十日
10日/14日
三日後、僕たちは工房に向かうために準備を始めた。
朝一番の九時からの予約がとれてよかった。
朝早くから動き出せば人と出会う確率も大きく減るからだ。夏休みは皆遅くまで寝ているから。
朝五時、始発の電車に乗って僕たちは工房の最寄り駅まで向かう。
この時間の電車は死んだ顔をしたサラリーマンや夜遅くまで活動していた酒臭い大学生がほとんどなので、ただでさえ人が少ない時間だが、更に周りに気をかける余裕のある人間はいないので僕たちにとっては好都合の時間である。
クラージュは麦わら帽子を気に入ったのか、今日は自分から率先して被っていた。
クラージュは椅子の上に膝たちになり外を眺めていた。
たまに見せる子供っぽい仕草に僕はたまにクラージュを弟のように感じていた。
僕の中でクラージュは友達から弟、つまり家族になりかけているが、クラージュは僕の事をどう思っているのだろうか。
「なぁ、クラージュ」
ふと、そんな疑問が浮かび、外を光のない目を輝かせて眺めているクラージュに小声で話しかけた。
クラージュは僕の寝起きに近い掠れた小さい声に気づいてくれて僕の方を振り返り、椅子に座りなおす。
「クラージュはさ、僕のことどう思ってるの?」
僕はクラージュの顔を見れず、座る際に邪魔になるので腕に抱えていたリュックの肩紐部分をいじりながら聞いた。
この行動だけ見ると、僕も実年齢より子供じみた行動が多い気もした。
「ヤマダ、優しい」
僕の質問の意図とは違う答えが返ってきて僕は咄嗟にクラージュを見る。
クラージュはいつもの困り顔をしながら僕を見ていた。この間学んだ。この顔は困っているのではなく、考え事をしている顔だ。
「そ、うじゃ、なくて……」
「ヤマダ?」
僕は肩紐をいじっていた手を止めて少し考える。
クラージュは人間じゃない。
きっと、僕の様にお互いの関係や距離に名前を付ける習慣はないのかもしれない。
僕だけが悩んでいる。
そう思うと、途端に自身の施行に馬鹿らしくなってしまった。
意外と僕はクラージュより子供なのかもしれない。
「なんでもない。クラージュは年齢とかあるの?」
僕は同じ車両に人がいないことを確認してから話を逸らした。
「ねんれい?」
「うん。この世に存在し始めてからどれくらい時間が経過してるのかなって」
僕の説明にクラージュは困り顔を浮かべながら指を折り始めた。
「自分の世界時間で、1000回以上寝た。このちきうのいう月で60くらい」
クラージュの示した6は一瞬だけ見ると7に見えるが、片手が四本しかないからしっかりとみると6だった。
60か月というと、約五年くらいか。
クラージュはまだ五歳ということか。地球の事を知らないだけかと思ったが、普通に幼さゆえに物事を知らないだけの可能性も浮上してきた。
「そうか。クラージュは五歳だったのか。まだ五歳なのに一人で知らない土地に行けるなんてクラージュは凄いね」
僕はもう中学二年だというのに一人で新しい場所に行くのが怖く、ずっと家にこもりっぱなしだ。
僕よりも半分以下のクラージュは一人で違う星に行けるというのに……。
本当に僕は子供じみている。
だからこそ、父やご近所さんにも冷たい目を向けられているのだろう。
「五歳」
クラージュは指で5を作って眺めていた。
「うん。クラージュは五歳」
僕は向かいにある窓の外を眺めながらつぶやいた。
クラージュは工房の最寄り駅に着くまで指で数字を示して遊んでいた。
途中、僕の指が五本あることに気づいて僕の指で遊びだした。
僕は手を握られるのが気持ちよくて寝ていた様だ。
目を覚ますと次が工房の最寄り駅になっていた。
危うく寝過ごすところだった。
電車が駅に到着すると、僕はクラージュに手を握られたまま電車から降りた。
「ふぅ。ちょっと暑くなってきたね」
僕は着ていたパーカーの袖を捲った。
クラージュはそもそも素っ裸だから暑いとかは無いのかもしれないが、一応体に触って熱を帯びていないか確認する。
触られたクラージュはどこかくすぐったそうにしていた。
「まだ時間あるし、朝ご飯でも食べようか」
僕は近くのコンビニを指さして言った。
クラージュは頷くと再度僕の手を握った。
相当気持ちよかったのだろう。
骨と皮しかなさそうな硬いクラージュの手と違い、僕には肉が付いている。
地球で言うとこのスクイーズみたいな感覚なのだろう。
僕たちはコンビニでパンと飲み物、軽食でグミ等を買って出てきた。
