第9話 エルメーテ公爵家(4)

「――はい、もう法衣を着ていただいて結構ですよ。

 仕立て直しのドレスは明日までにご用意させていただきます。

 それまではその法衣でお過ごしください」


 私は肌着のまま頷いた後、自分の胸をまじまじと眺めていた。

 十七歳になれば立派な双丘に成長する胸も、七歳の現在は大平原が広がっている。

 なんだか懐かしくて、思わずぺたぺたと触っていた。


「お嬢様? ご心配なさらずとも、大人になればきちんと大きくなりますよ?」


 どうやら『サイズをはかられて小さくて落ち込んでいる』と取られたらしい。

 愛想笑いでごまかしつつ法衣を着込み、私は小さく息をついた。


「そんなことは気にしていませんわ。第一、女性らしい体つきになっても私の役には立ちませんもの」


 前回の人生では社交界で孤立していた私に、縁談の類はやってこなかった――というか、戦場を治療薬代わりに走り回らされていて、忙しくてそれどころじゃなかった。

 いつの間にか第一王子との婚約が勝手に決められて、驚いたこともある。

 だけど婚約者らしいことを王子としたこともないので、十七歳の記憶があっても女性的な魅力の使い方などまったく知らなかった。

 我ながらそれなりに立派に育っていたのだけれど、聖女の法衣はボディラインが隠れる。おかしな視線を感じる事もほとんどなかった。


「そんなことはありませんよ? これからお嬢様は公爵令嬢として扱われます。

 女性的魅力を発揮する場面は、いくらでもやってくるでしょう。

 我々もお嬢様の美貌を磨くため、誠心誠意努めさせていただきます」


 その単語に違和感を感じ、私は小首を傾げて尋ねる。


「美貌……? 私を磨いても、生粋きっすいの貴族様のように輝いたりはしませんわよ?

 所詮は農村の村娘ですもの。みっともなくならない程度に整えて下されば、それで充分ですわ」


 周囲の侍女たちが、楽しそうに微笑んでいた。

 はて? 何かおかしなことを言ったかな?


 レイチェルが口元を隠しながら微笑みつつ、私に告げてくる。


「やはり、ご自覚がおありでなかったのですね。

 まったく手入れをされていない素顔のままでも、お嬢様は充分に立派な戦闘力をお持ちですよ?」


 戦闘力、とは。

 お父さんじゃあるまいし、拳と拳で語り合うなんてことを貴族令嬢がするとは思えないんだけど。


「レイチェルの言っていることが全く理解できないのですけれど、貴族令嬢は何と戦うというのでしょう?」


「貴族令嬢は美で競い合うものです。

 ゆくゆくは嫁ぎ先競争に繋がる、人生を左右する戦いとなります。

 お嬢様なら、ラファエロ第一王子に嫁ぐ未来も夢では……どうされたのです?」


 私が全身全霊で拒絶のオーラを出していたのを、レイチェルに感づかれたらしい。

 あわてて真顔に戻って、淑女の微笑を顔に乗せた。


「いえ、ラファエロ殿下と婚姻するぐらいならば、私は世界と共に滅びる道を選びたいな、と心から思ってしまいましたわ」


 正直言って、ほんの一か月前に散々嫌な思い出を作ってくれた相手だ。拒絶感が半端ない。

 それまでも良い思い出は全くなかったし、王子という地位に魅力も感じない。

 そんな人に嫁ぐことになったら、全力で逃げる所存だ。


 レイチェルが戸惑いながら尋ねてくる。


「いったい、ラファエロ殿下となにがあったというのですか?

