そういう人は初めてだよ..」


「じゃあ、いつもはなんて言われていたの?」


「『そう、でも別に貴方が死んでもどうでも良いけどね』って」


「え..」


「冗談だよ」


 少し冷静さを取り戻したベルガモットは虚空に向かって白い息を吐き、

顔を背けたまま言葉を続けた。


「でも、ここにいる騎士団の皆も、王国の民も、必要としているのは私じゃなくて、

私が持っている神託なんだよーー」


「えっと、ベルガモットの神託って..」


「知ってるでしょ? 私の神託は全魔族の居場所を特定出来る。

そして、特定した魔族の居場所と数を、転写する事も出来るー

動かないでじっとしていて、水面を良く見ていてね」


 ベルガモットがそう告げたため、


 僕は水面に注視し、何が生じるのかを観察することに決めた。


 10秒もかからなかったと思う。

水面がゆらゆらと揺れ動き、雨は降っていないはずなのに、

波紋がポツリポツリと生じ放射線状に広がっていった。


「どう? 今君がみた波紋の一つ一つが、

魔王城における、魔族の所在を表しているわ」


「す、すげぇ!」


「こんな感じで、

私の脳内地図の『転写』は、静止している物質の上ならどこでも出来るわ。

そして、そんな私の神託の、もう一つある能力は..」


「まだあるの!? 見せて見せて!」


 子供ながらの探究心を刺激され、聞かないという選択肢はなかった。


 興奮して鼻息が荒くなっていると、

ベルガモットは水面上の波紋の一つを指差した。


「見て。他の波紋は一つ一つ動いているけど、

ここの波紋だけ静止したままでしょ?」


「あ、本当だ!」


「なぜだと思う? それはね、私は指定した一体の魔族をその場から

動けなくさせることが出来るから。『固定化(ピンドメ)』って呼んでるわ」


「固定化(ピンドメ)? 

じゃあ、この魔族はずっとその場から動けないって事?

面白いやーーちなみにこの動けない魔族ってのは今適当に指定したんだよね?」


「いいえ。私が動きを止めているのは魔王..。”セト”よ」


「へ..?」


「私が30年ほど前にこの神託を授かって真っ先にやったのは、

魔王の動きを封じるーーいい? 30年間、ずっとね」


「30..」


 僕の全人生の三倍近くの時間をかけ、エルフのベルガモットは

魔王セトの動きを止め続けていた。その途方のない年月に僕は脱帽した。


「ごめん。もうあまり無駄話をする時間はない。

そろそろ薬の効果が切れてきたーー何せ、この私が出て来たんだから..」


 そう言って、最後に意味深なセリフを吐いた彼女は風呂を出て、

すぐさま更衣室へと入って行ってしまったもののー


 彼女が示した波紋は、未だに消える事なく漂っていた。

縁辺部が消えたかと思えば、また中心が膨らむ。単調なその繰り返しー

ずっと見ているとなんだか頭がショートしそうになってくるし、

猛烈に眠くなった。


 もう、深夜1時を回っているのかもしれない。


 頭が上手く回らなかった。寝ぼけて呂律も回らなかった。

視界が霞んで、足元がふらついた。

全身の毛細血管が拡張し、身体がポカポカした。


「あ..。まだ、いたんだ..」


「あっはっは!! 別にお前を待っていたわけではないぞ!!

田中部長が考案した、コーヒー牛乳とやらを嗜んでおったのだ!

