第10話
あの出来事から1週間と少し。足の捻挫もほぼ完治し、普段通りの生活を送れるようになった。また、あの一件以降、周囲から怪訝な目を向けられることこそあれ、絡まれたり何かされたりということが減ったのだ(特に女子からの)。リーダー格である蛇口がアクションを起こさなくなったというのは大きいだろう。環境が完全に回復したわけではないが、それでも多少は改善していると言って差し支えない。
ところであの日、僕が離れた後何かあったのか彼女に聞こうにも、彼女は教室に姿を現さず、かと言って捻挫した足で歩いてあの場所まで行く訳にもいかず。結局、ただダラダラと時間だけが流れたのだった。彼女に関しては何度か連絡をしようと思ったのだが、そこは流石僕。数少ない同年代女子の連絡先に自分からメッセージを送れる度胸などあるわけもなく、こうしてズルズル来てしまったわけである。我ながら将来、人付き合いで苦労しそうだなと感じざるを得ない。
今日は、ある程度問題なく歩けるまで回復して初めての学校。自分から会いに行けばいいのだが……
「はぁ……」
思わず出てくるため息。しばらく会ってないというだけでなんだか気まずい。先日のやりとりから考えると少なくとも嫌われてはいないはずだ。世間一般で言う友人くらいの認識で問題ないとは思う。しかし、いまいち彼女が何を考えているのか分からないということもある。机に肘をついて手で頭を支えていると瞼の裏に階段での記憶が再生された。
……考えてみれば、蛇口と会話がないのは別に不思議なことではないのだが、彼女もパッタリ接触して来なくなったのは何故だろうか?あの日、自分と別れた後にやはり何かあったのか、それとも僕が謝罪する様に言ったことが気に食わなくて怒らせてしまった?あり得る……え、謝った方がいい?そうだよ、そもそも僕あの後、彼女にお礼も謝罪もしてないじゃん。百歩も千歩も譲ったとしたても何も言ってないのまずいって。怒っても無理ないって。
そこまで考えが至ると冷や汗と共に焦りを感じ出す。「親しき仲にも礼儀あり」と言われるように、いくら距離が近いといえ言動が軽率だったのではないか、そんな罪悪感が僕を苛む。お昼用に買っておいたパンのことも放っておいて、僕は足早に教室を後にした。
彼女のことに関して分かっているのは同じ学年であるということだけ。彼女は僕のクラスを知っていたが、対する僕は彼女のクラスを知らない。今日が晴れていればまず外の例の場所に行くのだが、梅雨も近づいているためか生憎の雨。僕は同じ階の教室を手当たり次第に覗き、彼女の姿を探すことになった。
あまりじっと教室の中を覗いていると多少なりとも「なんだあいつ……」という目を向けられてしまうが、こればかりは仕方がない。教室一つ一つを隅から隅までじっくりと、見知った姿を探す。
ここにはいない、次。……ここにも。1組、2組、順に教室を確認していく。せめて文系か理系かだけでも知っていれば確認する教室の数も半減したのに……いや、確認するまでもなく多分あいつ文系だろうけど。万が一ということもある。
ちなみに僕は理系クラスだ。正直文系に行きたい気持ちはあったのだが、将来のこと、就職活動とかを考えると理系の方が選択の幅が広いとのことでこちらを選んだのだ。お陰で微分積分に悩まされる羽目になっている。いつ使うんだよあんなの。極限とか響きがカッコいい以外腹立つことばっかりなんだけど。
……ハッ、いかんいかん。こんな風に思考を遊ばせていては足元が疎かになりかねん。ただでさえこのビニール製の床は雨のせいで滑りやすくなっているのだ。足が治ったばかりなのにまた滑って怪我しましたなんて恥ずかしいにも程がある。急いでいようとも注意しなければ。一度足を止め、呼吸を整えようとしたその時───
「きゃっ」
突如階段から上がってきた影がそのまま小さく悲鳴を上げながら目の前でつるりと転倒した。これが運動部所属の奴とかだったらカッコよく助けられるのかも知れなかってが、あいにく、僕はそういうタイプではない。