 申し上げにくいですが、平民だったお嬢様と王族である殿下に今まで接点などございませんでしょう?」


 レイチェルは全てを正直に言える相手ではないので、ここは言葉を濁して伝えざるを得ない。


「そうですわね……生理的に受け付けない、といったところでしょうか。

 ご尊顔は以前、どこかで見たのかもしれませんが忘れてしまいましたわ」


「生理的に、ですか……そのような理由であれば仕方ありませんね。

 ですが不敬となりますので、ご本人の前でその言葉は慎んでくださいませ。

 いくら聖神様の加護が強い聖女様とはいえ、相応の罰則が与えられてもおかしくはありません」


 聖女の発言力は王族に匹敵する、らしい。実感したことはないけど。

 だけど上回る訳ではないので、不敬を働くと不敬罪が適用されかねないということだ。


「それは重々承知していますわ。

 さすがに本人の前で口走ったりなど致しません。

 ですが私は、社交界から少し距離を置きたいと思っておりますの。

 ある程度は関わる必要がある事も理解していますけれど、あの世界にはなるだけ関わりたくないのです。

 これはお父様もご承知なさっていることですので、問題ありませんわ」


 レイチェルが小さくため息をついた。


「承知いたしました。

 ですが、それですとお嬢様の嫁ぎ先を決めるのが遅れてしまいますよ? よろしいのですか?」


「私は婚姻などまだ考えられませんの。

 今はただ、聖女としてきちんと生きて行かねばならないと、それだけで頭がいっぱいなのです。

 頭がお子様なだけなのかもしれませんけれどね」


 曖昧あいまいに微笑みつつ、適当にそれっぽいことを告げてみた。

 レイチェルや侍女たちはとりあえず納得はしてくれた雰囲気、かな?


「そんなことはありませんよ、お嬢様。

 お嬢様は七歳にしてはとても大人びた方です。

 おそらく聖女としての使命感で許容量が溢れてしまっているのでしょう。

 ですがいつかお嬢様が嫁ぎ先を探したいと思われた時、困る事のないように我々が誠心誠意サポートさせていただきます」


 私はレイチェルに微笑みながら告げる。


「では、レイチェルたちの思うように私を支えてください。

 私には貴族のなんたるかがわかりません。

 頼りにしています」


 レイチェルたち侍女が、揃って私にうやうやしく頭を下げた。





****


 立派な壁時計に目をやると、時刻は十時を回ったところだ。


「お父さ……じゃない、ガストーニュさんとガストーニュ夫人はどこにいらっしゃるのかしら」


「ご両親にお会いしたいのですか?」


 十年前に死別した、久しぶりに生きて会えた実の両親だ。

 ここにくるまでの二週間だけでは、まだまだ物足りなかった。

 だけど養女として引き取られた以上、今の『両親』はエルメーテ公爵と公爵夫人だ。

 自分がけじめをつけられない人間に思えて、気後きおくれしていた。


 だけど私は、おずおずと頷いた。


「お仕事の邪魔かと思うのですが、どのようにこちらで働いているのかを知りたいと思ってしまいまして……」


 レイチェルが微笑みながら告げてくる。


「お気持ちはご理解致しますが、本日は雇用初日です。

 お二方も職場に慣れるため、忙しい時間を送っておられると思います。

 敢えてお会いに行くのは、後日にした方がよろしいかと存じます」


「そうですか……」


 私は落ち込んだ気分になってしまって、これからどうしたらいいのかを考えられなくなってしまっていた。

 初日なのは私も一緒だ。やるべきことは私にもたくさんあるはずだった。

 だけど頭は働かなくて、なにげなしに机の上を指で撫でていた。


「焦らずとも、近いうちにお会いする機会は必ずあります。

 さぁ、お屋敷の中をご案内いたします」


 私は顔を上げて頷き、レイチェルの背中を追いかけた。





 中庭に案内された私の前には、視界一面に広がるチューリップ畑があった。

 二階の窓から見るよりも華やかに見えて、少しだけ気分が良くなっていた。


「綺麗ですね! ここの庭師の方はどなたなのですか?」


「この庭は長い間、マルチェロが担当しています――あちらに居るのがマルチェロです」


 レイチェルが手で指し示す方向に、数人の若い男性に指示を飛ばしながら花壇の様子を見ているお爺さんが居た。

 その傍に近づくと、お爺さん――マルチェロさんがこちらに振り向いた。


「おや、レイチェルどうした? ……その子が今日からやって来たシトラス様か?」


 私は微笑みながら挨拶を告げる。


「初めましてマルチェロさん。今日からこの屋敷にお世話になるシトラスです。

 とっても綺麗なお庭ですね。マルチェロさんが心を込めてお世話をしてるのがよく伝わってきます。

 この花壇は部屋からも良く見えるんです。次の季節がどんないろどりになるのか、楽しみにしていますね!」


 マルチェロさんが髭で埋まった顔で嬉しそうに微笑んだ。


「それほど喜んでいただけるなら、庭師冥利に尽きると言うもの。

 これからは一層はりきってお世話させていただきましょう」


 私はマルチェロさんに手を振って、次の場所へ案内されて行った。

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