第3話・the engage


南はバイクを隠ぺいした後、飛行船の冷たい金属の床を踏みしめた。冷ややかな空気と機械油が肺にしみるが、彼女はそれを意識する余裕もなく、ただ無音の世界に溶け込むように静かに進んでいった。無線での連絡が途絶え、杁中の声も届かない。電波妨害の中、孤立した状態で彼女は一歩一歩、慎重に進んでいくしかない。

金属製の床を踏む音が、静寂を破るたびに彼女の心拍が速くなる。


ガチャン、ガチャン—


その音は反響し、広い船内を巡っていく。だが、周囲の静けさがその音を吸い込み、彼女はさらに慎重になる。目の前に広がる無人の通路。照明が冷たい青白い光を放っており、まるで彼女を試すかのように感じさせた。

数分後、南は突如として現れた音に息を呑む。それは、何かが近づいてくる音


カタッ、カタッ、カタッ、


という足音だった。恐らく誰かがこの通路を通るのだろう。その音に反応し、南はすぐに壁に身を寄せ、無意識に息を止めた。

兵士の影が、通路を歩いていく。彼女はその人物が通り過ぎるのをじっと待った。音は次第に近づき、彼女の体温は上がる。しかし、決して動かず、ただ耳を澄ませるだけだ。そして兵士が背を向けた瞬間、南はP51を取り出して正確に脳天を貫いた。


タァァン!ドサッ!


足音は完全に消え去り、静寂が戻った。彼女はもう一度通路を進み始めた。目的の艦橋に向かう道はまだ遠い。しかし、途中で立ち止まることは許されない。南の心臓の鼓動が、静けさの中に響いている。彼女はその音に耳を傾け、意識を集中させた。


その時、彼女は艦内に微かな振動を感じた。エンジンの調整、もしくは別の動力源の動きだろうか。だがその感覚はすぐに収まり、再び静寂が包み込む。彼女は何も気にせず、目の前の扉に集中する。


やがて、目的地が見えてきた。艦橋の扉が、数メートル先に控えている。南はその扉を見つめ、確かな決意を固めた。これを突破すれば、戦いの幕が切って落とされる。だが、兵士たちがその扉の前にいる可能性もある。彼女はその危険を感じながら、足を速めた。


ガタガタ…


—鉄製の扉のすぐ向こう側から、かすかな音が響いてくる。南はすぐに足を止め、視線を鋭く走らせた。兵士が近づいてくる音だ。通路の先から、彼の足音が一歩一歩近づいてくる。

彼女は冷静に呼吸を整え、再び壁に身を寄せる。息を殺し、心臓の音を感じる。通り過ぎるのを待つ時間が、まるで永遠のように感じられた。兵士が通り過ぎ、音が遠ざかるのを確認した後、南はまた歩き始めた。


目の前にある扉まで、あと数歩。息を呑みながら、南は扉をじっと見つめた。その鉄の扉は重々しく、彼女に挑戦を投げかけているようだ。だが、これを突破しなければ、目的地には辿り着けない。目の前に立つ扉は、ただの障害物ではない。彼女にとって、それは決して避けて通れない道だった。


南山奈は艦橋の扉を開けると、その先に広がるのは、まさに想像を超える戦場のような光景だった。少数の敵兵たちと、計器の光が無機質に反射している中、彼女は一瞬、言葉を失った。その先に立つ人物――それは、彼女が最も信じていた母親、南楓だった。


楓は、長い軍服の袖を少し引き上げ、淡々と山奈の方に目を向けた。その眼差しは穏やかで、かつて一度も見せたことのない柔らかさを帯びていた。


楓の顔には年月を感じさせる深いしわが刻まれ、目の奥にかつての輝きが失われていた。しかし、その眼差しには何よりも深い優しさが宿っていた。その姿を見るだけで、山奈は一瞬、心が引き寄せられるのを感じた。まるで、かつて一緒に過ごした日々が蘇ったかのように、心が温かくなる。


「山奈…」楓はゆっくりと声をかけた。その声は、まるでかつての母親のように温かく、優しさに満ちていた。まさか、こんな瞬間が訪れるとは思ってもみなかった。


山奈は立ち尽くし、息を呑む。その胸の中には複雑な感情が渦巻いていた。あの頃の母親は、ただ一人、無償の愛を注いでくれる存在だった。しかし、今、その姿を見ると、心の中で戦争と母の行動がどうしても繋がらない。