駅前に丁度日陰になっているベンチがあったのでそこに座る。
クラージュは地面から浮いた足をパタパタと揺らしていた。
「はい。これ、クラージュの分」
僕はクラージュが選んだスティックパンとオレンジジュースを袋から取り出して渡した。
クラージュは光のない目を輝かせながらそれらを受け取った。
僕は自分の分のクリームパンとカフェオレを袋から取り出した。
ストロー付きのカフェオレはペットボトルや缶コーヒーよりも特別感があって好きだ。
実際ペットボトルや缶コーヒーよりも値段が高い気がする。
カフェオレにストローを刺してベンチの平らな場所に置いた。
隣を見ると、僕の見様見真似でオレンジジュースの紙パックにストローを刺そうとしているが、手こずっているクラージュが居た。
「貸してみて」
僕が手を差し出すとクラージュは素直に僕に紙パックを渡したので、慣れた手つきでストローを刺してクラージュに返す。
クラージュは嬉しそうにストローを咥えた。
僕は自分のクリームパンを持ち直して食べ始めた。
オレンジジュースは酸っぱかったのか、横からクラージュの悶える声が聞こえてくる。
僕はまっすぐ前を向いて目の前の景色に集中した。
ロータリーを行き交う車や、今から仕事に向かうのかしっかりとした格好をした大人たちが歩いていた。
動き続ける景色に僕は飽きることは無かった。
ふと、静かになった隣を見ると、クラージュは最後のスティックパンを咥えながら僕の方を凝視していた。
「うわっ!びっくりした。その顔怖いよ」
僕がそう言うと、クラージュは僕の方を指さした。
「ん?」
クラージュの指先を辿ると、それは僕の持っているカフェオレに向いていた。
「……。あ、飲んでみる?」
僕はカフェオレに刺さっているストローをクラージュに向ける。
クラージュは光のない目を輝かせてストローに勢いよくかぶりついた。
クラージュって珈琲飲めるのかな?
そんなことを考えていると、やはり苦かったのかクラージュの顔は見る見る歪んでいった。
「ふふっ」
その顔がおかしくて僕は笑い声が漏れた。
「ヤマダ、これ、美味しい?」
僕は微笑んだ顔のまま頷く。
「クラージュはまだまだ子供だから苦く感じるんだよ。大人になると、これが苦くなくなるんだ」
クラージュは歪んだ顔のまま僕を見る。
「こども?おとな?ヤマダ、おとな?」
「うん。大人。大人にならないといけないのにね」
僕はなんだかクラージュの目を見れなくてまたロータリーに視線を戻す。
目を逸らした意味を察したのか、興味が無くなったのか、クラージュはそれ以上聞いてくることは無かった。
ベンチで時間を潰せた僕たちはいい時間になったので、食べ終わったごみを袋に詰めてからコンビニのごみ箱に捨ててから工房に向かって歩き出した。
駅から25分程のところに工房はあるので、今から歩き出しても少し早い時間についてしまうが営業時間なのでお店の中で作品を眺めながら時間をつぶそう。
クラージュは歩いている間も僕の手を握っていた。
僕の中でクラージュは完全に大人になっていた。
「ねぇ、クラージュ?」
僕が声をかけるとクラージュは僕を見上げた。
「帰らないで、僕とこれからも一緒に過ごさない?」
僕は前を見たまま言葉をつづけた。
「それ、星侵略すると、変わらない。どうせ残るなら、侵略して、残る」
「あ、そうか。そうだね……」
仲良くなっていると思っていたのは僕だけだったようだ。
僕と一緒にいたいから残るという選択肢はクラージュにはないようだ。
自分の勘違いにどうしようもなく恥ずかしくなって下がった目線を上げることが出来なかった。
繋いでいた手をさりげなく離すと、クラージュは気づいていないようでそのまま歩き続けた。
工房の中には沢山の風鈴があった。
僕は先程のモヤモヤが晴れないまま飾られている作品を眺めていた。
これらは体験で作られた作品達らしい。
人の数だけ形の違う風鈴がある。
場所によっては値段が記載されている物もあった。
「そちらの作品は体験後に引き取りが出来なかった作品達です。体験者さんに確認を取ってから商品にしているんですよ」
僕が値札を確認していると、後ろから若いお姉さんが話しかけてきた。
「あ、そう、なんですね」
僕は慣れない人の視線と会話にぎこちなく返事をする。
「今日は弟さんと体験に来てくれてありがとうございます!いい作品を作れるようにお手伝いしますので、よろしくお願いしますね!」