「だ、大丈夫ですか……?」
そのため、精々近寄って声をかけるくらいしかできない。一応、立ち上がるのに手を貸そうと思ったその時のことだった。
「痛て……おりょ?世良町君じゃん!久しぶり、元気?」
「委員長」
「もう、委員長だったのは1年生の時だよ-」
「てっきり2年でも委員長やってるもんだと」
「1年の時は誰も立候補がいなかったから私がやっただけだよ。今回はクラスに立候補した男の子がいたんだ」
「そうなのか」
「そうなのだっ」
立ち上がりながらそんなやり取りをする。随分と小柄な彼女と比較して、委員長は僕とあまり背丈が変わらない。立ち上がればその顔との距離がグッと近づいた。パッチリとした大きな目に長いまつ毛。以前から思っていたが、委員長は相当に整った顔立ちをしている。眼前に広がるそれへの気恥ずかしさに思わずふいっと目を逸らした。
「ん?どうしたの?」
「いや……別に」
コテン、と首を傾げて尋ねる委員長。これもまた前から思っていることなんだが、どうも委員長は自分の可愛さを自覚していないらしい。誰が相手でも明るく笑顔でコミュニケーションを欠かさない。挙句の果てに同性、異性を問わずボディータッチを躊躇うことなくしてしまう程の距離の近さ。……一体何人の生徒が勘違いして玉砕してきたのだろうか。無自覚というのは末恐ろしいものである。
「しかし滑ってこけるなんて委員長にも意外とドジなところがあるんだな」
「どっドジなんかじゃないもん!」
ちょっと揶揄うと委員長は真っ赤になって腕を振りながら抗議し始めた。
「あと委員長はやめてって。私には椛って名前があるんだから」
……日暮は頬を膨らませたプンスコという擬音が聞こえてきそうな表情になった。それも無意識なんですか、そうですか。可愛くむくれる日暮を微笑ましく見ていると、ふと思いついたことがあった。
「……そういえば委員長って文系クラスか?」
「……」
「……委員長?」
「……」
「……日暮さん?」
「つーん」
「……椛さん」
「ふふーん、はい、椛です。何かな何かな?」
め、めんどくせぇ。そして可愛い。でも、異性を下の名前で呼ぶのは少しハードルが高いのでできれば遠慮したいんですけど。中学校の時女子を下の名前で呼んだら「馴れ馴れしい、キモい」って言われたトラウマがまだ蔓延ってるんです。おのれ、許さん石上。
「実は人を探してて」
僕は委員……日暮さんに彼女のことについて尋ねた。案の定、お目当ての彼女は文系だったらしく、日暮さんも同じクラスだとのこと。
聞くところによると、最近彼女は登校していないらしい。しかし、もともと学校を休むこと自体珍しいことではなく、頻繁に姿を見せない日があったため、てっきり病弱とか家庭の事情とかだと思っているようだ。登校していてもクラスでは本を読んでいたり、音楽を聴いていたり、スマホを触っていたりで世話焼きな日暮さんですら話しかけるのを躊躇ってしまうレベルなのだとか。なんなら、話しかけるなオーラみたいなのすら感じるらしい……何やってんだあいつ。
「一度話しかけてみたんだけど、全く反応がなかったんだよね」
それでも話しかけるあたり、流石の日暮さんである。コミュ力お化けというのはこういう人を言うのだろう。しかし、それよりも……
「無視とかするのかあいつ」
「いや、無視というより聞こえてない感じ?スマホに向き合って何かしてたみたいだけど、あれはある意味集中力が凄いんじゃないかなあ」
もしかしたら忙しいところを邪魔して気分悪くさせちゃったのかもしれないけど……と日暮さんは続ける。あくまで自分に非があると考えてしまうところに日暮さんの優しさというか人柄が表れている気がする。いろんな人から好かれる理由の一つだろう。
「あんまり気にしなくていいぞ。あいつも悪気があるわけじゃないと思うし」
「そうかな……ありがとう」
大して慰めにもならない言葉に笑顔を返してくる日暮さん。実際、あいつは掴み所がないというか、不思議ちゃんなので話を聞いたところで何か言えるわけでもないのだ。