「母さん…なぜ?」その声が震えた。山奈は母の顔を見つめ、言葉を続けた。「あなたがこんなことをしているなんて…」


楓は静かに首を振り、歩み寄った。山奈の前で立ち止まり、その両手を優しく広げた。まるで、再び自分の胸に抱き寄せようとするかのように。


「山奈、あなたにはわかってほしい…私は、この戦争が引き起こしたものに苦しんでいたの。」楓の声には、痛みと後悔が込められていた。「かつて私は、軍に仕官して、国家のために働いていた。でも、それがどれほど無意味で無惨なことだったのか、今、私はようやく気づいた。あの頃の私は、全てが正当だと思っていた。でも、もうそんなことは信じていない。すべてが破壊され、何も残らなかった。」


楓は目を閉じ、ゆっくりと息をついた。再び目を開けると、そこにはかつて山奈が見たことがない、深い哀しみと反省の色が浮かんでいた。


「私がしてきたこと、すべてが間違いだった。あなたを引き裂いたのも、私だわ。」楓は涙を浮かべながら、ゆっくりと歩き出した。「私は、あなたを守るつもりで、あんな道を選んだ。でも、それがあなたをどれほど傷つけたか、気づくのが遅すぎた…。」


その言葉に、山奈は胸が痛むのを感じた。母がどれほど悔い、苦しんでいるのか、それが伝わってくる。しかし、同時に、山奈の中で怒りと疑念が湧き上がっていた。あの頃、彼女が母を失った理由、そして今こうして目の前に現れた母親が抱く思想と行動――すべてが矛盾しているように感じられる。


「でも、あなたは今、何をしているの?」山奈は声を絞り出した。「これが正しい道だと思っているの? あなたが掲げている『正義』が、私たちを傷つけ、無辜の命を奪うものだと知ってる? どうして、こんなことを選んだの?」


楓はその問いに答えることなく、少しだけ目を伏せた。しかし、すぐにまた山奈を見つめ、静かに言った。


「わからないわ、今でも。でも、私にはただ一つ、伝えなければならないことがある。山奈、あなたを守りたかった。そして、あなたに再び幸せになってほしいと思っている。」


その言葉に、山奈の胸は締め付けられるような思いが広がった。母の中で、これまでのすべての罪が重くのしかかっていることが伝わってきた。しかし、その「守りたい」という気持ちが、今では戦争を引き起こし、再び多くの命を奪う原因になっていると山奈は知っていた。


「でも、あなたがやっていることは間違っている、母さん。」山奈の声が強くなった。「私はあなたを信じたかった。でも、あなたの背負っているものを、もう信じることはできない。」


その瞬間、艦橋の扉が激しく開かれ、杁中の声が響いた。「山奈、今すぐそこを離れろ!」


その言葉が重く響き、山奈は目を見開いた。振り返ると、杁中が鋭い眼差しでこちらを見つめていた。後ろには、仲間たちが次々と入ってきて、戦闘態勢を整えていた。


楓は、その様子を見て微かに息を呑むと、再び山奈に向き直った。「山奈…私は、もうあなたと一緒にはいられないのね。」その言葉には、絶望がにじんでいた。


「母さん…」山奈の目には涙が浮かぶ。母親の目の前で、すべてが終わろうとしている。その現実に、胸が張り裂けそうだった。


しかし、楓はすぐにその目を閉じ、静かに首を横に振った。「山奈…私は、あなたの未来を邪魔したくない。ただ…もう少し、私と一緒に、すべてをやり直せたらと思ったけれど…」


その瞬間、無情にも銃声が響き、楓は胸を貫かれ、倒れた。山奈はその光景を目の当たりにし、何も言えず立ち尽くした。母親の体が床に倒れ、その命が無情にも消え去っていった。


「母さん…!」


その言葉は、震える唇からようやく漏れた。目の前で血が流れ出し、無意識に後退する。母親の顔を見つめ、手を伸ばそうとするが、その手を止めるように杁中が彼女の前に立ちはだかる。


