奇狂伝記

Mr.AXIS

zero・beginning

 ザッザッザ、ガリガサッ、ガサガサ...


 幼い少女はがれきの中を走っていた。とにかく走っていた。

 自分の身に何が起こり、何を失ったのかもわからずに。


「ママ、パパ、どこ?どこにいるの?」


 少女は必死に母親、そして父親を呼ぶ。しかし、父親も、母親も応えることはなかった。それどころか、そもそも応えられる状態にある人間自体が存在しなかった。

 そう、彼女は失ったのだ。家族も、友人でさえも。 


其の後、一時間ほど父親と母親を呼びながら歩き続けた彼女だったが、ついに疲れて座り込んでしまった。

 彼女は座った瞬間、尻にゴムのような柔らかい感触を感じた。驚いて立ち上がると、そこには何と黒こげになり、ガラスやコンクリートの破片が刺さってズタズタになった父親の死体があったのだ。


「う、ううっ...そんな...なんで...」


 少女は必死に父親の死体をさするが、もちろん目を覚ますことはない。数時間ほどさすり続けるが、父親の死体には蠅とゴキブリが群がっていき、腐乱臭もしてきたため、少女はあきらめて去っていく。

 悲しみに暮れ、父親の遺品であるレンズが割れた眼鏡と自分が誕生日プレゼントで送ったタオルを見ながらしばらく歩き続けていると、首都の方角からトラックがやってきた。


 キィィィィィィ...


 そのトラックは少女の目の前で停車すると、降りてきた運転手が問答無用で少女の首根っこを掴んで持っていた荷物ごと乱暴に荷台に放り込み、そのまま発車してしまった。


「ど、どこに連れて行くの?やめて!おろして!」


 必死に少女は叫ぶが、聞こえていないようで運転手は終始無言、無表情で運転を続けていた。

 叫び疲れた少女は、一旦このトラックがどこに自分を運ぼうとしているか考えるため、LED電球で照らされ、閉ざされた薄暗い車内に目を向けた。

 するとそこには先にトラックに放り込まれたのであろう子供たちがいた。


片手が欠損して呻き声をあげている赤ん坊、両足がなくなった自分と同じくらいの年であろう少女、腹に深い切り傷がある中学生くらいの少年…

 合計で自分を含め13人居るようだ。しかし、様々なけがをしている子供たち、少女も含め全員に言えることがあった。目の輝きハイライトがないのだ。まるで全くない未来を見ているように。

 この国には象徴ともいえる「未来」というふねがあるのに、皆未来がないと悟ったような目をしていた。


 少女は考えていた。自分が今まで家族と過ごしていた時間は、もしかするとすべて夢だったのかもしれない。夢ではなかったとしても、これは神様のいたずらだったのかもしれないと。そう考えていると、トラックが停車し、モーターを止めた。


 トラックの荷台のドアが開くと、運転手が無言で手を振り、降りるよう促す。促される通りにトラックを降りると、そこにはあたかも小さな町のような形をした真新しい建物が門の奥にあった。門の札には「大和連邦厚生労働局東高士孤児収容所」という嫌に長ったらしい名前が書かれ、鉄条網と「地雷原アリ」と書かれた看板が重圧を醸し出していた。


建物の中に入り、教員らしき大人の指示に従ってほかのトラックから降りてきた子供達と共に講堂に入ると、しばらくたった後、講堂の静寂を裂くように、「湯川 典司(所長)」と書かれた札を付けた人物が立ち上がり、笑顔を浮かべながら話し始めた。その白衣は無駄に真っ白で、顔の皺は妙に整いすぎており、何もかもが作り物めいて見えた。


「皆さん、ようこそ。私はこの施設の所長の湯川典司です。まずは、ここに来た君たち一人ひとりに心からの歓迎を私どもから伝えたいと思います。では石川、よろしく」


そう言って湯川がマイクを渡すと、石川がにやけながら話を始めた。


「皆さん、大変でしたね。これまでいろいろな思いをしてきたでしょう。でも、安心してください。ここからは、もう一人じゃありません」


 石川はわざとらしい間を置き、子どもたちを見回した。


「この施設は、大和連邦が設けた未来のための場所です。君たちのように過酷な経験をした子どもたちを、しっかりと支え、愛し、育むための場所なんだ。ここでは、食べるものも、寝る場所も、勉強する機会も、すべてが平等に提供されます。ここにいる誰もが、もう悲しい思いをする必要はありません」


