師匠と鋏終い
園田樹乃
第1話
山に入って、一本の木と向き合う。
今日、私が挑むのはタメンジュの若木だった。
手合わせの始めに、一礼をして。
徐に幹と土の境目を両掌で辿る。
土から吸い上げられる水を感じ、大地を握りしめる根の力を探る。
斜面の下側へと伸びる根が一番太い。その右側には長く深い根が二……いや、三本か。
そこからさらに、幹に耳を付けながら立ち上がる。途中で小さな棘が刺さった気がするけど、これはまた後で見てもらおう。
太い根から登ってきた水の流れは、私の腰のあたりで二股に分かれた左側の幹へと進んでいく。深い方の根からの水の半分程度もそちらへ登っていってるのを感じた所で、木から身を離す。
見るべきは、吸い上げられた水の少ない右側の幹。
下から見上げられる範囲で枝ぶりを観る。葉の色、枚数、日当たり、と見てきて。
二本まで候補を絞り込んだところで、私は手鋸を帯に挟み込んで、木を登り始めた。
大枝に跨って、切るべき枝をもう一度、確認する。二本の候補のどちらを切るか……判断に迷いつつ、手近な方に手を伸ばす。
腰から抜いた手鋸を枝に当てた、その時。
「そんなモン、切ってどうする」
足元から罵声が飛んできて。
大枝に必死で縋り付くことで、落ちかけた身体をなんとか樹上に保つ。
汗ばむ掌で手鋸を握り直して、もう一本の枝へと微妙に身体を進める。
アレが間違いなら、こっちが正しいはず。
自分に言い聞かせるようにしながら、枝に触れた途端。
「適当に切るンじゃねぇ、つってんだろ」
更に大きな雷が地上から落ちてきた。
『いっぺん降りて来い』と、言われてすごすごと木を降りる。
腕組みをした師匠の前で、跪く。
「おめぇは、何を見てあの枝だと思った?」
さっきの雷が嘘のように静かな声で訊かれて、身を竦めてしまった。
それでも答えないわけにはいかず。
自分が感じ取ったものを、師匠に説明するけど。
どうしても、ゴニョゴニョと誤魔化し気味な話し方になってしまって。
師匠には、大きな溜め息をつかれてしまった。
「いいか? 俺たち
「……はい」
「返事が小さいっ!」
「はいっ」
と、返事をしたはいいものの。私にはまだ切るべき枝を見極めることができない。自信がない。
師匠に弟子入りして、各地の山に入る生活を始めてもうすぐ十年。なのに、師匠の言う“切るべき枝の構え”が、解ったような解らないような……。
この日は結局、なんとか切ることができた枝は二本だけで。あとはタメンジュの近くに咲いていたブッパウ花を一株と、ベニススキの穂を抱えるほど刈り取った。
ブッパウ花は根ごと掘り起こしたので、土が落ちないように皮袋にそっと入れる。葉で手が切れるベニススキは、サラシでざっくり纏めてから背負子に括り付けて。
師匠の後から夕暮れの山道を下っていく。
夜のうちに仮宿としている廃屋で、素材の仕分けと手入れをする。
今夜は急いで水揚げが必要な花はないので、ブッパウ花の入った皮袋に湯呑み半分ほどの水を注ぐのを手始めとして、ベニススキの穂が散らないように壁に渡した紐に逆さ吊りにしたり、タメンジュの枝元の皮を指一本分ほど小刀で剥いだり。明日以降の作業に備える。
その間に師匠は、廃屋に残されていたボロボロの家財道具のいくつかを土間に並べていた。
翌朝、食事を終えた師匠は戸口に腰を据えて、底に大きな穴が空いた火鉢に粘土で栓をしていた。
「おぅ。竈に灰があったろう? アレをここに詰めとくれ」
半分の高さで良いから、と言われて、持ち手の外れそうな桶でソロソロと運ぶ。タガが緩んでないのが幸いだ。
その桶で、今度は近くの井戸から水を運ぶ。
手で掬って火鉢に詰めた灰を湿らせていると、師匠はどこからか小石を集めてきた。
