第5話 言えなかった言葉
「来たぞー!
物見台の上から、夜目が効く村人が叫んでいた。
私が感じる嫌な気配と同じ方角から、地響きのような音が聞こえ始めた。
「火矢を構えろ! ――撃てっ!」
事前に地面に撒いていた油に、火矢で引火させる――その明かりで、村に殺到する魔物の群れが照らし出されていた。
山でよく見る蛇や犬の魔物が主だったものだけど、その中に身体の大きな猪が十頭以上――ブラッド・ボアの群れだ。
魔物たちは火を気にかけることなく村に向かって突進してきた。
構えている村人たちは腰が引け、兵士たちにも緊張が走った。
「≪
私が叫んだ祈りと共に、魔物の真正面に半透明の壁が出現していた。
殺到していた魔物たちが兵士たちの直前で壁に衝突し、勢いを完全に殺された形だ。
ヴェネリオ子爵が剣を掲げ、兵士たちに叫ぶ。
「今だ! 魔物を蹴散らせ!」
兵士たちが気勢を上げて魔物に襲い掛かっていく。
お父さんを始めとした村人たちも、後に続いていった。
私の役割は、突進するブラッド・ボアの正面に≪
かなり目が忙しいけど、私が必死に加護の力をあちこちにばら撒いているうちに魔物の数はどんどん減っていった。
離れた位置に居る人に≪
前回よりも格段に強い加護を与えられたのだという実感を私は得ていた。
最後のブラッド・ボアを、お父さんの
大地に崩れ落ちるブラッド・ボアを、お父さんは静かな表情で見下ろしていた。
こんなに大きな猪を素手で倒せる人間は、お父さんくらいだろう。
「……これで、終わり?」
隣にいるヴェネリオ子爵が、辺りを見回してから頷いた。
「魔物の掃討を完了しました。村を無事、守り通せたのです。お疲れさまでした」
剣を鞘に納めながら告げるヴェネリオ子爵の言葉を聞いて、私の膝から力が抜けて行った。
あわてて駆け寄ってくるお父さんの顔を微笑みながら見つめている私の意識は、そこで途切れていた。
****
明るい日差しで目が覚めると、私は自分のベッドに寝かされていた。
着替えもせずにリビングに行くと、お父さんが粗末なソファを体で
「お父さん、昨日は凄い勢いで戦ってたもんなぁ……」
いくらお父さんでも、何頭ものブラッド・ボアの相手は体力を使い果たしたのだろう。
私が近づいても、起きる気配がなかった。
「何を言ってるの。シトラスだって気絶するまで一緒に戦ったじゃないの」
声に振り返ると同時に、私はお母さんに抱きしめられていた。
「お母さん?! どうしたの?!」
「……私たちに心配なんてさせないで。聖女様になったとは聞いたけど、あなたはまだ七歳の子供なのよ? 無理なんてしないで頂戴」
どうやら私は、加護の力を限界まで使ったことで力尽きたらしい。
戦いが終わったことで緊張感が途切れ、それで気絶してしまったのだろう。
私はお母さんを抱きしめながら、かみしめるように告げる。
「お母さん……ただいま」
前回の人生、十年前には
それと同時に涙がぽろぽろとこぼれてきて、声を上げて泣いてしまっていた。
お母さんは優しく私を抱き止めながら、頭を撫でてくれていた。
気が付くと、お父さんの手も私を撫でていた。
どうやら私の泣き声で起こしてしまったらしい。
なんだか照れ臭くて、あわてて涙を袖で拭った。
「その……心配させてごめんなさい」
お父さんは小さくため息をついてから私に告げる。
「お前が無事なら、それでいい。それよりお前のおかげで大きな怪我人も出さずに済んだ。
もしお前が帰ってこなければ、夜間に
お前がこの村を救ったんだ」
私は言葉に詰まった。『そんな未来から私は戻ってきたんだよ』と言いたくて仕方がなかった。
辛くて寂しくて死んでしまいそうになる夜を何度も超えた先に、私は陰謀で殺されたのだと泣いて訴えたかった。
でもそんなことをお父さんたちが知ってしまったら、お父さんたちをあの亡者たちが巣くう世界に巻き込んでしまいそうで怖かった。
どんなに腕力が強くても、あの世界では無力だ。前回の私のように、
お父さんたちをそんな世界に巻き込みたくなんてない。
私は黙って思いを胸に秘めて、静かに微笑みを返していた。
お父さんとお母さんが、とても悲しそうな表情で私を見つめていた。
「シトラス、遠慮なんてしなくていい。
そんな苦しそうな笑いを見るために昨晩死力を尽くした訳じゃない。
言いたい事があれば、素直に言いなさい」
私の目からは再び涙がこぼれていった。
「言えるなら言いたい。でも、言ってしまえばお父さんやお母さんも宮廷の貴族たちに
あんな人たちにどうやって立ち向かったらいいかなんて、今の私にはわからない。
でも今度こそ、お父さんたちを私は守りたいんだ。生きていて欲しいんだよ」
お父さんの目が、何かを見定めるように私を見つめていた。
「……お前は、本当にシトラスなのか? この村を出発する時も、
実際、お前が言う通りに魔物が発生した。
何がお前にあったんだ? 言える範囲で良い、教えてはくれないか」
私は、涙声で少しだけ事情を告げていった。
聖女として認定された前回の人生、宰相にいいように使われた十年間、最後に
お母さんが抱き締めてくる腕の力が強くなり、お父さんが深いため息をついた。
「――そうか。実際に
お前が言うことに、間違いはないのだろう。
そしてお前が思うように、私では貴族たちに
私はお母さんに抱き着きながら、次の言葉を待った。
「だが、私にも貴族の
聖女として認定されたなら、孤児でなくとも貴族へ養子縁組されることになるはずだ。
お前を預けるならば、その相手ぐらいは私が選びたい。
決してエリゼオ公爵などに渡すものか」
お父さんの顔を見ると、その目には断固たる決意の炎が灯っているようだった。
「お父さん……怒ってるの?」
「当たり前だろう。時間が巻き戻ったとはいえ、娘を陰謀で殺されたんだぞ?
――シュミット宰相か。いけ好かない人間だとは思っていたが、そこまで腐った人間だったとはな。
シトラスを食い物にしてくれた報い、必ずや与えてやろう」
鬼気迫る勢いでお父さんは言葉を絞り出していた。
聞いている私の背筋にも寒気が走りそうなくらい、激しい怒りを漂わせていたのだ。
「お父さん、怖いよ……それより、貴族の
お父さんの雰囲気が柔らかくなり、少しだけ微笑んでくれた。
「兵役時代、仕官しないかと言ってくれる人が何人もいてな。その中の一人になら、お前を預けられるはずだ」
「……その人の名前は?」
「宮廷で生きていた記憶が在るなら、おそらくお前も知っているだろう――ヴァレンティーノ・アデルモ・エルメーテ公爵だよ。
宰相と戦うなら、彼の元に引き取られるのが最も手堅いだろう」
私は心の中で、絶叫を
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