 石川の話はどこか耳障りなほど丁寧で、まるで裏に何かあるということを赤裸々に語っているようだった、


「皆さんの中には、これからどうなるのか不安に思っている人もいるでしょう。でも、ここでは希望を見つけることができる。ここは新しい家庭のようなものです。私たちスタッフは、君たちが立派な大人になれるよう全力でサポートします。立派な仕事に就いて、立派な人間になってもらうことが、私たちの願いです」


 湯川は胸に手を当て、感動的な演技を続けた。


「君たちがここに来たのは偶然ではありません。これは運命であり、君たちが選ばれたのです。この場所は、皆さんが未来を見つけるための第一歩を踏み出す場所です。さあ、一緒に歩みましょう。手を取り合って、新しい未来を築くのです」


 その言葉に反応する子どもは一人もいなかった。全員の瞳は空虚なまま、湯川の言葉をただ聞き流していた。胡散臭い笑顔を浮かべたまま、湯川はその空虚な反応をまったく気にすることなく、話を締めくくった。


「では、これから新しい生活が始まります。みんなが安心して過ごせる環境を提供することを約束します。それでは、これから各自の居室に案内されます。そこで、新しい仲間たちとゆっくり話してみてくださいね」


 湯川の笑顔が歪んで見えるのは、気のせいではなかっただろう。


湯川典司が演説を終えた瞬間、白衣の下から現れた何人かのスタッフが子どもたちを無言で誘導し始めた。少女もその波に流されるように列に加わる。子どもたちは相変わらず無表情で、足取りも重いままだったが、誘導するスタッフたちも感情のない機械のように見えた。


 講堂を出ると、長い廊下が続いていた。その途中、少女は目にした。廊下の窓から見える外の景色には、遊具のようなものや、芝生の広場が見えるが、そこに遊ぶ子どもたちの姿はなかった。代わりに見えたのは、トラックから降ろされたばかりの子どもたちが列を作り、まるで機械的に動かされている様子だ。


 誘導される途中、少女の足が少し遅くなると、後ろから付いてきたスタッフが低い声でささやいた。


「遅れるな。D-2034


 その言葉にはどこか冷たい威圧感があり、少女は急いで列に戻った。


 やがて辿り着いたのは、殺風景な部屋だった。鉄のベッドが整然と並び、薄いマットレスが敷かれているだけの簡素な部屋だ。少女を含む数人の子どもたちがその部屋に割り振られた。


「ここが君たちの新しい家だ。替えはないから大切に使えよ」


 誘導していたスタッフの一人が、感情のない声でそう言い放つと、ドアを閉め、ガチャリと鍵をかける音が響いた。


 少女は恐る恐る周囲を見渡した。他の子どもたちはベッドに腰掛けたり、床に座り込んだりしていたが、誰一人として話しかける様子はない。それどころか、その場の空気には何か重たいものが漂っており、少女は息苦しさを感じた。


 部屋の隅に小さな窓があり、外の景色が少しだけ見える。少女はその窓の下に座り込み、父親の眼鏡とタオルをぎゅっと握りしめた。


「パパ…ママ…助けて…」


 小さな声で呟いたその言葉に答える者は誰もいない。窓の外では、先ほどのトラックが新たな子どもたちを運び込んでいる様子が見えた。


 その夜、少女は床に寝転びながら、これから何が起こるのかを考え続けた。外の世界に戻れるのか、それともここで一生を過ごすのか。あの胡散臭い湯川の言葉に少しでも真実が含まれているのか…答えは何一つ見つからなかった。


 眠れないまま夜が更けていく中、遠くからかすかに聞こえてきたのは、泣き声とも悲鳴ともつかない不気味な音だった。少女は身を縮め、耳を塞ぎながら、再び父親の眼鏡を握りしめた。


 「出られるのかな。いつか」


最早この施設に入った瞬間、「一生出られないかもしれない」という心の奥底で芽生えた不安と恐怖が、彼女の幼い心を蝕み始めていた。


その夜、少女は目を閉じることができなかった。外からの不気味な音に耳を塞ぎながら、布団の中で身を縮めて震えていた。彼女はただ、父親の眼鏡とタオルを握りしめ、心の中で両親を呼び続けた。しかし、何の答えも帰ってこなかった。