色ごとに仕分けしておくようにと渡された大ザルには親指ほどの大きさで白や黒の石が入っていた。
次に師匠は、細く裂いたサラシに竈の煤をなすりつけていた。
石の仕分けを終えた私に、昨日のベニススキを持って来させると、そこから十数本を選んで。
言われるままに、花鋏で長さを整え、根元が揃うように両手で束にすると師匠は
「手を離すんじゃねぇぞ」
と言って、根元に黒く染まったサラシを巻き付け始めた。
小さな痛みが両掌にチクチクして、葉で切れた事がわかったけど。
サラシの端が固く結ばれるまで、束が解けないように両手でしっかりと握る。
煤で汚れた手で触ると色が付くので、師匠は出来上がったベニススキの束には、指一本触れない。
彼の黒い指先が示す、さっき灰を詰めた火鉢に束を差す。
「もうちっと左に寄せな」
「こう……ですか?」
「そう。器の芯は避けるんだ」
ススキの位置が決まると、師匠は根元を大きめの黒い小石で押さえる。さらに灰が見えないように全面に敷き詰めて。
白い穂と赤い葉を持つベニススキが、真っ黒な地面から生えているような品が出来上がった。
石の上から、割れ茶碗で数杯の水を注ぐ。
師匠の大きな手が三つ、柏手を打つ。
火鉢から雲母のような光の粒が、薄暗い土間に立ち昇って。
ゆっくりと二十数えるほどの間に、ベニススキも火鉢も姿を消した。
私たち花盛りは、役目を終えた道具に植物を活け込み、その力を借りて浄化することで道具が妖となるのを防ぐ職人だ。
壊れたり持ち主が亡くなったりした道具類を求めて各地を巡り、浄化の代償として旅に必要な食糧や宿を世話してもらう。
廃屋ごと浄化するような大仕事だと、実入も大きくなるけど。そこまで依頼してくれる名主さんは少ない。
今回は、家財道具の始末の首尾を見てから、追加注文がある……かもしれない。
この日は、お昼過ぎに名主さんが進み具合の確認に来て。師匠としばらく相談をしていた。ついでにお米と玉菜と干し魚をもらう。
今夜は玉菜でスープを作ろうかな? などと考えていると、手元の蓋なし土瓶が玉菜に見えてきてしまった。
玉菜の花みたいに、ニョキっと立ち上がった花。足元を留めるには……壁に取り付いている蔦を丸めて土瓶に詰め込むか。朝、師匠が使ったベニススキの葉の残りがあるから、アレを注ぎ口からシュッと刺して、花の茎に巻きつけたら良いかもしれない。
じゃあ、主になる花は……。
考えつつ手を動かす。
土台になる蔦を詰め込んでから、家の周囲を見て回る。手水鉢の向こうからモズキキョウを摘んできて、花の向きを探る。
土瓶の注ぎ口との兼ね合いが一番しっくりくる角度にそっと差し込む。
うーん。これならベニススキは余分かなぁ。
そう思いながらも、なんとなく赤い葉を手元でクルクルと弄んでいると、頭に衝撃が来た。
「葉っぱ一枚、粗末にすンじゃねぇって、いってるだろうが」
師匠に叩かれた頭を摩っていると、
「で、お前は、それをどうするつもりだ?」
と、尋ねられた。
「注ぎ口に差すつもりだったけど、なんか違う気がするんです」
「そりゃあ、そうだろ。モズキキョウと枝構えが揃ってねぇからな」
「揃ってませんか……?」
「なんか違う、って程度には解ってンのになぁ」
もう一歩か二歩、突き抜けれりゃ、一人前になれるのに。
そう言って師匠は、後ろに置いてあった手桶から汲んだ水を土瓶に注いだ。
「ほら、最後の仕上げ。やってみな」
「は、い」
戸口から入る光の邪魔にならないように立つ位置を変えて。
天を支え、地に伸びる力を感じ取る。縒り合わす。
そして呼吸を整えて、柏手を。
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