第28話:旦那様の思惑

 目が覚めると、見慣れた天井が目に入った。

 まだ数日しか過ごしていない部屋なのにもうここが自分の場所なのだと身体が分かっているようで自然と安堵する。


(あれ……私……確か……保胤さんの部屋にいて……)


 まだぼんやりとする頭で一葉は必死に記憶を辿る。紅茶を書斎に運んで、薬入りのマドレーヌを食べた頃から記憶が曖昧だ。


(マドレーヌを食べて……そこから身体がおかしくなったんだわ……ていうか、あれ絶対睡眠薬じゃなかったでしょ……!!)


 普通なら徐々に眠くなっていくのに、逆に全身過敏になっていったことは覚えている。

 

(書斎から自分の部屋に戻ってきたということはきっと保胤さんが介抱してくださったのよね……一体どれぐらい眠っていたのかしら)


 今、何時だろう。一葉は部屋の時計を見る。時刻は20時を指していた。


「……20時……え……待って、20時ぃ!?」


 叫びながらガバッと起き上がる。やばい、夕餉の支度も何もしていない! 


 その時、部屋の扉が開いた。


「おや、目が覚めましたか?」

「保胤さん……!」

「ああ、まだ起きない方がいいですよ。身体に薬が残っているかもしれないから。はい、お水飲んでください」

「は、はい……」


 差し出されたグラスを受け取り、一葉は素直に一口水を飲んだ。


(待って……今、薬って言ったわよね……)


 背中に冷たいものを感じながら、保胤の言葉を反芻する。


「あの……く……薬って……?」


 一葉は青い顔をしながら恐る恐る尋ねた。


「一葉さんが食べたマドレーヌには薬が仕込まれていたようです。症状からして一種の誘淫剤でしょうね」


 保胤は淡々とした口調で説明する。一葉はダラダラと全身汗をかいた。


「サイ……イン……ザイ……?」

「ええ。身に覚えがありませんか?」

「アリ……マ……………………セン」

「どうして急にカタコト?」


 まずい。

 まずい。


 まずいまずいまずいまずい!!!!


 なにか……なにか言い訳を考えないと……!!

 

 一葉は混乱した頭の中を引っ搔き回して必死に考える。


「よくあることなんです。とんだ災難でしたね」

「へっ?」


 思いがけない言葉に呆気にとられる。


「詳細はこれから調べてみないと分からないが、大方あなたが洋菓子店で買った焼き菓子を誰かに薬入りのものとすり替えられたのでしょう」

「だ……誰がそんなことを……?」


 どの口が言っているのかと自分自身に呆れるが話を合わせる。


「さあ? でも、確実に狙いは僕でしょうね」


 保胤の言葉に一葉の心臓は大きく跳ねる。


(まさか気付いて……!)


「うちの商会は海外含め色んな取引を行っています。ビジネスの世界では取引情報はそれだけで莫大なお金になります。その情報を狙っている輩が多いんです。一応、僕は緒方商会の次期社長候補でもあるからね。僕が持っている情報だけでなく、僕自身の命を狙われることも少なくありません」

「……!」


 何でもないことのように説明する保胤に、一葉はショックを受ける。


(この人……やっぱり自分が狙われてるって気付いてるんだわ……ただ犯人が私だとは思ってないようだけど……)


「つまり僕の婚約者であるあなたは利用されたんです」

「わ、私が……?」

「僕が結婚することはある程度周囲に知れ渡っています。そして、その結婚相手があなただということも。こうなる危険があるから、本当は必要な人間だけにしかあなたの存在は知らせないつもりでいました」

「えっ?」

「僕の妻だと知られればあなた自身に危険が及びます。この間の買い物もなるべく人目につかないようにしようとしましたが、どの道ずっと隠し切るのは無理ですしね」

「もしかして……美津越での買い物の時にお部屋が用意されていたのはそれが理由ですか?」

「まぁそうですね。ほら、僕の風貌のせいもあって普通に買い物をするのは目立ちますから」


 知らなかった。

 お金持ちだから特別な部屋に案内されたのだとばかり考えていた。


「実は……結婚式も大々的に行わない理由はそこにあるんです。来賓が多ければその分侵入者も紛れやすい。折角の日にこじんまりとした形になってしまい、あなたには申し訳ないと思っています」


 結婚式は行わないのは、保胤のたっての希望だと聞いていた。てっきり保胤が騒がしいのが苦手だからだと思っていた。まさかそこまで自分の身を案じてくれているとは想像もしていなかった。


 思いがけない保胤の優しさに一葉はただただ茫然とした。

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