戻れぬ過去ばかりを悔やんでいたり…未だ見ぬ未来に絶望していたり…それ即ち今に集中できていないということなり

ALC

第1話ただの人だと思い知った誕生日のこと

別に自分はミュージシャンを目指しているわけでも学生時代に軽音楽部に入部していたわけでもないのだが…

28歳を迎えた自分を眼の前にして自分は天才でも何でも無いただの凡人だと言うことを悟っていた。


別段この話に意味はないのだが…

本日僕は独りの部屋でまた一つ歳を重ねていたのだ。

28歳。独身。恋人なし。ここ五年以上は浮いた話もなく…

そんな自己紹介のためだけに作られた文章だったわけで…


ここから本題へと入るのだが…


モニターには自己啓発の様な動画が流れていて…

少しだけ皮肉だな…などと今の自分と重ねて苦笑してしまう。

仕事帰りにコンビニで購入したケーキと一本のワイン。

豪勢とは言えないかもしれないが僕は僕自身の誕生日を独りで祝っていたのだ。


「戻れない過去を悔やんでいたり…

未だ見ぬ未来に絶望していたり…

それ即ち今に集中できていないということなり。


別にそれが悪いことだとは言いませんけどね。

人それぞれの生き方がありますし。

過去に生きていたいと言う人だっているでしょう。

様々な状況や境遇の人がいるわけですから…

それを否定することを私はしませんが…


ですが今を全力で生きたいと今以上の幸福を望むのであれば…

やはり今に集中することが第一歩じゃないですか?


今が変われば未来はより良い方向に進むわけですから…

これもまた断定することは出来ませんが…

悔やんだり絶望しているのであれば勇気を持って今だけに集中して生きてみたらどうでしょうか?


