【アップ】2024年7月28日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

天川裕司

【アップ】2024年7月28日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/live/eigTEK1RfbM?app=desktop&feature=share


【ブログ】

ブログを見て下さると、聖書や讃美歌の歌詞などもご覧になれます。

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12862560883.html



前奏

招詞 詩編89編6〜9節

詩 編 歌 65編 1節

シオンよ汝が神は賛美を待つ

開 会 祈祷

主 の 祈り(週報裏面)

十戒・祈祷(週報裏面)

子ども説教

スコットランド教会新カテキズム

「すべてのものを造られた神さま」

こどもさんびか

きょうはひかりが[改 2(1,2 節)]

牧 会 祈祷

讃美歌 338番

聖書

ルカによる福音書17章1〜10節

説教

「主の僕の生き方」

吉田謙

祈祷

讃美歌 537番

みことばの交読文

詩編 23編 1〜6節

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌 栄 544番

祝 祷

報告



讃美歌~♬


讃美歌338番(歌詞付)54年版「主よ、おわりまで」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=fRFCoIy0wfg


1.主よ、おわりまで 仕えまつらん、

  みそばはなれず おらせたまえ。

  世のたたかいは はげしくとも、

  御旗のもとに  おらせたまえ。


2.うき世のさかえ 目をまどわし、

  いざないのこえ 耳にみちて、

  こころむるもの 内外にあり。

  主よ、わが盾と ならせたまえ。


3.しずかにきよき みこえをもて

  名利のあらし  しずめたまえ。

  こころにさわぐ 波はなぎて、

  わが主のみむね さやに写さん。


4.主よ、今ここに ちかいを立て、

  しもべとなりて つかえまつる。

  世にあるかぎり このこころを

  つねにかわらず もたせたまえ。


讃美歌第537番「わが主のみまえに」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=QGntwxO5LvM

(ブログを見て下さると歌詞も閲覧できます)



2024年7月28日 礼拝説教 聖書箇所


ルカによる福音書17章1~10節


1 イエスは弟子たちに言われた。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。2 そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。

3 あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。4 一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」5 使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、6 主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。

7 あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。8 むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。

9 命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。10 あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」



(Mynote)

二〇二四年七月二八日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『スコットランド新教会カテキズム 』

「天と地と海とそこにある全てのものを造られた方は、どなたですか。」

「主なる神様です。」

自然を見ると、先ず神様の存在に気付く。自分の内と外を見ても、神様の存在に気付く。この気付きを知る事が先ず大事にある。昔の人も、そうして神様の存在を知った人が多かったのだろう。人は皆、兄弟姉妹に在る。

(公同礼拝)

『ルカによる福音書』(第一七章一〜一〇節)

本日は、吉田謙牧師によるメッセージです。

イエス様が弟子達に教えた事は、当時から後世における全ての人に教えた事である。十二弟子は我々の事であり、イエス様は全ての事を弟子達を通し、我々に語り教えて居る。

この『ルカによる福音書』の箇所では、神様の愛に依る、励ましが含まれる。人は誰でも罪を犯す。全ての人が罪人だからだ。その罪人が罪から離れる為、神様から教えられた事をするのは当り前である。当然の事をするに過ぎないのである。詰りそれ程の信仰を常に持とうとする事、その信仰を持つ努力を続ける心が大事である…と言う事。

人は罪人である為、十戒の一つも守れないのと同じく、どれだけ言われてもその罪から離れる事が出来ず、その罪を繰り返す生き物である事は、神様は初めから最後までご存知である。それを知った上で、こう教えられるのだ。これは神様の忍耐にあろう。全ての人が罪に死なず、自分の側へ戻り信仰に生き、魂が神様の下(もと)で生き返る事を望まれる上、何度も人にそう教えて下さり、愛して居て下さる。全ての人は、神様にそれ以上無いほど(恵みが充分であるのと同じ様に)愛されて居る。だから信仰に立ち戻り生かされる事が誰にとっても必要であり、大事と成る。

