第4話 夜が来る
翌朝、早い時間に起こされた私は眠い目をこすりながら、携帯食の干し肉とパンにかじりついていた。
お湯でふやかせばなんとか噛みちぎれる程度に固いお肉とパンだ。
保存期間を優先すると水気を抜いてしまうので、カチカチに固くなってしまうらしい。
「軍隊の食事って、やっぱり味気ないですね……どうしたんですか? ヴェネリオ子爵」
「いえ、あまりに食べ慣れた様子なので驚いていました。
……昨晩のお話、やはり真実だったということでしょうか」
私は苦笑を浮かべながら応える。
「そう簡単には信じられませんよね。私自身がそうなのですから、ヴェネリオ子爵が信じられなくとも仕方ありません」
だけど昨日、聖神様と会話をした実感と記憶は確かにある。
夢や幻ではないはずだった。
もぐもぐとお肉を噛み続ける私に、ヴェネリオ子爵が尋ねてくる。
「聖女として聖神様の加護を授かったと
私は口の中のお肉を味わい続けながら首を横に振り、口の中の物を飲み込んでから応える。
「前回は≪
具体的な力は、グレゴリオ最高司祭様ならご存じだと思います」
グレゴリオ最高司祭はどうやら、聖名から能力を知ることが出来るらしい。
前回も私が聖名を告げた時に、≪
「なるほど……しかし
初代聖女は、
もしかしたらシトラス様も、
なるほど、それは確かに使えてもよさそうな能力だ。
早速、私は手早く食事を片付けると、聖神様へ祈りを捧げ始めた。
加護の力を発揮する時に祈りは不可欠だ。
「……遠くに嫌な気配を感じます。あちらは――村の方角ですね。どうやらまだ大丈夫みたいですが、のんびりしている暇もなさそうです」
ヴェネリオ子爵が私に頷いた。
「本日も強行軍を続ければ、夜には村に辿り着けるはずです。急ぎましょう」
****
日が落ちてかなり
農村の夜は寝静まるのが早く、あたりには
そもそも酒場すらないのだから、夜に人が出歩く理由もないのだ。
体感時間ではおよそ午後八時、丁度みんながベッドに入る時間だ。
私とヴェネリオ子爵は兵士たちを村の外に待機させ、村長の家に向かった。
扉をノックしてしばらくすると、中から村長の奥さんが出てきた。
「あら、貴族様? ――とシトラスちゃんじゃないの?! あなた、洗礼を受けに街に行ったんじゃなかったの?」
「こんばんは。村長はまだ起きていますか? 急いで相談しなければならない事があるの」
村長の奥さんがおずおずと
ヴェネリオ子爵が懐中時計を確認している。下から覗き見ると、午後八時をだいぶ回っていた。
けれど村長は農作業をしていないので、いつももう少し遅くまで起きているのを私は知っている。
奥から出てきたお爺さん――村長が戸惑いながら私たちを見た後、ヴェネリオ子爵に尋ねる。
「これはいったい、何事ですか?」
「近日中に
シトラス様の話では、おそらく今夜から明日にかけて、この村が魔物の群れに襲われるはずだ。
村長は急いで村の男手を集め、対応を進めて欲しい。
こちらも兵士一千人を連れてきているが、対応できるかはなんとも言えないところだ」
村長が目を見開いて驚いていた。
「
私がたまらず横から話に割って入る。
「村長さん! 今はのんびりしていられないんだよ! 嫌な気配がどんどん近づいてきてる!
この様子だと、夜の暗いうちに魔物の群れがこの村を襲うよ! 急いで明かりをつけて対応しないと、村が全滅しちゃうよ!
相手は大型のブラッド・ボアが何頭も混じってるから、お父さんでも手に負えないんだよ!」
ブラッド・ボアは魔物の中でも特に凶悪で有名な種族だ。
体の大きさは二メートルを超え、三メートルに及ぶこともある大型の猪だ。
力も強く、突進して獲物を押し潰し、その血で体を染め上げるのでブラッド・ボアと呼ばれている。
一頭くらいならお父さんだけでも対処はできるだろうけど、それが何頭もいたら対処は無理だろう。
私の剣幕と、真剣な表情のヴェネリオ子爵に
「わかりました。緊急事態なのですね。
――おいお前、鐘を鳴らしておくれ!
