アリアンの騎士王 ~凄腕師匠に拾われた天涯孤独の少年が、王都の騎士学院に入隊して騎士の王となるまで~

岩時計

はじまりの章

別れの節

1 リッツ=パドガヤル

 リッツの故郷が焼かれたのは、彼が十歳の時だった。

 これといって何もない、辺境の小さな農村が不運にも野盗の群れに襲われ、一夜にして滅んだ。それだけのことだ。

 大乱の絶えて久しいバレリウス王国東部の平野地帯。国の屋台骨たるオールストン公爵領といえど、所詮はそんなものである。

 だがリッツはそこで死ななかった。数奇な出会いが彼に転機をもたらしたのだ。

 もとは家畜の世話をしつつ、村の子らと戯れながら、ただ穏やかに歳を重ねるはずだった普通の少年――それが何の因果か「騎士の王」へと駆け上がる。

 そんな、波乱の半生への幕開けでもあった。


「ほら、もう春なんだしたくさん食えよ。ってコラ、それは俺の髪の毛だって! 飼い葉はこっちだ! いてて!」


 寒風もおさまって、若葉の芽吹きも見えるようになってきた早春の頃。思いがけず愛馬に髪をかじられてしまい、少年は少し不機嫌になった。

 スラヴァ人なのに馬の餌やりもできないのか? 周囲にたむろする子供たちからそんな声も聞こえてくるが、別に悪意はなさそうだ。


「……うるさい! 今忙しいんだからあっちへ行け!」


 笑う友人たちを追い払いつつ、彼はもう一度飼い葉を掴む。今度は慎重に。

 村はずれに住むリッツ=パドガヤルは、馬や羊を飼って暮らす普通の少年だった。多少口数は少ないが、感情表現はむしろ多彩な方だ。

 唯一他の村人と違うのは母親譲りの漆黒の髪くらいなもので、それは彼に異国の血が流れていることが一目でわかる特徴だった。


「こんなもんかな」


 給餌を終えてひと汗ぬぐったリッツは、そのまま村の中央へ向かった。

 目的地は広場にある教会。小さな村だが、聖者の教えを説く場所というものは、慎ましやかながらどこにでも存在するものだ。

 もっとも、彼自身は敬虔な信徒などではなかったのだが、そこに通うのにはそれなりの理由があった。


「神父様。頼まれてたやつ、持ってきたよ」

「やあリッツ、ご苦労でしたね……おお、さすが。マデリンさんが刺繍した布飾りは、どれも一級品だ。ありがとう」


 人好きのする笑顔でリッツを労う中年男性は、村の神父だ。

 彼はこうして時々、リッツの母に教会で飾る織物を注文していた。


「どれ、これは今日のお代……」


 神父は言いかけて、きょろきょろと教会の中を見回す少年の姿に何かを察した。


「ミネなら奥ですよ」

「なっ、何も言ってない!」

「ふふっ、これは失敬」


 リッツの反応を見て神父は微笑む。それから「勉強の息抜きに会いに行ってやってほしい」とも声かけをした。

 ミネとは、神父の娘のことだ。

 聖教会は僧侶の結婚を是としてはいないが、否定もしない。ましてこんな田舎の村ともなれば、咎める者もいなかった。

 言われるがまま教会の奥へと進んだリッツは、その少女を見つけた。

 ミネはリッツよりひと月だけ早く生まれた、村で最も歳の近い子供だった。亜麻色の髪を後ろで小さくまとめた、少し小柄で素朴な少女だ。


「ミネ。今日は何をやってるんだ?」

「リッツ! 来てたんだね。魔道の本を読んでたの」

「……魔道か。俺にはさっぱりだな」

「あはは。勉強嫌いだもんね」


 並んで腰かけると、ミネは無邪気に笑う。

 もちろん勉強も嫌いなのだが、こと魔道に関しては難解すぎてそれ以前の問題だとリッツは感じていた。そもそもリッツは字が読めない。


「……あれ? リッツ、右手ケガしてるよ」

「ん? ああ、干し草で切ったかな。すぐに治る」

「もう、いつもそれなんだから。待ってて……」


 呆れて言うや、ミネは両手でリッツの右手を包む。そうして目を閉じ、静かに何事かを唱えた。


「【慈悲の輝きクラーティオ】」


 温もりと淡い光に包まれたかと思えば、次の瞬間にはもう手の傷は消えていた。


「ふう。おしまい!」

「……いつ見てもすごいな、法術は」


 法術。魔道によって人の傷を癒す、特別な才能である。その力は超常的ながら、一方で術者の気力と体力を消耗する。

 だからリッツも軽々しく使ってもいいのか尋ねたのだが、


「そう思うなら、自分でちゃんと手当てしてよね」

「すみません……」


 正論で諭され、返す言葉もなかった。

 もとより法術は素養と信仰、それから聖者の「思し召し」によって一握りの者にのみ開花することから、会得した存在は大変貴重であった。

 なにせ、神父である彼女の父親すら扱えない。

 リッツはミネの顔を、ふと見やる。


「なに? 何かついてる?」

「……いや、なにも」

「変なリッツ!」


 ミネがくすくすと微笑みを返した。


「なあミネ……春になったし、今度母さんと向こうの丘まで遠乗りするんだ。一緒に行かないか?」

「え、ほんとに!? もちろん、行きたい!」


 それから二人は他愛もない話をした。

 帰り際、リッツは糸で編まれた腕飾りをミネに贈った。それは彼の母が紡ぐような繊細な仕上がりではなかったが、ミネは嬉しそうに手に馴染ませていた。

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