相談者さんには至極真っ当な正論をぶつけてしまったと思いますが…

ですが一番の解決方法は何度も言うように…」


そこで僕は鬱陶しく思いモニターの電源をそっと落とす。

コンビニで廃棄処分寸前だったショートケーキを口に運びながら赤ワインを喉の奥に流し込んだ。

ショートケーキの甘さは過去の幸福な生活を強引に思い起こさせてくる。

しかしながら渋い赤ワインが辛く苦い現実に引き戻してくる。

最後に残しておいたいちごを口に含んで…

甘酸っぱい初恋相手をふっと思い出してしまう。


そうか…と僕はなんとなしに気付いてしまったのだ。

僕が現在…漠然とした不幸や絶望を感じている理由に…





十年前に時は遡り…

18歳の僕は高校3年生で…

初の恋人ではないが初めて他人を愛した年齢と言って良いだろう。

僕は初めて自分よりも愛せる存在に出会ってしまったのだ。

それが未来の自分を苦しめて不幸を絶望を与えると言うことを…

この時点の僕が知っているわけもないのだが…


確実に幸せの絶頂に思える日々が長く続いて…

いいや…一生と言う時間で考えたら長いとは言い切れない。

しかしながら学生の僕にとっては甘く幸福な時間が長く続いていたと思っていたのだ。


そんな彼女との関係が終了を迎えたのは…

よくある話だった。

学生という期間が終了して就職をして…

ここまで言えば理解できると思うが…。


各々の就職先に務めるようになり…

彼女は勤務先の余裕のある歳上に惹かれていき…

僕らの恋は終焉を迎えたのだ。


よくある話…

誰にでも訪れ得る本当に何処にでもある有り触れた話。

しかしながら当の本人である僕はそうも割り切ることが出来ずに…

ここから続く人生の歯車は少しずつ確かに狂っていくのであった。




時を戻して現在。


空になったワインボトルをシンクに運び…

僕は脱衣所に向けて歩き出していた。

服を脱ぐと湯を張っておいた浴槽に浸かり…

ただ無心で天井を眺めているだけの時間が過ぎていくはずだった…。


きっとセンチメンタルでナイーブな心境が僕を惑わしているようで…

柄にもなく独りという現実に改めて直面して涙が流れてきそうだった。

情緒不安定な自分が嫌で思いっきり頭を振ると一度浴槽の奥深くまで全身を沈めていく。

潜るように顔を湯船の中まで沈めていき…

ぶくぶくと泡が立つほど今現在の情けない自分や環境などに対する全ての不平不満をぶちまけるように…

湯の中で叫んでいたのであった。



風呂から上がった僕は寝室のベッドに寝転んだ。

目を閉じた瞬間に気絶でもするように…

僕の意識は一瞬にして睡魔に刈り取られていくのであった。



「一度壊れた関係は完璧な形で元通りに戻ることはないよ」



いつだったか誰かの御高説が脳内に浮かんでは消えていく。

夢の中であったが僕はその意見に全力で否定したい気分だった。

けれど…と、その意見に完全同意する相反した自分がいたのも間違いではなく。

そんな矛盾をはらんだ生き物が僕であることも紛れもない真実で…


夢の中でまで様々な思考に苛まれている自分が可笑しくて仕方がなかった。


「下手な生き方をしているな…」


などと自分に対して呆れてしまう。

それでも僕は僕と一生向き合い付き合っていかないといけないわけで…

しかしながら…と、そこで僕は何か答えのような物にたどり着く予感を覚えていた。

その違和感やヒントや答えの正体に辿り着く前に…


ピピピとアラームが鳴り…

またしても朝は変わらずに訪れて僕は目を覚ます。

ベッドから這い出て洗面所に向かった僕は身支度を整えて自宅を出る。


本日もまた職場へと向かう満員電車に揺られながら…

誰よりも早く…とは言わないが。

始業時間よりもかなり早く出社したのであった。




充実感や達成感のある仕事に日々を追われながら…

それでも僕の心の何処かにはすっぽりと穴が空いていて…

それを埋めてくれる存在を探し求めていたのかもしれない。

いいや…きっとそういう存在を求めていたのだ。


そして…その穴を埋めてくれる存在は唯一人だと…

僕自身は答えに気付いていた。


それが永遠に能わなくとも…

きっといつまでも求めていたのだろう。



珍しく定時に退勤した僕は忙しさのあまり今日一日スマホに触れていなかったことを思い出す。

これと言って連絡をよこしてくる相手など居ないのだが…

しかしながら週に一度程度で母親から連絡が届く。

昨日は自らの誕生日であり母親から連絡が届いていても何ら可笑しくはなかった。


駅のホームにて電車を待ちながら僕はスマホを手にした。

パスコードを解除して通知を確認する。


「28歳のお誕生日おめでとう。ご飯はしっかり食べているの?

お酒は程々にしなさいよ。

今年の年末年始は帰って来るの?


早く孫の顔が見てみたい。なんて事は言わないけれど良い人はいるの?

余計なお世話で鬱陶しく思うだろうけれど…

でもまぁ心も身体も健康で居てくれたらそれでいいわよ。


そうそう。

今日の夕方にスーパーで買物をしていた時のことなんだけど…

なるちゃんに会ったわよ。

本当に久しぶりで驚いたけれど…

昔と変わらず美人さんだったわぁー。

過去を思い出して懐かしくて長話をしてしまったんだけど…


お母さんの話はどうでも良かったわね。

成ちゃんがとおるの連絡先知りたいって言うから教えておいたわ。


兎にも角にも28歳の誕生日おめでとう。

じゃあまた時間を見つけて実家にも顔出しなさいよ。

また連絡するわね」


母親からの衝撃的な連絡を目にして僕の心は本当に久しぶりに高鳴り踊っていた。

何故ならな成と言う女性は…

僕がこの世で唯一愛した他人であるからだ。

自分のこと以上に愛してしまった元恋人…

僕の心にいつまでも居着いて離れてくれない忘れることの出来ない件の元恋人。

そんな彼女がどういうわけか僕の現在の連絡先を求めていて…

この事実を眼の前にして期待しない男性が何処にいると言うのであろうか。


通知はもう一通届いていて…

それはもちろん見覚えのない連絡先で…

それが指すのは当然…

元恋人の成からのものなのであった。




「久しぶり。

あの頃はごめんと謝罪をしてもあの頃は戻ってこないことを理解しているつもりだった。

でも今日久しぶりに透のお母さんと再会して…

都合が良いと思うだろうけれど昔を思い出した。

自分で何もかもぶち壊した私だけど…

自分勝手なことをしている自覚はある。


けれど…もしも透があの頃の私を許してくれているのであれば…

再会を果たしたい。

とても都合が良いのは理解している。


今の私は仕事を辞めて実家に戻っているんだ。

何があったとか…

そういう話は会って話せたらって思う。


もしも会ってくれるのであればの話なんだけど…

勝手を言っている自覚はあるよ。

だから嫌ならはっきりと断ってくれて良い。


それと…今日は誕生日だったでしょ。

28歳の誕生日おめでとう。

直接祝えているわけではないけれど…

こうしてまた連絡が出来ていることを嬉しく思います。


少し長くなりましたが…

もし良かったらまた連絡ください。


桜木成」



元恋人からの再びの連絡に僕はどの様に返事をするべきなのか…

いいや…そんな事はきっと悩んですらいない。

丁度やってきた電車に乗り込んだ僕は…

スマホに文章を打ち込みながら逸る気持ちをどうにか制御して家路に着くのであった。



ここから僕と元恋人である成との恋物語は再開するのだろうか。

それとも未だ見ぬ新たな恋人の存在が僕の空いた心の穴を埋めてくれるのだろうか。


僕らの未来は何ら確定しておらず。

不確かな未来に向けて僕らは今日も明日を疑うこと無く進み続ける。


大げさな話をすれば…

今後の僕の人生はどうなってしまうのか…


きっと道を開く答えは既に出ていて…



今に全力で集中する。

ただそれだけの話しなのであった。



透と成は再会を果たすのか…!?

次回へ…!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

戻れぬ過去ばかりを悔やんでいたり…未だ見ぬ未来に絶望していたり…それ即ち今に集中できていないということなり ALC @AliceCarp

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