笑顔が素敵なお姉さんのエプロンには“やまもと”と書かれた名札が付いていた。
今日担当してくれる人の様だ。
「あ、お願い、します。作るのは、僕じゃなくて、あの、えっと……」
先程の会話を思い出して、嘘でも弟と口にするのが嫌で僕は口ごもる。
僕の反応から人と話すのが不得意と察したのか、お姉さんは「あ!弟さんの方なんですね!」と言って、別の場所で作品を見ていたクラージュの方へ歩き出した。
去り際、気に入ったのがあったら声をかけてくださいね!と言われたが、僕は小さく頷くしかできなかった。
なんだか、居心地が悪くなって僕は帽子の鍔を下げて店の外に出た。
店の前には車の通りの少ない道路があり、反対車線の縁石に腰かけて目の前の田んぼを眺めた。
何も考えないで動き続ける景色を見ることが僕は好きだった。
その瞬間だけ僕は周りの目を気にしなかったからだ。
きっといつもより人の目を集めるようなことをしているだろうに、不思議とその瞬間だけは気にならなかった。
どれくらいそうしていただろうか。
いつの間にか袖を捲っていた腕がヒリヒリとしていた。
「ヤマダ、ヤマダ、ヤマダ!」
反対車線の縁石に腰を掛けていた僕の背中にクラージュは大声をぶつけてきた。
「クラージュ?」
初めてクラージュの大声を聞いた気がした。
僕は車が来ていないことを確認してから急いでクラージュの元に駆け寄る。
「ど、どうした?」
僕が縁石を跨ぎ終わるとクラージュは僕のパーカーの袖を引っ張った。
どうやら早く店に入って欲しいみたいだ。
出来た風鈴を見てほしいのだろうか?
僕はクラージュに促されるまま店に入った。
「あれ?」
しかし、風鈴は最後の仕上げがあるそうで工房の奥に既に運ばれていた。
僕は完成した風鈴が見られなくて少しがっかりしたが、僕以上にクラージュは落ち込んでいた。
そんなに出来のいい作品になったのだろうか?
「クラージュはどんな作品を作ったの?」
僕はしゃがみ込み、落ち込んで俯いているクラージュの顔を覗き込んで聞いた。
「思い出の風鈴」
クラージュは今にも泣きそうな目で僕を見て言った。
「思い出?」
「ヤマダとの思い出を、忘れないように、作った」
クラージュの発言に僕は嬉しさと悔しさの入り混じった感情を抱いた。
認めたかった。僕もクラージュと過ごした三週間は僕の大切な思い出になっていると、友達だと思っていると言いたかった。しかし、先程の事で胸に残ったモヤモヤがそれを邪魔した。僕の口から出た言葉は「僕はなんとも思ってないけどね」だった。
そんなことを言いたかった訳じゃない。頭では、心では、ちゃんと君を友達だと、いや、それ以上に弟だと思っていたのに……。
しかしクラージュはそんなこと気にしていないかのように、僕の方を見ていた。
あぁ。また、僕だけが傷ついた。
僕は本当に子供だ。
風鈴は仕上げがあるから一週間後に取りに来て欲しい。と言われた。
一週間後は28日なので余裕を持って取りに来れる。
僕たちは担当してくれたやまもとさんに感謝を伝えてから店を後にした。
帰りの電車は行きよりも人が多かったが、それでも同じ車両に自分たちを含めて10人いないほどだった。
誰にも怪しまれることなく家まで帰れるだろう。
周りの人が僕を見ている気がして、僕は帽子の鍔を少し下げた。
クラージュはまた椅子に膝立ちして窓の外を眺めていた。
よく見ると手に塗料が付いていた。
周りには五本に見えるのだろう指は実際四本しかないので、塗料を使う際にうまくいかなかったのだろう。
僕は何も言わずにクラージュの手から目を逸らした。
夜、クラージュは風鈴がどんな音を奏でるのか想像して様々な音を口から出していた。
上手く響かなくてカンカンと乾いた音が鳴ったらどうしようと心配していたが、形を作ったのは担当のやまもとさんらしいからそんな失敗は無いだろうと思いながら、盛り上がっているクラージュの話を聞いていた。
僕の心にあったモヤモヤは徐々に罪悪感と自己嫌悪に変わり、僕を蝕んでいた。
でも、今さらやっぱり僕も友達だと思ってるなんて言うのもおかしいし、何よりもクラージュは気にして居なかったからわざわざ訂正するのもおかしな話だった。
僕は自分を蝕むそれを発散するすべが分からないまま眠りについた。
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