村長に言われ、奥さんがあわてて家の外にある大きな警報用の鐘を叩き始めた。
すぐに村が騒がしくなり、明かりを持った村人が「なんだなんだ」と村長の家の前に集まってくる。
集まってきた村民に、ヴェネリオ子爵が大きな声で告げる。
「
私はヴェネリオ子爵! 兵士一千人を援軍として引き連れてきたが、この村の者にも協力してもらいたい!」
その一言で、村は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
あちこちにかがり火が
騒ぎを聞きつけてやって来た人の中に、お父さんとお母さんの姿もあった。
「――シトラス! なんでお前がここに居るんだ?!」
「そんな話は後回し! お父さん、ブラッド・ボアの群れが来るよ! お父さんは何頭の相手をできる?!」
お父さんが難しい顔で私に応える。
「ブラッド・ボアか、
私はヴェネリオ子爵を見た。
ヴェネリオ子爵も難しい顔で私に告げる。
「兵士たちには相応の装備をさせていますが、ギーグ殿でもなければブラッド・ボアの突進を受け止めることはできません。
夜間ですので、弓もあまり効果は期待できないでしょう。
どうしますかシトラス様」
前回と同じような聖名なのだから、今回だって≪
私はヴェネリオ子爵とお父さんに
「怪我をしても死んでいなければ、私がすぐに癒せます! 多少の無茶をしても大丈夫です!
――そうだ、獣除けのトラップを村の外に配置してください! 多少は群れの勢いを殺せるはずです!」
トラバサミと呼ばれる、踏むと足に食いつくトラップだ。
まだ群れが村を襲うまで時間はあるはず。トラップを仕込む時間くらいは残っている。
お父さんが
「シトラス、お前は母さんと早く避難しなさい。後のことはお父さんと兵士たちに任せるんだ」
私は首を勢いよく横に振った。
「私はもう洗礼を受けた聖女なの! 避難する側じゃなくて、みんなを守る側の人間だよ!
少なくとも今の私には、怪我をした人をすぐに治癒する力がある! 前線で一緒に戦わないと、すぐに治癒できないよ!」
「だが、お前は七つの子供だ。危険すぎる」
ヴェネリオ子爵がお父さんに告げる。
「シトラス様は私が命に代えても守ろう。だからギーグ殿は安心してブラッド・ボアに専念して欲しい。
それより、トラバサミだけでは何頭ものブラッド・ボアに対応するのは難しいだろう。
なにかもう一つくらい決め手が欲しいが……そうだ、村の司祭はどちらに居るんだ?」
お父さんがきょとんとした顔でヴェネリオ子爵に応える。
「司祭様か? それなら礼拝所に居るはずだが……」
「わかった――シトラス様、司祭様に会いに行きましょう。彼ならもしかしたら、あなたに授けられた力について何かを知っているかもしれません」
私はしっかりと頷くと、ヴェネリオ子爵を村の礼拝所まで案内し始めた。
****
「――なるほど、
その名前ならば、おそらく多数の加護を授けられているはず。
その中に、初代聖女が使えたという≪
それがどんなものかはわからないけれど、私は早速、聖神様に祈りを捧げ、その中で≪
すると私の前に、半透明の卵の殻のような壁が生まれ、空中に浮かんでいた。
「これが……≪
村の司祭が頷いた。
「その壁は魔物が決して踏み越えられぬ障壁。強力にして強固な盾です。
初代聖女はそれを身にまとうことも、好きな位置に出現させることも可能だったと伝承にあります。
これならば、ブラッド・ボアを受け止めてもビクともしないでしょう」
私はヴェネリオ子爵と視線を交わして
これは突進が最も恐ろしいブラッド・ボアの、その最大の武器を封殺できる力だ。
今回の切り札と呼べるだろう。
「ようやく勝ち筋が見えてきましたな。シトラス様、あなたの故郷、守り切って見せましょう!」
「当然です! その程度が出来ないなら、戻ってきた意味などありませんから!」
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