「これらの小さい者の一人を罪に誘惑するよりは、寧ろ、ひきうすを首に掛けられて海に投げ入れられた方が、ましである。」

これはイエス様が教える言葉にあるが、イエス様はそれ程に「どんな信仰の小さな者でも悪魔の誘惑に迷わず陥らず、必ず信仰に立ち戻る事」を望んで居られる。ここではそれが述べられて居る。

そしてイエス様は全ての人(神様のもとにある兄弟姉妹)に、

「あなた方は、自分で注意して居なさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、許してやりなさい。もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、許してやるがよい」

と言われる。聖書で「七」という数字は、完全数を表す。詰り「何度でも…」と言えるほど多い数でもあり、その上で罪が許される事の成就する数、即ち何度でも許せ…とイエス様は我々に教えて居る。

・罪に陥るな。その誘惑に近寄るな。

・罪を犯した兄弟姉妹を許せ。

この二つの大事を先ず、イエス様は全ての人に教える。

そこで弟子達はイエス様に、

「私達の信仰を増して下さい」と言った。これは祈り願いにあろう。これに対してイエス様は、

「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉通りになるであろう。」

と弟子達を始め、全ての人に教えた。

これは「弟子達にからし種ほどの信仰も無い」と教えて居るのではない。

「あなた方には、既にからし種一粒程の信仰があるのだから、祈ればその通りになるであろう」

そう教えて居るのである。信仰に大小は無く、からし種一粒ほどの信仰でもそれが大事なのだ。

百デナリオンの借金のエピソード(例え話)を思い出す(『マタイによる福音書』第二一〜三五節参照)。一万タラントンとは、神様がイエス様の存在を通して全ての人に与えられた恵みであり、全ての罪人の罪がイエス様の十字架に依り、贖われ(買い取られて清められ)、救われる土台が与えられた事である。

百デナリオンを貸した小さな者は、一万タラントンもの借金があり、その国の王の所へ引き連れられた。王はその小さな者に借金を返す能力が無いのを悟り、その小さな者を許した。借金を免除したのである。

しかしこの小さな者は、別の人に百デナリオンを貸して居た。そこで小さな者は貸した人に出会い、「借金を返せ!」とその人を捕まえ、首を絞める様に迫った。そこで借金をした人は同じ様に「もう少し待って下さい!」とお願いしたが聞かず、小さな者はその人を牢獄に閉じ込めた。これを聞いた王は立腹し、今一度その小さな者を自分の所へ引き連れさせ、

「悪いしもべ、私に願ったからこそ、あの負債を全部許してやったのだ。私が憐れんでやった様に、あの仲間を憐れんでやるべきではなかったか」

と戒め、負債全部を返してしまうまで、彼(小さな者)を獄吏に引き渡した。

この例え話をしたあとイエス様は、

「あなた方めいめいも、もし心から兄弟を許さないならば、私の天の父も又あなた方に対して、その様になさるであろう」

と教えた。ここでもイエス様は全ての人に、他人の罪への許しに就いて教える。無論、全ての人が信仰に添う努力をする上、自分を信仰に於いて戒める事が前提になって居る。その力は、神様に依り与えられる。

全ての人は、神様にその罪が許されて居るから、同じく他人の罪を許すのである。皆、先ず自分の罪を考える事が大事にある。イエス様は、全ての人の為に十字架に掛かって下さったのだ。人の罪が許される為に。

信仰とは、自分を信じる事ではない。神様に生かされて居る自分を知り、その神様を信じる事である。単純に言えば、神様に縋り付く事である。

人には「罪を一つも犯さない」と言ったごく単純な事一つをも守れない程に、自力で神様に繋がる力は無く、自分一人で生きられる力など初めから無い。その信仰の力を与える方が神様であり、その人の初めからこの地上での最後まで、そしてこの地上を離れて天国での永遠に至るまで、全てを賄って居て下さる。

主である天に居られる誠の父、神様に依り頼む事。即ち、全ての人にとってこの事が必要である。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MCyjy8BuIIw


「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=fa167XugO-Y


ごうちゃんねる

https://www.youtube.com/@%E3%81%94%E3%81%86%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B-z5m


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%86/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)






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