第6話

 週が明けてからも、私は早朝に登校して加奈ちゃんの隣に座ってお話をした。

 クレープ屋。台湾スイーツ。雑貨店。ハンバーガーショップ。パン屋。薬局。ハンバーガーショップ。

 その店の名前を出しても、加奈ちゃんは薄めたお茶みたいな反応を変えなかった。一方の私は、何かどきどきして、喉が乾きながらハンバーガーの話をした。

 制服に隠れたお腹と背中と窮屈そうな胸部。いや、今の私は透視ができるようなものだ。今思えば、胸部は隠しきれていなかった。私が、みんなが見出だせていなかっただけだ。隣にいながら、その距離が途方もなく、手が届かないように思えた。


「ねー、今日は何読んでるの?」

 何週間か経って改めて聞くと、加奈ちゃんはまた、

「走れメロス」

 と答えた。

「うっそぴょんでしょ。走れメロス読むのにそんなに時間かかるわけないじゃーん」

 馴れ馴れしく肩に手を置いてみる。そっけなく返されるかあるいは睨みつけられるかと思ったけど、加奈ちゃんの態度は意外だった。

「同じ本を何度も読むの」

 こちらへ向き直った眉は淡く整っていて、何の欺瞞もなかった。

「そう、なんだ」

「はい、どうぞ」

 加奈ちゃんの右手が、本をこちらへ差し出した。


  ◆


 ——御慈悲にあずかった。

 放課後、家に帰って、靴を脱ぐより前にその本を取り出し、見開きに顔を押し付けて匂いを嗅いだ。

 これは加奈ちゃんがしているように新品の匂いを嗅ぐのとは違う。どうしてかわからないが、紙の繊維に染み込んでいるであろう加奈ちゃんの何かしらを肺いっぱいに摂取したかった。

 自室へ上がって再度検める。中身は本当に走れメロスだった。表題作の他にも「畜犬談」とかいった短編がいくつか収められていた。

 風呂上がりに全裸になって本を全身に擦り付けたいような気分もあったが、せめて読み終えてからにしようと理性のハンドルを取り直した。


  ◆


 翌朝、教室に入ってきた加奈ちゃんに「読んだよ! 途中まで」と声を掛ける。

 加奈ちゃんは「そう」とだけ言って腰掛けた。

 二人並んで本を読むと、加奈ちゃんの肩が近く感じた。


 合唱コンクールが近付いていた。

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