「南伍長、止まれ。これは命令だ」


杁中の声が、普段よりも低く響く。その眼差しは、無情なまでに冷徹だった。山奈はその冷たい視線を受け、何も言えなくなる。涙が止め処なくこぼれ落ち、彼女の心の中では無数の葛藤が渦巻いていた。

だが、その時、杁中はゆっくりと刀を抜き、鋭い刃を山奈の首筋に押し当てた。言葉は無かったが、その意思は明確だった。彼女が母親の死体から離れることを強制し、彼女を戦争という現実に引き戻さなければならないという決意が込められていた。


「許してくれ…」


杁中にそう言われた南は目を閉じ、最後の瞬間に涙を流す。自分の体は動かせない。母親の死という現実が、あまりにも重すぎる。

その刃が振り下ろされ、山奈の意識は断たれた。瞬間的に彼女は気絶し、身体は無力に倒れた。

杁中はその後、山奈の体にパラシュートを括り付けた。そして、彼女の体をしっかりと空に向けて放った。飛行船の外に向けて、まるで運命を全うするように、山奈は無言で降下していった。


その後、彼ら自身も飛行船からの脱出を開始する。楓の所持品を服以外押収した後、艦橋にC4を仕掛け、起爆スイッチを押す。


ドッグワァァン!


すべてが終わり、海軍の反物質砲弾が飛行船群を目標に発射され、あっという間にその巨大な構造物が爆発し、空に火花を散らす。飛行船群が次々と破壊される様子を目にしながら、彼らは南を担架に乗せて、無言でその場を後にした。


山奈が気絶している間、意識の彼方で夢が広がった。それは、過去に戻ったような、懐かしくも温かい記憶の世界。どこか遠くで、風の音が優しく響き、陽の光が柔らかく差し込んでくる。


目を開けたとき、そこには見覚えのある田んぼの風景が広がっていた。母の声がどこからともなく聞こえてきた。山奈はその声に引き寄せられるように、ゆっくりと振り向いた。目の前には、若き日の母、楓が立っていた。まるで時が逆戻りしたかのように、あの頃の母親が目の前にいる。今よりも少し若く、少しだけ笑顔が多かったあの頃の母。


「山奈…」


母の声が、優しく呼びかける。楓は微笑みながら、温かい手を差し伸べていた。


「お母さん…」


山奈は声を漏らす。その瞬間、心が不思議と落ち着いていくのを感じた。母の笑顔が、ただそれだけで安心感を与えてくれる。


「心配しなくても大丈夫よ。何も怖くない、ここは安全な場所だから。」


楓は静かに言った。その瞳の中に、山奈を包み込むような愛情があふれている。

山奈はその言葉に安堵し、母に歩み寄ろうとする。しかし、足元がふわりと浮かんで、足が進まない。母の手は、まるで遠くから届かないように、少しずつ遠ざかっていく。山奈は焦りながらも、どうしても手を伸ばしても届かない。息が詰まり、胸の奥で痛みがこみ上げる。


「お母さん!」


山奈は必死に叫んだ。だが、母は微笑んだままで、ただ遠くから見守るように見つめている。


「お母さん、お願い…私を置いて行かないで。」


山奈の声が震え、涙が頬を伝った。


「どうしてこんなことに…どうして私と一緒にいられなかったの?」


楓は静かに首を振り、そのまま優しく言った。


「山奈…私は、あなたのために何もかもしてきたわ。でも、あなたには本当の意味で自由でいてほしい。私があなたを縛ってしまっていたんじゃないか、そう思うこともある。でも、もうそれは過去のこと。今、私はあなたに思いっきり生きてほしい。幸せになってほしい。」


「でも、どうして…」


山奈は涙をこらえきれずに、母に駆け寄ろうとした。その瞬間、楓の姿がさらに遠くなる。どんどん小さくなり、まるで霧の中に消えていくように、姿がぼやけていった。


「お母さん!」


山奈は足を止め、必死に手を伸ばす。しかし、どこまで伸ばしても届かない。その瞬間、胸の奥から声が沸き上がる。


「どうして、こんなことになったんだろう…。お母さんを守りたかった、でも…」


「山奈…」


母の声が遠くから響く。


「私も…あなたを守りたかった。だって、あなたは私の全てだから。」


母親が消えて粒子になり、キーンという音と主に山奈の意識がゆっくりと戻ると、最初に感じたのは強い頭痛と、体中に広がる鈍い痛みだった。まるで全身が重く、動かすだけで力が抜けていくような感覚。しかし、それでも彼女は目を開けようと必死になり、目の前の暗い天井をぼんやりと見つめる。


