第10話 エルメーテ公爵家(5)
昼食の時間になり、今日は天気が良いということで、庭にテーブルを広げて外で食べようということになった。
手に持った葉野菜と燻製肉のサンドイッチを一口食べる。
さすがは公爵家、良質の食材を使っていて味に品がある。
サンドイッチのような簡素な料理だからこそ、素材の味がよく伝わってきた。
それと同時に、エリゼオ公爵家での食事の記憶が脳裏によぎってきた。
……あの家、ろくな物を食べさせてくれなかったなぁ。
多分あれは低級の使用人が食べる
少なくとも公爵令嬢が食べる料理じゃなかった。いつも私だけ食卓は別にされてたし。
もしかしたら、嫌がらせ用の食事だったんじゃないだろうか。
今との扱いの違いを見せつけられて、思わず遠い目をしてしまった。
「どうしたんだい? シトラス。遠くを見つめているが、なにか見えたのか?」
お父様の言葉で我に返り、視線を食卓に戻した。
「いえ、エリゼオ公爵家時代を思い出してつい……あの頃はないがしろにされていたのだな、と痛感してしまって」
今この場は、人払いがされている。
レイチェルも傍には居ない。
食卓に着いているのはヴェネリオ子爵やグレゴリオ最高司祭、そしてお父さんとお母さんだ。
お父さんが額に血管を浮かび上がらせて
「食事一つすら満足に取らせていなかったということか?」
「決してそういうことじゃないよお父さん! 食事を抜かれるような事もなかったよ?!」
食材が粗悪だったことは、この際黙っておいた。
「だが、この程度の食事一つで思いを馳せてしまう程度には粗末な食事を与えられていた、ということだろう?
あの男も性根が腐っているとは思ったが、子供一人満足に育てられんというのか」
お父様が小さくため息をついて告げる。
「奴に公爵としての自覚や品格を期待するだけ無駄だろう。
前公爵はまっとうな人間だったのだがな。彼は息子に恵まれなかったようだ。
その前公爵も、随分前に亡くなった。もうあの家で奴の暴走を止められる人間は居ないだろう」
私は記憶の中のエリゼオ公爵家の空気を思い出していた。
「……本当にひどい家でしたわ。
ギスギスしていて、とても息苦しかったです。
人間関係も醜く構成されていて、密告やいじめが横行しておりました。
『ばれなければ不正ではない』と言い切るような人間ばかりが幅を利かせる家でしたもの」
お母さんが大きくため息をついた。
「そんな家にシトラスを奪われなくて良かった……
この公爵家の人たちはみんな良い人間ばかりで、働き甲斐があるもの。
ここなら安心してシトラスを預けられるわ」
お父さんがグレゴリオ最高司祭を見て告げる。
「しかしこんな短期間でよくシトラスの養子の話をまとめられたな。
周りの兵士たちも、これほど早急に話がまとまるのは聞いたことがないと言っていたぞ」
グレゴリオ最高司祭が人の良い笑みで応える。
「そこは最高司祭の権限を最大限活用させてもらいましたとも。
エルメーテ公爵と力を合わせれば、このぐらいはなんとかなります。
陛下に承認させたのはエルメーテ公爵のお力。私はそれに言葉を添えただけです」
お父様も微笑みながらそれに応える。
「なに、グレゴリオ最高司祭がシトラスがどれほど
外では言えんが、陛下は
今はそこをシュミット宰相に良いように突かれているが、今回は我々がそれを行っただけだ。
せめて周りを固める重臣に確かなものを置ければ、現陛下でも国政で困ることはないのだが」
お父様も結構、
じゃあ私も思い切って言ってみよう。
「この場ですから言ってしまいますが、現陛下の
なるだけ早期に次代に交代して頂かないと、モグラ叩きになりかねませんわ。
シュミット宰相だけが
悪いことを考える臣下が宮廷には多すぎるのだ。
印象の悪い人間の多さだけは、記憶によく残ってる。
今はそんな人間たちの頭をシュミット宰相がやっているというだけで、頭を潰して「はい、おしまい」という訳にはならないだろう。
お父様が顎に指を当てて考え込んでいた。
「……そうだな。確かにシュミット宰相以外にも気にかかる臣下はいるし、そんな連中が台頭して来れば同じことが繰り返される。
宮廷の大掃除をするにしても、現陛下の
ならば重臣と共に、現陛下にも後宮にお下がりして頂くのが手っ取り早いかもしれない」
お父さんがお父様を見て告げる。
「だが次代となると、ラファエロ第一王子ですらまだ九歳だ。ダヴィデ第二王子も六歳。
即位させるには十年単位の時間が必要になるぞ?」
「十年ならば準備期間として申し分がない。
どちらにせよ、今すぐどうこうできる話ではないからな。
――シトラス、君は王子との婚姻を考えることはあるか?」
「うぇ?! 婚姻ですか?!
……正直に言えば、前回の人生でラファエロ殿下にはトラウマを作って頂きました。
彼との婚姻を強要されるくらいなら、私は聖女の役割を辞させていただきたいとすら考えていますわ」
お父様がニヤリと笑った。
「なるほど。ではダヴィデ第二王子はどう思っているんだい?」
記憶の中のダヴィデ殿下は、気が弱いが優しい方だった。
私にもよくしてくれた数少ない人間の一人だ。だけど……
「悪い方ではありませんが、頼りになる方でもありませんわね。
決して
今からきちんと教育を施せば、十年や二十年が経つ頃には立派な王になる素質はお持ちだと思いますが、今現在で次代の王となると適任とは言い難いと思います」
「では、婚約相手として不服がある訳ではない、と受け取って構わないかい?」
私は腕を組んで頭を悩ませた。
一緒に居て苦痛に感じる人ではないけど、婚約者、ひいては夫とする人間かと言われると言葉に困る。
「……なんとも言えませんわね。
国を救うために必要なことであれば、仕方がありませんから婚約程度は頷いても構いません。
ですがダヴィデ殿下には、もっとぐいぐいと手綱を握って指示を与えてくれるような有能な女性が相応しいと思いますわ」
「そんな女性に、君はなれないのかい?」
「お父様? 私は前回の人生で、シュミット宰相に使い潰された人間ですわよ?
私では力不足ですわ。
もっと相応しい方をお探し下さる方が賢明でしてよ?」
お父様が小さく息をついた。
「そうか。他の令嬢に心当たりがなくもないが、そちらも少し時間がかかるだろう。
今、安心して王子の婚約者として台頭させられるのはシトラスぐらいなんだ。
何より希代の聖女が婚約者となり、妃となれば譲位して頂く理由にできる。好都合なんだよ」
グレゴリオ最高司祭が頷いて告げる。
「シトラス様が婚約した王子が次代の王として確定する程度には、権威あるお立場ですからな。
あるいはアンリ様が王位を譲られる未来もあり
エルメーテ公爵の母君は先王の
「え゛」
思わず大きな声で叫んでいた。
「アンリ様って、お兄様?!
それはお兄様くらい優秀なら、国を任せるのも安心できるかもしれませんが、私がお兄様と婚姻すると、そう仰ったの?!」
お父様が楽しそうに微笑んだ。
「グレゴリオの言う通り、聖女であるシトラスという後ろ盾があれば不可能ではない。
それくらい君が今持つ
だがシトラスにとって、人生を左右する決断でもある。
無理にとは言わないから、考えるだけ考えてみてはくれないか」
私は頭の中が真っ白になりながら乾いた笑いを浮かべていた。
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