次の日の朝、少女は目を覚ましたが、心の中には何の希望もなかった。部屋の窓からは、他の子供たちが同じように無表情で動いているのが見えた。食事の時間、学習の時間、すべてが機械的で、誰一人として笑顔を見せることはなかった。彼女はただ、無気力に時間が過ぎるのを待つしかなかった。


そんなある日、少女は新たな変化を感じ始めた。それは、まるで視界が徐々に重く、遅くなっていくような感覚だった。初めはそれが一瞬の幻覚のように思えたが、次第にその感覚は強くなり、やがて自分の目の前で動いている物事がまるでスローモーションのように見えることに気がついた。


その日は食堂でのことだった。少女が食べ物を手に取ろうとした瞬間、隣のテーブルで他の子どもが食器を落とす音がした。いつものように、その音は一瞬で耳に届くはずだった。しかし、彼女にはその音がまるで時間が遅れて届くように感じられた。


周囲の動きも同じように、ゆっくりと進むように見えた。周りの子どもたちは、急いで食べているように見えるが、彼女にはその動きがまるで時間が遅れて流れているかのように見えた。目を凝らすと、その遅れは目の前のもの、そして自分自身の体にも反映されていることに気がついた。


それは「遅視」だった。何かが少女の内側で目覚め、彼女の視界を変えたのだ。物理的に視界が遅くなるわけではなく、彼女の脳が受け取る情報を、意識的に遅らせて処理することができる能力。それは、彼女にとっては未知の能力だった。


その能力に気づいた少女は、まずその力を試すことにした。彼女は食堂で他の子どもたちの動きを目で追い、意識的に遅視を使ってみた。すると、隣に座っていた子どもが食べ物を口に運ぶ動きが、まるで時間を引き伸ばしたかのように遅く見えた。少女はその視覚の変化に驚きつつも、その力に興味を持ち始めた。


しかし、少女の能力に気づいている者がいた。スタッフの一人、石川が少女に気づいたのだ。


「ついに能力が現れたか…」


石川の声は低く、冷たいものだった。彼は少女の前に現れ、無表情で言った。


「どうやら君への実験は成功したようだ。少しついてきてくれないかい?」


少女はその言葉に恐怖を感じた。彼の言葉には、何か裏があるように思えた。しかし、石川は続けた。


「君の力を見せてくれ。もし協力すれば、君にとって有益なことをしてやるかもしれない」


少女はその場で何も言わずにただ黙っていた。自分が持つ力が、どれほどのものなのか、そしてその力を使うことでどんな危険が待っているのか、わからなかった。しかし、石川の視線がどこか冷徹であり、少女はその圧力に耐えることができなかった。


その後、石川の指示で、少女は実験室に連れて行かれた。彼女の周囲には他の子どもたちもいたが、誰も彼女に関心を示すことはなかった。少女はただ、無言で進んだ。


実験室には、様々な機械が並び、冷たい空気が漂っていた。石川は少女に向かって言った。


「君の能力を最大限に引き出すために今からいくつかの試験を行う」


その言葉に少女は動揺しながらも、何も言うことができなかった。心の中で、父親や母親に助けを求める気持ちが強くなる一方で、彼女は今、自分がどうすべきなのかもわからなかった。


石川は不気味な笑みを浮かべながら、操作パネルを操作し、少女に向けて指示を出した。


「では、まずはこの物体を遅く見る実験から始めよう」


石川の言葉と共に、少女は目の前にある物体を見つめた。それは、小さなボールのような物体だったが、少女の視界に映るその動きは、遅く、まるで時間が引き延ばされたかのように感じられた。


その瞬間、少女は意識的に「遅視」を使い、ボールの動きをさらに遅く感じるようにした。ボールが空中でふわりと浮かび、まるで時間が止まったかのように見えた。


石川は満足げに頷き、さらに指示を出した。


「よし、この能力をもっと使いこなせるようにしよう。君はもっと強力な力を持っているはずだ」


少女はその言葉に疑念を抱きながらも、言われるがままに実験を続けるしかなかった。


実験は日々続き、少女の能力は次第に強化されていった。石川は彼女の遅視を試すため、さまざまな実験を用意した。物体の動きを遅くするだけでなく、もっと複雑な状況でもその能力を使いこなさせようとした。