しばらくして、ふと気づくと、耳に心地よい静けさが広がっていた。その静寂の中に、微かに聞こえる呼吸の音。まるで誰かがそばにいるようだ。山奈は目を細め、ゆっくりとその音の主を感じ取ろうとする。


少しの間、意識が途切れそうになるが、やがて彼女は顔を動かし、視界を少しだけ変える。目の前には、見慣れた制服を着た人物の姿があった。黒い髪に鋭い目つき、無駄な動きのない静かな雰囲気。杁中隼人だ。


彼は無言で山奈のベッドの横に座り、腕を組んでいる。その姿勢から、彼がずっと山奈を見守っていたことが伝わってくる。


「杁中…大尉?」


山奈はかすれた声で呼びかける。その言葉が口から出るだけで、どれほど力を振り絞ったのか自分でもわからなかった。

杁中は静かに視線を彼女に向け、ゆっくりと立ち上がる。彼の顔にはいつもの冷徹な表情が浮かんでいるが、その目の奥には微かな疲れと、何かを守りたいという強い意志が感じられた。


「お前、ようやく目を覚ましたか」


杁中は静かな声で言いながら、山奈の枕元に立つ。

山奈は自分の体を動かそうとしたが、どうしても身体が言うことをきかない。無理に動かそうとするたびに、頭の中がぐるぐる回り、体が震えてくる。痛みが全身を走り、ついには息が詰まるような感覚に襲われた。


「無理するな。お前は本当に馬鹿野郎だな」


杁中はそう言いながら、優しく彼女を支える。手が彼女の肩に触れると、その温かさに山奈はほっとしたような、でもそれと同時に、母のことを思い出して胸が締めつけられるような痛みを感じた。


「大丈夫か?」


杁中は心配そうに、しかしどこか冷徹な目で山奈を見つめた。その目の奥にある優しさに、山奈は一瞬だけ驚き、少しだけ心が温かくなる。


「はい、大丈夫...であります」


山奈は震える声で答え、少し無理をして笑顔を見せようとしたが、それはあまりにも痛々しくて、すぐに崩れてしまう。


「でも…お母さんが…」


その言葉が途切れると、杁中はしばらく黙っていた。彼はその沈黙の中で、山奈がどうしても受け入れられない現実と向き合わせられたことを理解しているようだった。そして、ようやく口を開く。


「お前の母親のことは、俺が後で話す」


杁中は簡単に言ったが、その言葉の裏に込められた意図が山奈にはわかった。彼はただ優しく、そして冷徹に守るべきものを守ろうとしているのだ。


「しかし!今はお前が生きていることが一番大事だ。母親がどうであれ、お前が生きて、そして今後どう動くかが重要なんだ」


杁中はまっすぐに山奈の目を見つめ、彼女の心に響くように言った。


山奈はその言葉を、少しずつ理解し始めた。母親の死は受け入れられない。けれど、それでもここで立ち止まるわけにはいかない。生きなければならない。そして、母の意志を無駄にしないように。


「わかりました」


山奈は小さく答え、深い息を吐く。まだ体は重いが、意識はしっかりと戻ってきていた。おそらく、これから先、どれだけ辛くても、逃げるわけにはいかない。彼女はすでに、次の戦いに向かう覚悟を決めつつあった。

杁中はその様子を見守りながら、もう一度言った。


「ここからは逃げられない。だが、お前がどうするかはお前次第だ。覚悟を決めろ」


山奈はその言葉にしっかりと頷き、少しだけ力を込めて言った。


「はい、大尉。」


その後、しばらくの間、二人は静かな時間を過ごした。山奈は目を閉じ、母との思い出にふけることなく、今後のことを考える。どれだけ過去に引きずられても、戦いが終わることはない。自分の道を歩むしかないのだ。


――――――――――――――――——————――――――――――

杁中いっけめぇん!

夢のシーンガンバりゃした(*´Д`)



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