「っていうか世良町くん、彼女と仲良いの?お友達?」
「いや、多少話はするけど仲がいいのかと言われるとよく分からん」
「いやいや、話できるだけレアなんだって!」
そんなにか。僕からすれば口をひらけば揶揄ったり、何か語ったりしてるイメージなんだが随分違うんだな。
「うーん、てっきり1人が好きな子なのかと思っててけどそうでもないのかな……私も仲良くできるチャンスあるかな?」
「なんで仲良くしたいんだ?話聞く限りじゃあクラスで人気者ってわけでもないだろうに」
「……?同じクラスなんだから仲良くしたいって思うのは当然じゃない?」
うわっ、眩しい。そりゃあ理想はそうなんだろうけど、そんな純粋な顔で言わないでくれ……しかし実際、日暮さんならそれを綺麗事で終わらせないだけの能力も勇気もあるんだよなぁ。
「……癖はあるけど、日暮さんならきっと大丈夫だよ」
「ありがとう……って日暮さん?さっきは椛って呼んでくれたじゃん!」
「恥ずかしいんだよ。勘弁してくれ」
むしろ、さっきまで定着していた委員長呼びをなんとか改善しただけ褒めてもらいたいものだ。目の前でプリプリとかわいらしく抗議する日暮さんを前に内心呆れながら返事をする。その言動とか表情は本当に少しセーブした方がいいと強く進言したい。
それはともかく、お目当ての彼女は現在登校すらしていない状況。もともと休みがちだと日暮さんは言うが、直前の出来事が出来事だけに、はいそうですかと納得できない。今回の彼女の休みに自分が無関係だと割り切れないのだ。これまでの印象から彼女が何かトラブルで気が病んだとか、落ち込んだとか、学校に居づらくなったとかそういうのはないだろうが、それはあくまで僕の考えに過ぎない。実際、僕自身あんな風にいじめを受けることになるとは夢にも思わなかったわけだし、頭の片隅にもなかったようなこととが起こる可能性は十分にある。
「ともかく、いろいろありがとう。助かったよ」
「こちらこそ。恥ずかしいところ見られちゃったけどね……良かったら今度カラオケでも行こうよ」
その声に軽く右手を挙げて応えてから、僕は来た道をゆっくりと引き返していく。ポケットに入れられたスマホを撫でるように手を当て、僕は小さな覚悟を決めたのだった。
放課後。帰宅部の僕はさっさと荷物をまとめて帰路につこうとしていた。連絡を取る覚悟は決めた。あとはどのように切りだすべきかだが、それは歩きながら考えよう。多少体を動かした方が頭は働くらしいし。
そうして教室から出ようとした時。
「失礼する。世良町匠君が在籍しているのはこのクラスで間違いないか」
凛々しい声と共に教室の前側の入り口に人の姿が。高身長でありながらスラっとした体型。綺麗な黒髪は蛍光灯の光を反射し、天使の輪がみえている。それだけでなく背筋を伸ばして胸を張った自信のある佇まい。……その人は、生徒間でも有名な存在だった。
「ねえ、早水先輩じゃない!?」
「世良町になんの用だろ?」
「え、えっと……あそこにいるのがそうです」
入り口付近にいた女子生徒がモジモジしながら僕の方を指差す。こら、人を指差さないの。
指された方向を確認してこちらに顔を向けた早水先輩と目が合う。合ってしまう。風紀委員長、しかも校内では有名人。間違いなく面倒ごとになる気配しかしない。こちらに歩み寄ってくる足音はカツカツと幻聴が聞こえてきそうなものだ。
「世良町君だね?少し話があるんだが」
「すいません、このあと用事があって……」
嘘は言ってない。
「何、時間は取らせないよ」
有無を言わさずガシッと腕を掴まれる。って痛い痛い!女子の握力じゃない!運動部でもない僕じゃあ振り解けないレベルだってコレ!
せっかくの決意も虚しく、僕は風紀委員長という、考える限り最も恐ろしい存在の一つに連行されるのだった。
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