母の愛は北の白鳥

いすみ 静江

1 母と父と私

 ——昭和六十一年。


「お母さん、大学の進路について美術教諭と個人面談をしてきたよ」


 私は黒髪を後ろできゅっと縛り、小柄だが「山椒は小粒でもぴりりと辛い」と小学三年で褒められた言葉を支えにしている。


 緑茶を含むと、パーマに少しの老いを感じる母の幸子さちこが、「純生すみおちゃん、どうしたの」と炬燵へ一緒に入ったので、私は益子焼ましこやきのお湯飲み茶椀をもう一つ用意した。


 中学と高校での美術教師陣営は大きい。今後の件で全員面接を受けていた。「秋山あきやま」と呼ばれて入ると逆光の顔面二つにいやったらしく迎えられる。


「あんたか。ふん、最初はよかったのにね」


 悔しくて目を開きながら潤んでいた。正面に腰掛ける教師が、「へえ、泣くの」なんて小学生以下か。教えない人々は詐欺師だ。早くこの忌まわしい場から去り、新しい私の背に白鳥の羽が欲しい。教師と書いた案山子を北窓の教室に立てればいいのに。美術の時間は地獄だった。美術史は得意で、先生からスライドのボタンも任されたが。


「大学なんだけどね。お母さんが折角美術への道を用意してくれたんだけど」

「公立中学は学区域で一校に決まっていて、校内暴力が酷かったからね。中高一貫校の美大附属でよかったと思っているよ」


 母は大好きなお茶を飲もうとしたが、ポットのお湯が切れた。ポットがげえげえと啼く。


「純生ちゃん、げぼっこ怪獣かいじゅうだわ」


 幸子弁さちこべんは相変わらずセンス抜群だ。


「お陰で小学校の頃あった心身へのいじめはなくなったわ。だから、申し訳ないのよ。推薦枠で進学できる美術大学で、デザインと工芸を学べるのも捨てがたいわ。高校で実際学んでみて、生物学も遺伝やDNAにふつふつと好奇心がわいて捨てられないのよね。思えば小学生の頃に図書室でミレーや野口英世の伝記で啓発されたから」


 母はそれならばと即答する。


「そうそう、『大学に二ついった』とテレビで話している芸能人を見たわ。純生ちゃんも考えてみたら?」

「高校へは進学希望先として理系大は担任が闇へ抛るんだわ。黙って美大だけ提出するね」


 母と私の唯一の嗜好品、緑茶を注ぐ。「純生は緑茶を飲むんだよ」と亀野かめのの実家に帰っては大人びた子どもを主張していた。母の家系には吞兵衛がいない。


 夫業も父業も忘れているアルコール漬けのぜんに敵対して、「純生、五百円じゃなくて千円のお茶を買ってきなさい」と小学生の私一人お茶屋さんへいった。昭和五十一年から五十五年のことだ。


 母は、使命を感じて繰り返し父を否定した件がある。私は生後間もなく失神した。あの暴れん坊内弁慶、善が大反対した。


「医者は金がかかるから、いくな!」


 愛情なんて踏み腐った草切れのようなものだ。秋山の祖母が見栄だけは育てた馬鹿息子だ。


「幸子、親父がくるから一級酒を買ってこい」

「あなた、小銭を漁っても千円もないんですよ」

「なんとかしろ」


 随分と無茶をしたようだ。荒くれた善の伝説は多い。


「お父さん、中学校合格したよ」

「受かりやがって! この野郎」


 地下足袋で娘の頭を蹴っ飛ばして踏み付け、怨念を込めて繰り返した。昭和五十六年。風も横殴りで東京にも雪が舞った頃だ。私の胸は冷え固まった。

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