ほれ、ランスも飲むと良い」


「あぁ、はい」


 僕はこんな真夜中とは場違いの彼女のテンションの高さに困惑しながら、

手渡されたコーヒー牛乳? を一口、口につけた。


 瓶がひんやりとしていて、湯当たりした身体を覚ましてくれる温度と、

ミルクの濃厚な口触り、甘くてコクのある美味しい味付けが施されたそれを

心ゆくまで堪能していた折、彼女は僕にこう言った。


「コーヒー牛乳以外にも、フルーツ牛乳ってのもあるぞ。飲むか?」


「はい!」



「田中部長。キモいデブだけどなんであんなに料理は美味しいんだろう..」


 彼が作る料理はどれも田舎村ではお目にかかれない代物であり、

なかなか経験し難い刺激を僕の味蕾に吹き込んだ。


「餃子、また食べたいな..」


 餃子という食べ物も、実際に口にしたのは今日が初めてだった。

あまり馴染みの無い味付けに最初は戸惑ったが、

舌が徐々に順応していくうちに、

寧ろこっちの方が元から食べ慣れていたような不思議な感覚にとらわれた。


 僕は自室へと続く道を歩きながら、明日の朝ご飯が待ち遠しくなっていた。

ベルガモットの糞尿を肥やしにした野菜は例の如く水に流しても構わないから、

早くあの、こってりしていてあっつあつの美味しい料理が食べたい!


 部屋に戻り、そんな妄想をしつつ、布団の中に入り込んだ時だった。


 薄い窓越しに外の訓練場を眺めてみると、そこにいた団長はこんな夜遅くに

なっても、一人で木剣を振り続けていた。


 呼吸のペース、姿勢、角度、筋肉の動きーー


 それら一切の所作を寸分違う事なく、ひたすら木剣を振い続けていた。


『ランス君、剣の上達には基礎動作の反復が一番の近道なんだよ』


 団長の言葉が自然と脳内再生された。


 彼女が今もなお鍛錬に励む”近道”は、

はたから見れば”近道”ではなく、

途方もなく長い道のりのように感じられたものの、


 それをさも当然のように”近道”だと言ってのける彼女はやはり、

努力の天才だ。僕は一度見た動きを完璧に覚えられる神託を授かったけど、

体力的に考えても、あそこまでの数を降り続ければ関節が痛くなってしまう。


 基礎動作の反復


 言うは易しだけど、やるは難しだ。


 僕はずっと、基礎は簡単すぎてつまらないからと言って敬遠してたけど、

この神託を授かり、騎士団で憧れの人に接して、

剣術の本質を垣間見た気がした。


『まずは軽く、それ使って一万本素振りしてみよっか?』


 団長のこのセリフは何も、

剣を持って無闇矢鱈(むやみやたら)に素振りをするというわけではない。


『僕の神託の性質を活かして、一本一本完璧な動作で振る。

そして、思考を介さず反射で行えるまでに技を昇華させろ!!』


 こっちが団長が伝えたい、本当のメッセージだったんだ..。


「分かりました..」


 僕はボロボロになった、団長がかつて使っていた木剣を手に取った。

柄に血が染み込んでいて、ずっしりとした重い感触は想像以上だ。


 ブン


「違う..。団長の動きは、全然こんなんじゃ無い..」



 翌朝ーー


「団長..」


「おはようランス君。昨日は寝れたかな?」


「終わりました!!」


「え? 何が?」


「団長に言われた素振り一万本終わりました!」


「..。それは、、いつやったの?」


「え、えっと..。今日徹夜してーー」


「ば、馬鹿..」


「え..」


「馬鹿!! そんな寝不足の状態の時に任務に招集されて、

怪我でもしたらどうするのよ! 

怪我ならまだ良いわ。最悪死ぬかもしれない!

だから、とにかく、とにかくーー

睡眠はちゃんと取らないとダメ!! 目の下にこんなクマまで作って....」


 団長はもの凄い剣幕で、僕の事を叱り付けた。


 余計なお世話まで焼いてくる辺りが僕のお母さんみたいだった。


 でもそれより気になったのは..


「団長..。その喋り方なんですか..?」


「はっ..。ランス君、睡眠不足は終日のパフォーマンスに影響を及ぼすから、

今後は徹夜しての剣術鍛錬を禁止します。でも..。よく、頑張ったね..」


「団長!」


「よしよし! じゃあ今日も一万本..。と言いたいとこだけれど、

朝ごはんを食べ終えたら訓練場に来なさい。

今日は、私と一対一で勝負してもらうよ」


「はい!!」


 団長との、初めての手合わせの時がついに訪れた。




 


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