ある日、石川は少女に新たな課題を与えた。


「今度は、これを試してみよう」


石川は一枚の厚い鉄板をテーブルに置いた。その上に、小さな火花が散る装置をセットして、スイッチを入れる。


「この装置が発動すると、鉄板の表面に火花が散る。それを君の遅視でどれだけ長く見ることができるか、試してみてくれ」


少女はその装置を見つめ、ゆっくりと息を吸った。彼女の心の中には恐怖と不安が渦巻いていたが、今は反抗する力もなく、ただ与えられた指示をこなすしかない。


装置が作動すると、鉄板の上に小さな火花が散った。彼女は瞬間的に「遅視」を使い、その動きを追い始める。火花が散る一瞬一瞬が、まるで時間が引き延ばされたように感じられた。火花の微細な動き、熱の波動までもが遅く、長く感じられた。


だが、次第に彼女はその感覚に圧倒され、心身が疲れていくのを感じた。視界の遅れが体力に負担をかけ、頭の中で情報を処理するのが難しくなってきた。目を閉じれば、まだその感覚が残り、目を開ければその遅視が視界を覆う。時間がまるで一枚一枚のスライドのように引き延ばされ、圧迫感が強くなった。


「すごい…君は本当に優れた能力を持っている」


石川は冷ややかな笑みを浮かべて、その様子を見ていた。だが、その笑みには一切の温かみが感じられなかった。彼女の限界を試すように、そして彼女が耐えられるまで無理強いをするつもりのように見えた。


少女は疲れ切りながらも、必死にその感覚を押し込めようとした。しかし、石川は止めることなく、次の命令を出した。


「次は、もっと難しい試験だ。君にはもっと強い意志が必要だ。」


少女はもう、何も感じないように見えた。頭が痛く、目がかすみ、視界がどんどん遅くなっていく。彼女の体は限界に達しつつあったが、それでも石川の指示に従うしかなかった。


その夜、少女は一人で床に横たわりながら、ひたすら「遅視」を使い続けた。目を閉じても、まだ遅視の感覚が頭の中にこびりついて離れなかった。視界を支配するその能力が、次第に彼女自身をも支配していくように思えた。


心の中で彼女は何度も自問自答していた。これ以上、続ける意味はあるのだろうか? 自分はただの実験材料に過ぎないのだろうか? それとも、まだ他にできることがあるのだろうか?


だが、答えは見つからなかった。ただひたすらに、目の前の現実が続いていくだけだった。


第4章:覚醒の瞬間


ある日、実験が終わると、石川は少女に不意に言った。


「君には、もう少し別の役割がある。」


その言葉に、少女は一瞬反応を示した。これまでの実験が一段落したかのような予感がした。石川が彼女に示す「別の役割」とは、一体何を意味するのだろうか?


石川は少しの間黙ってから、冷たく告げた。


「君には、これから戦争を前にした重要な訓練をしてもらう」


少女はその言葉を理解するのに数秒を要した。戦争? それは彼女が今まで想像もしなかった世界だった。


「君の能力、遅視を使って、敵の動きを分析し、その情報を支援部隊に送信するのだ」


石川はその言葉を続けた。


「君が持っている力で、敵の動きを遅く見ることができる。その情報を私たちに提供することで、戦争の勝敗を左右することができる」


少女はその瞬間、自分がどれだけ恐ろしい世界に足を踏み入れたのかを実感した。遅視の能力は、単なる奇跡のような力ではなく、戦争という血塗られた舞台で使われる道具にされるのだ。


その日から、少女は戦争のために訓練されることになった。遅視の力を駆使して、目の前の敵をより遅く、より確実に捉え、スタッフの出世、そして戦争を有利に導くための道具として使われる。それは彼女にとって、これまでのどんな苦しみよりも重く、そして暗い未来へと続く道であった。


彼女がその道を歩み始めたとき、心の中で決して振り払えない思いが生まれた。それは、どんなに遅く見ても、決して戻れない過去を抱えながら進む道であるという、深い絶望の感情だった。













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